Re:いつでもどうぞ
駅前のいつもの店とは、智優が潰れてしまいたい気分のときに向かう店で、駅前の開けた
商店街の通りから1本ずれたところにひっそり建っている。隠れ家的存在として、まったりと
したい大人から密かに人気を集めているバーでもあった。
地下へと続く階段を下りて店の扉を開けると、平日ということもあってか客足はまばら
だった。
無言でカウンターに向かうと、既にそこには幼馴染の奈央が座っていて、何故かもう一人
の幼馴染、詠汰(えいた)までスーツ姿でギムレットに口をつけていた。
「お疲れ」
奈央が智優の姿に気づくと、軽く手を上げた。
「うっす」
「ぶっ。ひどい顔してんな」
静かな空間を壊さないように小さく挨拶すると、腫れぼったい顔を詠汰に指摘された。
「なんで、詠汰までいるんだよ」
「駅前で奈央にばったり会ってさ。智優がなんだか大変なことになってそうっていうから
心配してきてやったの」
「お前の場合心配じゃないだろ、デバガメ。奥さんも子どももいるんだから、さっさと
帰ってやんなよ」
「うん。その肝心な奥さんに電話したら、『そういうことなら、是非詳細を聞いてきて
頂戴』だって。和歌ちゃん智優達のファンだから」
詠汰はそう言ってもう一口ギムレットを口に流した。
「和歌ちゃんにカミングアウトしたの失敗だったな」
智優はやや辟易した表情を浮かべると、マスターにピンクジンをオーダーして頬杖を付いた。
「それで?」
詠汰が意味ありげな視線をよこすので、智優はそっけなく答えた。
「別れた」
「・・・・・・まあ、そんなことだろうとは思ってたけど、智優今日誕生日だろ?なんでこんな日
に限って」
「こんな日だから喧嘩するんだ、俺達は」
「喧嘩の原因は何なん?」
奈央も半分面白がって話に加わると、智優はいつものくだらない喧嘩とだけ言った。
「くだらない喧嘩で何度も別れるかね、普通」
詠汰に言われても智優は
「喧嘩すれば別れるのは俺達のデフォルト」
と、ぷいっと顔を背けた。
小学校からの幼馴染はお互いなんでも知ってる仲だけど、智優はそんなかけがえの無い
友人達にも、誕生日をすっぽかされて不貞腐れて怒って別れたなんて、かっこ悪くて言え
なかった。
「大丈夫なの」
けれど、奈央も詠汰も智優が強がってることなんて十分承知だ。その上で、奈央も詠汰も
あえて突っ込んだ話はしなかった。智優は心を許してないわけではない。男同士で付き合ってる
ことだって自分達に打ち明けてくれたし、別れたときはこうやっていつも集まっているの
だから、秘密主義というわけでもない。
智優の捻くれた性格なんだと、長年の友人は思っていた。
「大丈夫、なんとかなるって」
どんなに自分が惨めでも、智優は笑ってしまう。幼馴染の前でもかっこよくありたいなんて
どんだけ見栄っ張りなんだろう。自覚はしているけれど、素直になることも出来ない。
「とりあえず今日一日泊めて?」
「うちはいいけど。一泊でいいの」
「明日からのあてはあるから」
辛さを隠して、奈央や詠汰の前で大見栄切って、スマートな大人を演じて、一人になれば
落胆する。それの繰り返しだけど、このやせ我慢をやめてしまったら、自分は一秒足りとも
泣かずにはいられなくなるから、智優はやっぱり今のまま強がるしかないと自分でも分かって
いた。
「まあ、智優がそういうなら、俺達は突っ込まないけどさ、もう少し落ち着けよなあ」
「今度はいい子見つけるって」
詠汰に苦笑いされて、智優も不貞腐れ気味に頷いた。
次の日、智優は奈央にワイシャツだけ借りて出勤した。
少し皺の入ってしまったネクタイを伸ばして事務所に入っていくと、服装に目ざとい女性
社員から、昨日と同じネクタイしてると指摘されて智優ははにかんでごまかした。
「分かった、朝倉さんお泊りなんでしょ。そういえば、朝倉さん昨日誕生日でしたよね。
ふぐの美味しい店行くなんて、張り切って残業もしないで帰っていきましたもんね」
後輩の高藤の何となく意味深な言葉に、智優は苦笑いして
「あ、ばれた?」
なんて答えると、周りにいた社員に「若いな〜」と羨ましがられた。
智優は市内のカーディーラーに勤めて5年ほど経つ。その口の上手さから同グループ会社
の県内営業所でも、トップの成績を収めている優秀な営業マンだ。
見栄とはったりは自分の最大の武器だと智優もそれを認めているから、自信を持ってこの
仕事が自分に向いていると智優は言える。
営業成績がいいことは自分への自信へと還元されて、智優は益々外側だけは出来る男に
なっていた。
朝礼が終わると、秋の新車キャンペーンのため、ディスクは慌しかった。智優も今日来店
予定の顧客をチェックすると、本社や他の支店からのメールに返信する。
そこに、丁度机の上においてあった携帯がブルブルと震えてメール着信を知らせた。
智優は一件メールを打ち終わってから、コーヒーを口に含んで携帯に手を伸ばした。
液晶画面を開いてメールを確認すると、智優は口にしていたコーヒーを思わず噴出し
そうになった。
後ろをぐるっと振り返って、背後に誰もいないことを確認。それから首を伸ばして、一つ
向こうの島に座っている後輩の背中を見つめた。
顧客と電話をしている声が聞こえて、智優は小さく溜息を吐いた。
「まいったな・・・・・・」
智優はそのメールに一言だけ返信した。
from:高藤
sub:いつでもどうぞ
朝倉さんが嫌じゃなければ
うちはいつでもいいですよ。
いつも通り、好きなだけいて下さい
鬱憤晴らし付き合いますよ?
「お前、なんで分かった?」
高藤のアパートに着くなり、智優は開口一番そう呟いた。
「・・・・・・分かったって言うより何となくそうなのかと思ってメールしたんですよ」
智優は8畳の小さなリビングにあるローテーブルの前に座ってネクタイを緩めながら言った。
「すごい勘だな」
「だって、朝倉さんが恋人と仲良くふぐ刺し食ってたら、誕生日を外泊するわけないですもん」
高藤は冷蔵庫から冷えたビールとコップを持ってローテーブルに置いた。
「残念ながら、ふぐ刺しにはありつけなかったよ」
智優はコップを傾けて高藤からビールを注いでもらった。
ぐびぐびっと1杯目を飲み干すと、直ぐに2杯目も注がれて、智優はそれもあっという
間に飲み干す。
高藤はそんな智優の姿を目を細めてみた。
彼は、智優と蛍琉の関係を知っている。知ってる上でこうやって智優を家に誘ったのだ。
「今回も別れちゃったんですか」
「別れちゃったよ」
そっけなく答える智優に高藤は3杯目のビールを注いだ。
「じゃあ、今度こそ、俺と付き合ってくださいよ」
智優がコップを口に持っていこうとするのを止め、高藤はその手を掴んだ。
一瞬見詰め合って、それでも智優は余裕たっぷりで高藤の手を除けた。
「やだって何度も言ってるだろ。俺、お前と違ってゲイじゃないの」
「男の恋人がいたのに、まだそんなこと言ってんですか」
「だって本当だもん。俺はね、今でも好みのタイプはロリ顔のEカップなの」
智優は勝ち誇ったような顔で鼻息を荒くして高藤を見た。
「じゃあ、なんで男と付き合っちゃったんですか」
「・・・・・・アイツは別。っていうか、よくわかんない」
その質問は一番やっかいなものだ。智優にとって蛍琉とは一体何なのか、深く考えれば、
考えるほど分からなくなる存在だから。
智優は思い出の中から、ほろ苦いワンシーンを取り出して高藤に語った。
「高校1年のときだったかな。昼休みに男5,6人でマス掻きの話しててさ」
「はい」
突然の昔話にも、よくある光景だと、高藤も素直に頷く。横目で見ながら智優は続けた。
「アイツが、もっと気持ちいい方法知ってるから試してみろって言ってきて」
もっといい方法。それは前立腺を刺激するもので、欲望に忠実な高校生男子だった智優は、
興味本位から、それに手をつけてしまったのだ。
「自分で突っ込んでみたんですか」
「そう。突っ込んでみたの」
びっくりした表情で高藤は智優の顔を見た。智優はそんな高藤を鼻で笑う。
「お前だってそうだっただろ。高校生の性欲を舐めちゃあかん」
「そうですけど・・・・・・」
「それでさ、ケツに指突っ込んでマス掻いたら、メチャメチャ気持ちよかったって話をさ、
アイツにしちゃったんだよ。そしたらアイツ益々調子に乗ってきて。色んなモノ進めてくる
んだよ。で、俺も調子に乗ってそれを一々試しちゃった」
そこで、智優は自嘲するようにふっと息を吐いた。
「あれは中毒だ。どんどん強い刺激が欲しくなる。こっちだけじゃ物足りなくなるんだ」
自分の股間を指差して智優はあっけらかんと笑った。
「そういう人いますね、確かに」
「でも、それが一番の誤算だったけどな」
「誤算?」
「高校3年のときに、付き合ってた彼女とさ初めてエッチしたんだけど、自分が想像してた
よりも全然気持ちよくなくて、そしたら途端にテンション下がったんだ」
智優はコップの残りのビールを煽る。
「そしたら誕生日前に振られた」
「朝倉さん、直結じゃないですか」
「高校生の脳みそなんてそんなもんだろ」
昔の苦い思い出は、今では笑い話だ。智優は高藤にビールを注いでやりながら続けた。
「誕生日に受験前のラブラブなひと時を夢見てたのに、アイツの教えてくれたマス掻きの
所為で台無し。文句でも言ってやろうって突っかかったら、『じゃあ、代わりに俺とやって
みる?』って。『誕生日の思い出一緒に作ってあげる』って」
それが切っ掛けだった。好奇心もあった。それに実際のところ、マス掻いてるときも、最近
では、誰かに掘られてる姿を想像してた方が気持ちいいことを発見してしまったのだ。
「そりゃあ、2年もかけてこっちは自分で開発しちゃったんだからさー、受け入れ態勢ばっちり
なわけだし」
思った以上に、蛍琉との初めてのセックスは上手くいった。
それどころか、以来智優はすっかり蛍琉とのセックスに嵌ってしまったのだ。
「でも、彼の方はゲイだったんですか?」
「うん。今も昔もばっちりゲイだ」
「じゃあ・・・・・・」
「そう。気がついたら、後の祭り」
智優は2年もかけて、まんまと蛍琉の罠に嵌ったのだ。
「ゲイに引き込まれそうになってるのにさ、自分で開発してりゃ世話無いよな」
「いきなり掘られるよりマシでしょ」
「そういう経緯がなきゃ、絶対男になんかケツ差し出すかよ」
「それもそうですね」
セックスに嵌ったついでに、気がついたら付き合っていたというのが蛍琉との馴れ初めだ。
いつから好きだったのかわからない。付き合いだして好きになったのか、好きだったから
全部の事が流れるように上手く行ったのか、考えても答えは出せないし、そのことをお互い
語り合ったこともない。
ただそこにいて何となく幸せな毎日があればそれでいいと智優は思っていた。
「そういうことだからさ、俺はゲイじゃないし、これからもゲイにはならない」
「・・・・・・それのどこがゲイじゃないっていうんですか。俺のやってることとそんなに変わら
ないですよ」
高藤はゲイだ。2年前に蛍琉と喧嘩して別れたとき、こうやってビールを飲みながら語り
合った事がある。「朝倉さんの恋人ってひょっとして男?」と高藤に吹っかけられた智優は
酔った勢いで思わず認めてしまった。
そこで高藤にカミングアウトされ、そして
「淋しいなら、気ぐらい紛らわせてみます?」
という一言から、智優は初めて高藤に抱かれた。
「とにかく、俺、浮気はしないし、今度付き合うなら女の子って決めてるから」
「朝倉さん、酷だなあ・・・。俺の気持ち知っててそういうこというんだもん」
「俺、この先も蛍琉以外の男と付き合う気ないからさ」
その台詞は高藤の最後の一歩をいつも足踏みさせる。
喧嘩して別れたときだけやってくる智優を、まるで期間限定の恋人を手に入れたような
感覚で高藤は抱いている。
「お前の事ないがしろにするつもりはないからさ、本気で付き合いたいとか思ってるなら
これ以上俺に構うなよ。俺はお前が別れたときだけのセフレでいいっていうから、その
言葉に便乗しているだけなんだからな?」
「わかってます。ちょっと言ってみただけですから」
そう言うと、高藤は智優の肩を自分の方に引き寄せた。
抵抗もなくやってくる智優の身体を自分の中にすっぽりと収めて、苦しくなるほど抱き
しめた。智優が自分の匂いで染まってしまえばいいのに。マーキングでもするように高藤
は智優の身体に自分の身体をくっつけて、智優の黒くてこしのある髪にキスを落とした。
それを合図にお互い視線を絡ますと、そこには、淋しそうに瞳を揺らす智優の顔があった。
結局まだ智優は蛍琉の事だけが好きなのだと、高藤は思いながら智優の腰を引き寄せていた。
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