Re:お邪魔・・・しました?
2人のマンションには暗黙のルールがある。
智優と蛍琉の関係を知らない人間を家に連れて来ないということだ。勿論お互いに面と
向かって交わした約束ではないし、それを破ったからと言って、契約違反で罰則が与えられる
訳でもない。ただ、お互いの中にある良心とマナーがこのルールの砦だ。
ここだけは安心して息を吐ける場所であって欲しいと、智優はマンションを購入する時
そう願って、実際、蛍琉にそう告げた。
元々ゲイの蛍琉と、未だに自分をゲイだと思っていない智優。ゲイであることを普通の
事のように思っている蛍琉の方が、こういうことに関しては緩い。
蛍琉にはゲイの仲間がいるけど、智優には「仲間」と呼べる関係のゲイの友人はいない。
ただ蛍琉と別れたときに厄介になるセフレみたいなモノが何人かいるだけだ。
ただでさえ、自分の生き方に自由な蛍琉に、いつかはきっちり言っておくべきだと、内々
で智優は思っていたけれど、「ゲイだからってこそこそする必要ないだろ?」と言う蛍琉に
後ろ向きな智優は強く言えなかった。
安心して息を吐ける場所であるはずなのに、根底にあるのは不安。
ドアを開けたら、知らない誰かがいるかもしれない。このチャイムの音は宅配便の兄ちゃん
ではなく、蛍琉を訪ねてくる男かもしれない。いつもそんな不安が智優の中にあった。
そして、その不安は確実に智優の隣までやってきていた。
師走も半ばを過ぎると、本当に忙しくなる。ボーナスで客も増える分忙しさも倍増だが、
それは営業マンとしては嬉しい悲鳴だった。
帰りが11時を過ぎようが、契約を結ぶことが出来れば疲れは吹っ飛んだ。売り上げを伸ばす
事ができれば、自分の給料にも影響するし、ローンも早く返せる。そこまで考えると、気合
が入った。
智優は今日も雪の舞う中を傘を差しながら岐路に着いた。蛍琉に買ってもらったロレッ
クスは夜の10時を指している。智優はマンションを見上げて、部屋に明かりが灯っている
のを確認すると足早にエントランスを潜った。
コートの肩に湿った雪をハンカチで押さえ、ブラウンの革靴を見下ろす。防水加工を施して
あるものの、毎日のこの雪では靴の傷みは早かった。
エレベーターに乗り込んで、もう一度時計を見る。二三度呼吸を整えると、蛍琉の顔を
想像した。リビングで眠りこけているに1票だな、と智優はニヤニヤ笑いながらエレベーター
を降りて、足早に部屋へと向かった。
チャイムは鳴らさない。鍵を開けて、玄関の扉を開いたところで、智優は一瞬自分の目を
疑った。
明らかに蛍琉の靴ではない、コンバースのスニーカー。当然自分のものでもないし、蛍琉
の友人でこんな靴履いて来る人いたかな、と智優は蛍琉の友人達を思い浮かべた。
玄関で立ち尽くしていると、リビングからギターの音が微かに聞こえてきて、智優は我
に返った。
ドクドクと心臓の音が速くなる。この不安はなんだろう。智優はできる限り冷静を装って
リビングへ続く廊下を歩く。リビングの扉の前まで来ると、蛍琉の声に加えて、もう一つ
よく通る若い男の声が聞こえた。
男がしゃべる。ギターの音が鳴る。2人の笑い声が聞こえる。智優にはそれで十分だった。
リビングのドアを強く握ると、思いっきり扉を開けた。
「ただいま」
淡いストライプ柄が入ったスーツに冬のブラックコート。仕事帰りでぐったりした智優とは
対照的に、リビングはエアコンが快適な温度に設定され、その中で蛍琉と若い男がラフな
服装で、ギターを抱えながら笑い合っていた。
「あ、おかえり」
蛍琉が振り返って軽く手を上げた。にこやかな顔に悪びれた様子はない。隣にいる男は、
まだ二十歳を超えたばかりのような見るからに若い男で、切れ長の目が、自分を品定めする
かのような視線を送ってきた。一瞬にして智優はこの男が自分達の事情を知っている人間
だと悟った。
勿論、智優の知り合いの中にはいないから、蛍琉がしゃべったのだろう。
「お邪魔してます」
気を取られている智優に若い男は先手を取った。
にっこりと笑って、挨拶する。まるで宣戦布告でもされているような笑顔を、智優はその
通りに受け取った。
それから我に返ると、営業マンとしての仮面を被りなおし
「こんばんは、はじめまして」
と大人の余裕を見せた。こんな男に負けるわけにはいかない。動揺してるなんて思われたら
付け入る隙を与えてしまう。内心のもやもやには蓋をした。
「あ、はじめまして。池山世那(いけやま せな)です。今、仕事終わったんですか?
大変ですね」
「こちらこそ。朝倉です。師走だしね、書き入れ時だから仕方ないよ。今からメシ食うけど
いいかな」
ダイニングテーブルを振り返ると、すっかり飲み干したマグカップが二つ置いてある。
「もうメシ食った?一緒に食う?」
智優は強気の姿勢で、世那に臨んだ。こんな若い男に動揺してるなんて瞬間でも思われた
のが癪に障ったのだ。
「いえ、もう食べたので。ありがとうございます。あ、気にせずに食べてください・・・・・・
って言っても気になりますよね。蛍琉さん、もうこんな時間だし、俺そろそろ帰りまっす」
世那は手に持ってたギターをケースに戻した。
「ん?あ、ホントだ、世那君とギターの話してると、時間経つの早いなあ」
蛍琉の言葉に思わず世那から笑みがこぼれる。智優は舌打ちしたいのを心の中に必死で
留めた。
「もう帰るの?ゆっくりしてくれていいよ。もう一杯、お茶飲んでく?せっかく会えた
のに、入れ違いみたいで淋しいじゃん」
内心とは裏腹な言葉を掛けると、世那は首を振った。
「イエイエ。こんな長居をするつもりじゃなかったんで・・・・・・」
「そう?じゃあ、また遊びにおいて。外は寒いから、気をつけてな」
「はい。ありがとうございます」
思ったより相手は手ごわいと踏んだのだろう。終始「大人」を崩さない智優に、世那は
あっさりと引いた。今日は敵情視察くらいの気持ちだったのかもしれない。
世那がギターのハードケースを持って立ち上がると、釣られて蛍琉も立ち上がった。
「蛍琉さんも、今日はありがとうございました。こんな大切なもの貰っちゃって・・・」
「いいよいいよ。どうせ使ってないヤツだし。俺が持ってるより使ってくれる子がいる方
がギターも喜ぶ」
「ハイ。大切に使いまっす」
「玄関まで送るよ」
「ありがとうございまーす」
智優に向けている鋭い視線とは一遍して、仔犬がじゃれているようなくすぐったい声で
世那は蛍琉を見た。
「気をつけて。また」
智優もその背中に声を掛けると、世那はそのテンションのまま智優にも頭を下げた。
2人がリビングを出て行くのを見届けて、智優は乱暴に冷蔵庫を開けた。冷えているビール
を取り出して、缶のまま一気に呷った。
胃に染み渡るアルコールが、焦げそうなほど痛かった。智優はそれでも、手を止めること
なく、胃の中に流し込む。中身が半分以下になったところで咽た。
げほげほと咳き込んで、涙目になる。
玄関で、蛍琉と世那の笑い声が聞こえて、智優はキッチンの上に缶を叩き付けた。
「・・・・・・クソっ」
あれは、自分に対する挑戦状だ。どうして、他人の気持ちにはこんなにも敏感なんだろう。
世那は蛍琉を狙っていると、智優は思った。
でなければ、わざわざ、自分が帰ってくるまで長居なんてしないはずだ。そして、自分
が帰ってきた途端、存在だけを見せ付けて帰っていくなんて、動揺することを見越して
やってるようにしか思えなかった。
智優は硬い表情を作った。
なんなんだ、あいつは。蛍琉も蛍琉だ。なんで家に呼ぶんだ。ここを何だと思ってる!
大体、こんな時間にまで押しかけてくるなんて非常識じゃないのか。学生気分が抜けて
ないのにも程があるだろ。
智優がブツブツと文句を言っていると、リビングのドアが再び開いて、蛍琉が戻ってきた。
「智優、お疲れ。今日も遅かったんだね」
いつもと変わらない態度が余計に腹が立つ。蛍琉にとっては、きっと後ろめたいことでも
なんでもないのだろう。
分かってる。蛍琉が誰彼構わず手を出すような人間じゃないことくらい、ちゃんと知って
いるけど、それでも許せないのは、自分の了見が狭いからだろうか。
「・・・・・・智優?」
キッチンまでやってきて、蛍琉は智優の様子がおかしい事に初めて気づいたようだ。
「なんで・・・・・・」
「ん?」
蛍琉は後ろから智優の腰に手を回して、うなじに唇をつけた。
「んっ、止めろって」
「いいじゃん。おかえり」
さっきまで世那がここにいたことを忘れたように、蛍琉は甘えてくる。うやむやになって
流されてしまう前に、智優は現実を手繰り寄せた。
「人が来るなら、一言くらい俺にだって知らせろよ」
「ああ、ごめんごめん。突然だったから・・・・・・それに世那君、すぐ帰る予定だったし」
悪びれた様子もなく、蛍琉は智優の腰に回した手を遊んでいる。
『世那君』か。気軽に名前で呼ぶってどういう関係なんだ。智優は棘のある口調で蛍琉を
振り返った。
「『池山君』は、なんで俺達の事知ってんだよ」
「ん?ああ、えっとね『いっちゃん』から紹介されたの」
『いっちゃん』とは、蛍琉のゲイの仲間だ。蛍琉よりも6歳近く年上で、ゲイバーのマスター
なんてやってるから、彼を慕って色んな人が集まってくる。
智優も何度かそのお店に連れて行かれたことがあるけれど、自分をゲイだと認めていない
智優にはやっぱり、一緒にいた連中とは温度差を感じた。
「紹介って?」
「世那君、バンドやってるんだけど、トラブっちゃってね。そのバンド辞めちゃったから、
新しいバンドのメンバー探してるって。ついでに音楽系のバイトがしたいって、いっちゃん
に相談したらしくて、俺が紹介された」
「ふうん。じゃあ池山君もゲイってこと?」
「そうだね。・・・・・・あ、智優もしかしてちょっと妬いてた?」
「知らね!」
「あはは、大丈夫だって。世那君、まだ20歳だよ。あんな若い子、俺みたいなオッサン
相手にしないって」
「お前みたいなオッサンと付き合ってるの、俺なんだけど」
「いいじゃん、智優だって、オッサンだし」
「うるせえっ」
蛍琉は智優のビール臭い口にちゅっちゅと音を立ててキスをした。キッチンでじゃれあい
ながら、智優は半分流されかけて、それでも許せない気持ちが現実にかろうじて引っかかって
くれる。
「・・・・・・じゃあ、池山君は蛍琉の店でバイトしてんだ」
「うん。先週入ってきたばっかりだけどね。センスあるし、いい子だよ」
いい子と言い切るあたり、蛍琉には他意がないのだと智優は思う。だけど、許せないものは
許せないのだ。
「なんで、うちなんて来てたんだよ」
「ギブソンのギター、ぼろいのでよければ1本余ってるって言ったらさ、欲しいって言うから」
「そんなの明日にでも店で渡せばいいだろ」
「俺もそういったんだけど、貰うのに、わざわざ持ってきてもらうなんて申し訳ないって。
是非貰いにいかせてくださいっていうから。ゲイの子だし、隠す必要もないかなって・・・・・・
あれ?智優?」
自分の愛用していたものを誰かにあげるというのが、どういうことなのか、蛍琉には分から
ないだろう。それを貰って世那がどれだけ喜んでいるか。智優がどれだけ腹を立ててるか。
智優にはギターの良し悪しなんて全く分からないし、使ってないモノをただの友人に譲る
くらいなら、こんな気分にはならないはずだ。
相手が世那だから。蛍琉を狙ってる世那だから。
ムラムラ、ムカムカ。イライラ、グラグラ。智優の中で色んな感情が巡った。それでも
言わなきゃ怒りは収まらなくて、智優は出来るだけ言葉を選んで言った。
「・・・・・・蛍琉には悪いけど、こんな時間まで人が来てるのはちょっと・・・・・・」
「はあ・・・?」
思わぬ答えに蛍琉は呆れた。
「疲れて帰って来て、人がいたら・・・・・・休まるのも休まんないだろ」
「別に、気にしなきゃいいじゃん?ダメなの、友達が遊びに来てたら」
友達じゃないから腹が立つんだ。
けれど、確証も無い世那の気持ちを告げたところで、蛍琉には「思い込みすぎだって」
と笑われるだけだし、智優は不機嫌になったまま何もいえなくなった。
沈黙が2人を捉えようとしていたところに、ジーンズのポケットに刺さっていた蛍琉の
携帯電話が鳴り出した。
「・・・・・・出れば?」
「うん」
ポケットから引き抜くと、着信音は止まった。画面を開くとメールの着信だった。
不審な顔をしている智優に、蛍琉は携帯を差し出して、メールを見せた。
「世那君から。ね?別に疚しいことなんて何にも書いてないデショ?」
from:池山世那
sub:お邪魔・・・しました?
今日は、突然部屋に押しかけてしまって
すんませんでした<(__)>
ギター大切に使わせて貰います!
とっても有意義な時間を過ごせて
楽しかったでーす[^_^]
お邪魔・・・・・・しました?なんて、お邪魔に決まってんだろ。件名だけチラ見して、智優は心
中で悪態をつきまくり、蛍琉から離れた。
疚しいことが書いてあるかどうかなんて、関係ない。こうやってメールが来ること自体
何よりの証拠じゃないか。
そのメールにわざわざ返信する蛍琉にもイライラする。
「俺、先に風呂入って寝るから!」
「・・・・・・ん、わかった」
携帯のメールを打つ手を止めず、蛍琉は返事をした。世那に心を奪われてしまった気がして、
智優は思いっきり顔を逸らした。
「・・・・・・智優?」
また一つコーティングした筈の表面にひびが入る。
智優は夕食も食べる気になれず、熱いシャワーでもやもやを洗い流す為に、リビングを
あとにした。
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