Re:いま何処?
寒い冬はそれなりに寄り添って過ごした。低空飛行だけど、墜落することもなく、智優
と蛍琉は、小さな蟠りに目を背けて穏やかな日々をこなしていった。
一緒に暮らしていれば不満は誰にだってあるはずだ。こんなことで一々喧嘩の火種を作って
いたら、心が疲れ切ってしまう。蛍琉が音楽にのめり込んで自分をおざなりにすることが
あっても、ふらりとパチンコや競馬にでかけてしまっても、例え、自分の事を好きだと
言ってくれなくても、智優は不満を口にすることは出来なかった。
一緒にいるだけで満足していた頃の自分からすれば随分欲張りになったと、その不満を
心でかみ殺しながら智優は自嘲した。
桜の季節がやってくると、智優は一気に忙しくなった。毎年のように入ってくる新入社員
も今年は不況のあおりで県内の営業所を全てかき集めても数名程度で、智優の営業所に配属
された新入社員も僅か1名だった。
所長はその1名を逃げられてなるものかと手厚く歓迎し、4月は何かにつけて飲み会が
増えた。
更に間の悪いことに、同僚からのコンパの誘いがあって、普段なら絶対に断るはずなの
だが、同僚の狙ってる子がいて、あと一人いないとコンパが出来ないと言われれば、外面
のいい智優が断れるはずも無かった。
水曜日は蛍琉の定休日で、朝は智優が一人でばたばたと用意をし、出掛けに蛍琉がパジャマ
姿で玄関まで見送りに来た。
「あ、蛍琉、今日俺飲み会だから、ご飯要らない」
「また?」
「・・・・・・ごめん、せっかくの蛍琉の休みなのに」
「まあ別にいいけど、飲みすぎて身体壊すよ?」
「うん、気をつける」
「いってらっしゃい」
「蛍琉もいつまでも寝てんなよ、いい天気なんだし」
「うん」
蛍琉は智優の唇に軽くキスを落とすと、智優もそれを当たり前のように受け取って、それから
片手をひらひらさせて玄関を後にした。
コンパといっても3人対3人の小さな飲み会で、智優が指定された飲み屋に着いた時は、まだ
同僚の宮崎と村松の2人しか席についていなかった。
「ごめん、ちょっと遅くなって」
「いいよいいよ、それより悪かったな、朝倉ー。彼女いるのに」
村松が両手を合わせて智優に頭を下げた。会社の同僚には彼女と同棲していることになって
いるのだ。面倒くさいからそれ以上の事は話していない。
「別にいいよ、彼女いない暦4年の村松に、待望の彼女が出来るか出来ないかの瀬戸際って
ところなんだろ?俺で役に立てるなら、コンパくらい出てやるって」
「ありがとー朝倉。今日は絶対落としてやる」
「あはは、がんばれー。ってか、宮崎はいいのかよ?お前も彼女持ちじゃないの?」
智優は村松の奥に座った宮崎を覗き込んだ。宮崎はいかにももてそうな綺麗な顔の男だ。
かっこいい男を並べたいという村松の気持ちは分からないでもないが、村松の人選は些か
疑問だ。宮崎は綺麗な顔をしているが、女に対してはだらしないのだ。
「まあナントカなるって」
「可愛い子来ても、持って帰るなよ」
「まあそれはそれで」
宮崎がタバコをふかして、意味ありげな顔で笑った。智優は宮崎から視線を外して小さく
溜息を吐いた。
やってきた女の子を見て、村松が誰を狙っているのか一目で分かった。3人同時に入って
来たのに、わざわざ一番最後に入ってきた女の子に向かって声を掛けたのだ。
見れば確かに綺麗な女の子だった。3人とも、智優の趣味ではなかったけれど、もし蛍琉
と付き合っていなかったら、コンパが切っ掛けで恋人に出会っていたかもしれないと思うと、
智優は不思議な気分だった。
自分はゲイじゃないと思う。好きなのは男じゃないし、やろうと思えばきっと、女とも
身体を重ねることは出来ると思う。ただその気にならないだけだ。
だけど、いまこの場で、すごくタイプだと思う女の子が目の前に座っていたとしても
お持ち帰りしたいとか、つまみ食いしてみたいとか、心が揺れたりもしない気がするのだ。
蛍琉の存在は自分を曖昧にしていると思う。自分が分からなくなる。それは、裏を返せば
蛍琉の存在だけで自分はもう十分なのだということだと、智優は薄々気づいているけれど
蛍琉に対して、べったりと依存してしまうのは恐ろしかった。だから、智優は蛍琉に必要
以上に、自分の気持ちを告げたりすることも、その言葉を強請ることも出来ないのだ。
「じゃ、朝倉、あっちの子お願い」
宮崎が村松の背中を使って智優に指をさした。残りの女の子2人のうち、宮崎はさっさと
自分の取り分を決めてしまったらしい。
数合わせのために呼ばれた智優にとって、誰の相手をしようが全く構わなかったし、
出来ればさっさと帰りたいというのが本音だった。
智優は目の前に座った女の子に軽く頭を下げた。
「こんばんは」
「・・・・・・こんばんは」
「?」
目の前に座った女の子は智優と同い年くらいの、少しぽっちゃりとした子だった。その彼女
が智優を遠慮がちに見ているので、智優は疑問系の表情をして彼女を見返した。
「あ、の。違ってたらごめんなさい」
「うん」
「もしかして朝倉君?」
「え?」
「あ、違う?ごめんなさい」
「いや、そう。朝倉智優です」
「えー!やっぱりそうだったんだ」
彼女は引っかかっていた疑問が解けると、ふうっと肩の力を抜いた。
「俺の事知ってるの?」
「うん。同じ高校で、同級生だよ」
「マジで?・・・ごめん、女の子って顔が直ぐ変わるから・・・・・・」
「あはは、覚えてないと思うよ。原田一花(はらだいちか)です」
ぴんと来ない名前だった。ごめんねと言おうとした瞬間、次の言葉を聞いて智優は固まった。
「高校の頃、いつも、穂香と一緒にいたんだけど・・・・・・」
「え、あ・・・・・・そう・・・だっけ・・・」
穂香の名前には覚えがある。忘れるはずも無い、あの頃付き合っていた彼女の名前だ。
初めてセックスした相手で、身体を重ねた、たった一人の女性の名前だ。あれ以降、女とは
寝てない。
勿論他に沢山の男と寝たというわけでもないが、蛍琉以外の男となら何人かある。
別に彼女が特別と言うわけではないし、実際思ったよりセックスは気持ちよくなくて
テンションが下がってしまったわけだから、今はもう彼女に特別な感情を持っても無いし、
申し訳なかったという気持ちも薄れた。
けれど久しぶりに彼女の名前を聞いて、そして蛍琉と付き合う前の昔の自分を知る人間
に出会って、心が緩んだのも確かだ。
智優は、目の前に座る一花にニコリと笑いかけた。
「ごめんね、高校の頃の思い出ってあんまり覚えてなくて。でも、こんな可愛い子がいたら
覚えてるはずなんだけどなあ」
リップサービスは営業トークの延長だ。例えお世辞であっても褒められれば悪い気はしない。
一花は口に手を当てて、「上手いんだから〜」と笑った。
村松はお目当ての子に話しかけるので一杯だし、村松の狙う彼女を飛び越えて、宮崎の
前に座った子まで、話しかけるほど意欲もなく、結局智優は飲み会の殆どを一花と話して
終わった。
時々村松に振られる話題の他は、高校時代の話ばかりで、一花がトイレに立った隙に、
村松に朝倉たちこそいい感じと言われ、智優は返答に困ってしまった。
来て頂いたお客様を気持ちよく持て成すことは、営業マンとして当たり前の事だ。智優
にとって、一花もそれと同じだ。懐かしい気持ちで心は緩んでも、揺れることは無い。
面倒くさいと思っていたコンパがちょっとだけ楽しくなったくらいのものだった。
一次会が終わると智優は適当な理由をつけて、輪の中から抜け出した。村松は狙っていた
女の子とそこそこ上手く行っているようで、自分も必要ないだろうと、智優は義務を果たした
気持ちで、村松たちに手を振った。宮崎の動向など自分には関係ないし、狙われた彼女が
どうなるかなんて、知ったことではない。
智優は花冷えする夜道を身体をぶるっと震わせて歩き出した。
「朝倉君ー!待ってー」
歩き出して直ぐに、後ろから声がして、振り返ると、アルコールでほんのりと顔を染めた
一花が手を振っていた。智優は足を止めて、彼女が追いつくのを待つ。
「あれ、どうしたの?」
「私も帰ろうと思って」
「そうなんだ」
「・・・・・・どうせ、私、数合わせみたいなもんだし」
「そうなの?」
「朝倉君もでしょ?」
一花に笑いながら指摘されて、智優も苦笑いした。
「まあね。数合わせなら、2対2でコンパすればいいのに」
「にぎやかしが必要なのよ」
「そういうもん?」
「うん」
お互い、困ったように笑って、それから歩き出した。
「家どっち?駅まで行く?」
「うん」
「北鉄?JR?駅まで送ってくよ」
「朝倉君は?」
「俺はこのまま歩いて帰るつもりだけど」
「家近くなんだ。じゃあいいよ、わざわざ送ってもらわなくても」
「女の子を一人で帰せません。それに、駅まで直ぐそこだから」
智優はそういって、一花をさりげなくエスコートしながら駅まで向かう。こういうマメさ
は智優の優しさというより、身についてしまった営業の業やら、かっこよくありたいという
見栄だ。スマートな男を演じている自分が何より好きな智優は、こういうことが得意だ。
彼女に対して下心は無いけど、かっこいい男を演じている自分には酔っている。
「朝倉君って昔から、そう言うところ優しいよね」
彼女はアルコールで赤くなった頬を更に赤らめてポツリと呟いた。
「女の子には優しくしとけっていうのが我が家の家訓だからね」
智優も調子に乗って笑った。
ほんの少し、一花の身体が智優に近づいた。歩いていると、時々一花の肩が智優の腕を
掠っていく。この距離は勘違いする、そう思った瞬間、智優のスーツの胸元で携帯電話が
震えだした。
飛び上がりそうになるのを押さえて、智優は素早く取り出すと、携帯電話のバイブは
直ぐに止まって、着信メールだったことを知る。
液晶画面を開いて、飛び込んできたメールに、智優は今度こそ飛び上がりそうになった。
from:蛍琉
sub:いま何処?
今日、会社の
飲み会だよね
遅くなる?
蛍琉からの着信メールに智優は一瞬で身体を強張らせた。ドクドクと鼓動が速くなる。
こんなタイミングでメールが来るのは、まるで見張られてるみたいだ。蛍琉がこんな時間
にこんな場所にいるはずは無いと、高をくくってみても、どこかに残る罪悪感までは、消せ
なかった。
「・・・・・・朝倉君?」
「いや、うん。大丈夫」
コンパに行くと素直に告げなかったのは、面倒くさかったからだ。コンパだといって、少し
でも蛍琉の気持ちを曇らせるより、会社の飲み会にして、何事も無く家に帰った方が、楽
だと思ったからだ。出会った子に手を出そうとか、そんな気持ちは無かったのは確かだけど
嘘がばれれば、ずっと面倒くさいことになる。
智優は後ろを振り返りたい気分だったけど、それも怖くて、緩めた足取りを戻した。
それから、蛍琉には、「今終わったところだから、そろそろ帰るよ」とだけメールした。
蛍琉からは分かったとだけ返事があった。
大丈夫。多分大丈夫。一人で詰まらなくて、メールしてきただけだ。時計を見ると、9時
を少し過ぎたところで、一人きりの休日を大いに満喫した蛍琉がそろそろ暇になってくる
時間だと智優は自分に言い聞かせた。
「わざわざ駅まで送ってくれてありがとう」
「イエイエ、どういたしまして」
「朝倉君と話が出来て楽しかった。高校の頃は、穂香に遠慮もあって、あんまり話し掛け
られなかったけど、朝倉君ってやっぱり優しくて面白いんだなあって・・・・・・」
「ははは、褒めても帰りの電車代くらいしか出せないよ」
「もう、そんなのいらないわよ」
一花も丸みを帯びた声で言うと、智優を見上げた。
名残惜しそうな、もう一言言いたそうな顔をしている一花を、智優は優しく背中を押した。
「電車、乗り遅れるよ」
「・・・・・・うん。ありがとう」
「じゃあね」
「うん。バイバイ」
智優は彼女が改札口の向こうに消えるのを見届けると、自分も背を向けてその場から離れた。
一花のまとわり付きそうな想いは、振り払って、何事も無かった顔に戻る。この嘘は、
さっさと忘れてしまうに限るのだ。
家に帰って、残り少ない蛍琉の休日を一緒に過ごそう、そう思ってマンションへの道を
歩き出す。一人でつまらなかったなんて甘えながら自分に絡み付いてくる蛍琉を想像して
智優はくすっと笑った。早く帰ってやろう。
駆け出そうとした瞬間、智優は背後から名前を呼ばれた。
「智優」
「・・・・・・え?!」
名前を呼ばれて、振り返ると、そこには無表情の蛍琉が立っていた。
――>>next
よろしければ、ご感想お聞かせ下さい
nakattakotonishitekudasai ©2006-2010 kaoruko since2006/09/13