なかったことにしてください  memo  work  clap

 それは、オレの人生にとって最低最悪で、踏み潰しても焼き払っても消え去ることなく
オレの心の中に深く突き刺さったままになった。
 10月13日。
それは、オレが生まれて16回目の記念日。そして、尊敬していたサッカー部の巧先輩が
オレの兄貴の恋人だったと知った日。
わずかに開いたドアから見えた巧先輩は兄貴の上で信じられないくらい淫らに腰を
振っていた。
先輩のお尻が丸見えになって、そこに刺さっているのは、どう見ても兄貴の・・・。
微かに聞こえる先輩の喘ぎ声。釘付けになったオレは、巧先輩の下で巧先輩の腰に手を
当てて揺さぶるオレの兄貴と瞬間目が合った。
そして、事もあろうにあいつは、ニヤって笑ったんだ。まるで勝ち誇ったかのように!!
最悪だ、最悪だ、最悪だー!!
オレは自分の部屋に一目散に逃げ帰って、ベッドの中に潜り込む。
小さくても、その瞬発力と判断力を評価されウチの高校のエースストライカーになった
憧れの巧先輩。ガタイがいいだけのオレにとっては、ホント憧れで・・・。
高柳達に言わせると、すごいベビーフェイスの中に鬼を飼ってるとか。確かに試合中の
巧先輩は恐ろしくかっこいい。
そんなオレの憧れが・・・。
なんで、なんで、兄貴とあんなことしてんだよ!!
夢であってくれ。嘘だと言ってくれ。・・・先輩、嘘だって言ってください!!


まどろみからオレを現実の世界へと呼び戻したのは母さんの声だった。
「和也ー、智己ー。ご飯よー」
階段下から聞こえる大きな声に、オレはベッドの中で小さく返事をする。
隣の部屋から足音が聞こえる。その足音が一つだということを確認する。どうやら
巧先輩は帰ったらしい。
そもそも、なんで巧先輩はウチに来ていたのか・・・オレは寝ぼけ頭を回転させてみる。
今日からテスト週間に入って、部活が休止になった。それでオレは、高柳の一緒に勉強
しようぜ、という誘いを断って一人で家に帰ってきたんだ。どうせ、高柳達と集まると
勉強といいつつ、脱線ばかりで無駄な時間を稼ぐだけだと1学期のテストで痛いほど分かって
いたし、今日はなんとなく家で過ごしたい気分だったんだ。だからといって、家で真剣に
勉強するってわけでもないんだけど。
とにかくオレが一人で帰宅すると、家の前で兄貴が巧先輩と歩いているのを見つけて
驚いて声を掛けた。
「あ、あれ?」
「よ、秋月も今帰り?」
「はい」
「なんだ、テスト週間だからツレのとこ行ってるんじゃないのか」
兄貴が皮肉たっぷりにオレに言う。兄貴はオレが高柳の家で勉強しても大して身に付いて
ないことをよーく知っているからだ。
「今日は行かない」
「あ、そ」
兄貴は興味なさそうな返事をする。
「ところで、巧先輩、兄貴と知り合いだったんですか?」
「あれ?トモ言ってなかったの?今年、俺、トモと一緒のクラスなんだ」
ト、トモ・・・?
いや、別に兄貴の名前をどう呼ぼうが構わないけど、なんですか、そのお友達オーラ
全開の呼び方は・・・。
兄貴も巧先輩にトモと呼ばれていることに違和感など微塵も感じてないようで、
「別に、言う必要性がなかったからな」
と、しれっと言った。
オレはちょっとカチンと来て兄貴にさりげなくパンチをお見舞いする。
「オレ、何度も巧先輩の話してたんですよ。サッカー部ですげーかっこいい先輩が
いるって。兄貴、知ってるか?って」
「ふーん、それで?」
巧先輩がニコニコ笑ってオレの説明を聞く。
「興味ない、だそうです」
あれ、今なんか空気変わった?
それでも、相変わらず巧先輩はニコニコ笑ってるし、兄貴は仏頂面だ。
「おい、巧、行くぞ」
そう言うと兄貴はオレを睨み付けて、とっとと家に入ってしまった。
巧先輩はオレに笑いながら言う。
「トモって家でもああなんだな」
「家でもってクラスの中でもあんなんなんですか?」
「どうかな、あれでも一応生徒会長だし、外面はめちゃめちゃ良い方だよ」
「ああ、昔から猫かぶりは得意みたいです」
「でも、ホントは腹黒」
「あはは、よく知ってますね」
まあね、と巧先輩は肯くと、鞄から袋を取り出した。
「そうだ、今日、お前の誕生日だろ?コレやるよ」
「ええ!!先輩、オレの誕生日覚えててくれたんですか?」
「だって、お前、2学期に入ってからずっと言ってただろ、誕生日がテスト週間初日
なんてちっともうれしくないって」
そりゃ、そうなんだけどさ、それでも先輩がオレの誕生日を覚えててくれてしかも
プレゼントまで用意してくれてるなんて、なんかむちゃくちゃ感激なんですけど!!
「あ、あの、ありがとうございます」
「ああ、いいよ、別に。たいしたもんじゃないし」
オレが頭を下げてる間に、じゃあなっと言って巧先輩は家の中へ消えていく。
玄関奥では、お邪魔します、という先輩のハスキーな声が聞こえた。

そう、それが今日の夕方のことで、オレが追いかけるように家に入ると、母さんが
玄関先で馬鹿みたいにでかい声で
「智己のお友達って、べっぴんさんねー」
とうっとりとして言う。
「なんだよ、それ」
「だって、うち二人ともこんな怖い顔になっちゃったしさー、もっとかわいい男の子
がほしかったわー」
「わるかったね、ただでかいだけの男になっちゃって」
「ホントよねー。あ、そうそう、今日、和也の誕生日でしょ?お祝いしてあげる、
今日の夕食、何がいい?」
「別になんでもいいよ」
子どもじゃないんだから・・・。母さんはいつまで経ってもオレをかなりの子どもだと
思っているらしい。
「あら、そうなの?じゃあ、好きなもの作っちゃおうっと。あ、そうそう、ケーキ
買ってあるからね」
「・・・オレの誕生日じゃなくて、ただ母さんが食べたいだけでしょ」
「あら、いいじゃない。今日は奮発してキルフェのケーキ買ってきたのよ」
後で食べにいらっしゃい、と母さんは言いながら台所へ戻っていった。
部屋に入ると、オレは隣の部屋が気になって、なんだか無性にそわそわして、開いた
数学の教科書は結局一ページも進まないまま、ベッドに転がる。
隣の部屋では何か会話をしているらしく、時々先輩の笑い声が微かに聞こえてきたり
するが、何をしゃべっているのかは全く聞こえない。
「なんで、兄貴と先輩が友達なんだよ・・・」
3度ほどベッドの上で寝返りを打つ。何もかも手に付かない。
「あー、辞めた、辞めた。ケーキでも食ってこよっ」
オレはベッドから飛び起きると、台所に降りた。
「母さん、ケーキあんだろ?」
「あるわよ、冷蔵庫。結局あんただって食べるのね」
「悪りーかよ、オレの誕生日に買ってくれたんだろ?」
「まあ、そうだけど」
「一人で食ったら太るよ」
「まあ、ひどい子」
「どっちがだよ!!」
そんな会話を交わしながら、オレは母さんの買ってきたケーキを食って、気持ちを
落ち着けた。
イライラしてるときには甘いものとはよく言ったもので、腹一杯になると、なんとなく
まともな思考ができるようになる。
兄貴が巧先輩のことを黙っていたのはむかつくけど、あの2人が友達だったとしても
何にもおかしくはないだろう。同じクラスなんだし。
オレは自分の部屋に戻ろうと立ち上がった。そこに母さんが、
「智己達にも、ケーキあるから、降りてらっしゃいって言ってくれる?」
というので、オレは二つ返事でOKする。
そして、階段をあがり、兄貴の部屋の前に立って、声を掛けようとしたら、この有り様
だったのだ。

「和也ー?聞こえてるの?ご飯冷めちゃうわよ」
さっきよりも大きな母さんの声で、オレは撃沈した身体を引っ張り上げる。
夢だったらいいのに、と思って振り返った机の上には、巧先輩から誕生日プレゼント
にもらったリストバンドがちゃんと乗っている。
オレは深いため息を吐いて部屋を出る。思考はほぼ停止したまま機能していなかった。
台所に降りたら、夕食に赤飯が乗っていた。
「だって、食べたいもの無いっていうから、好きなもの作ったのよ。せっかくお祝い
なんだから、うふふ、いいでしょ」
「いいでしょって、母さんねえ・・・」
16歳の誕生日に、お祝いに赤飯が出てくるなんてどこの国の習慣だよ!!
腹を抱えて笑っている兄貴を睨み付け、席に付く。
イヤ、別に赤飯は嫌いじゃないけどさー、こんな子ども染みた祝い方されると、どうも
気恥ずかしくて腹が立つでしょ。
「別に、いいだろ、母さんが一生懸命作ってくれたんだから」
何食わぬ顔でビールを飲む父さんを尻目に、オレも無言で赤飯に手を付ける。
「あ、ちょっと待ってよ、みんなで和也におめでとうって言ってからよ」
あー、もう、ここは、保育園の誕生会ですか!!

散々な夕食の後、オレは部屋に上がった兄貴を追いかけた。問答無用で兄貴の
部屋に入ると、兄貴に食って掛かった。
「どういう事かちゃんと説明しろよ!!」
「何の話だ」
「しれって言うな!!巧先輩と兄貴のことだよ!!」
怒りをぶつけて言うと、兄貴は殊更でもないように流す。
「どうもこうもない。お前が覗き見したのが全てだ。だいたい、お前が俺の部屋
なんぞ、覗かなければ痛い目にも合わなかったのにな」
「な・・・」
オレは絶句して、固まった。
どう考えたってわざとだ。オレが巧先輩のこと、尊敬してること絶対知ってて、
それで家に誘って、そんでもって、アレを見せたんだ。
ドアだって、わざと半開きにしてあったに違いない。そうでなければ、目が合って
ニヤなんて笑わない。腹黒い兄貴の最高の嫌がらせだ。
「いつからなんだよ」
「何が?」
「いつから、巧先輩と、その、そういう・・」
「そういう?ああ、いつから、巧とセックスしてるかって?」
兄貴からそんな言葉が飛び出してオレは頭が瞬間沸いた気がした。
「お前がサッカー部に入ってから」
「てめえ、オレをダシに近づきやがったな!!」
「勘違いするな、お前をダシに使ってきたのは巧の方だ」
「は?」
「明日にでも聞いてみればいい。近づいてきたのはあいつだ」
さらに兄貴から聞かされた言葉はショックで俺は完全に撃沈した。
「う、嘘だ。巧先輩が、てめえなんかに・・・」
「信じないなら、別に俺はそれでも構わん。さ、勉強の邪魔だ、出てけ」
オレは取りつく島もないまま部屋を追い出される。
先輩に聞くったって、何を聞けばいいんだよ!!
兄貴の部屋で何してたんですか?兄貴とはどんな関係なんですか?本気なんですか?
それとも、ただのアソビなんですか?
はっ・・・どれも聞けるわけないじゃん!!
とぼとぼと部屋に戻ると、オレはベッドに倒れ込む。巧先輩からプレゼント貰って
ケーキ食って、そこでオレの人生が終わってたらどんなによかったか・・・。
もう何を思っても修正の利かない事実に、オレは眠ることでしか、対処できなかった。




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