物欲の天使さま
壱琉からの電話で取立てが来ていることは分かったが、それ以外の状況が全く掴めなかった。
巽樹は額に汗を浮かべながら、壱琉の部屋を見上げた。
壱琉の部屋には何度も来た事がある。エントランスで教えられていたキーを入力し解除キー
を押すとドアが開いた。エレベーターに乗り込んで汗を拭く。どんな状況でも冷静を保てる
ようにあらゆるシチュエーションを想像し、深呼吸を繰り返してそれに備えた。こういう
のは平静を乱した方が負けだ。
エレベーターを降りるとカツカツと革靴の音を鳴らして、巽樹はゆっくりと壱琉の部屋へ
と向かった。
玄関のドアは鍵が開いていて、無断で入ると言い争う声が聞こえた。巽樹は僅かに顔を硬直
させて声のする方へと進んだ。
リビングに入ると恐持ての男が3人。1人は壱琉の胸倉を掴んで脅していた。
「ちょっとお邪魔するよ?」
リビングの壁をコンコンと叩くと、その場が一斉に巽樹を向いた。
「巽樹……!」
「ねえねえ、何してるのそれは」
今すぐにでも引き剥がして、相手の男をぶちのめしたい気持ちを拳の中で潰した。巽樹は
声が震えないようにわざとらしく軽い声を出した。
「ああ、あれ?壱琉のコンタクトのごみ取ってあげてるとか」
「なわけないだろ!」
悲壮感の漂っていた空間が一気にしらけた。壱琉につっこまれても、巽樹はじゃあなんだろう
などととぼけている。
胸倉を掴んでいた男はばつが悪そうに壱琉を解放した。
「痛って…」
「分かってんだろうな?」
「……分かってるよ。払えばいいんだろ!!」
壱琉が床を睨みつける。そこには紙切れが落ちていて、巽樹はそれを拾い上げた。
「ふうん、督促状ね」
巽樹は督促状の数字を眺め、計算を始めた。短期間に100万の借り入れが200万に膨れ上がる
なんて、真っ黒な商売じゃなければありえない。
「あらら〜。壱琉、100万も借りちゃったの。ちょっとヤバイんじゃない?」
「だって、巽樹が……」
「俺が何?金貸さなくなったから、こんなトコで借りちゃったって?壱琉が無計画な買い
物しなきゃよかったんでしょ?」
「そうだけど!巽樹が貸しえてくれてたら、200万に膨れ上がることもなかった!」
「そんな考えだから、壱琉はいつまで経っても借金まみれになるんだよ?どうするの?
この返済。返す当てあるの?」
壱琉の頬がぴくぴくと引きつった。
「いらないものを売って、もっと質素に暮らしたらなんとかなるかなあ……最悪自己破産
だろうけど、それはしたくないでしょ」
「巽樹、助けに来てくれたんじゃないのかよ……」
せっかく救いの王子が来たかと思ったのに、突き放されて壱琉は下唇をぎゅっと噛んだ。
その様子を見ていたPローンの社員が息を吹き返した。いやらしい笑みを湛え、再び壱琉に
噛み付いてくる。
「王子様じゃなかったみたいで、残念だったなあ。……これで、残りの選択肢は一つだな」
壱琉がびくっと身体を震わせた。
「残り?」
巽樹が突っ込むと、Pローンの男はテカッた鼻を膨らませて言った。
「金がないなら、身体で金作ってもらうってことだ」
今、自分の感情を殺さず素直になっていいとしたら、巽樹はそこにいる3人の男を全てぶち
のめしていただろう。
奥歯をかみ締め怒りを磨り潰すと、巽樹は再び督促状を見た。
それから、計算機代わりに携帯電話を取り出すと、利子率の計算を始める。
「……見事なまでのトイチなわけだ」
試しに十日で一割という違法な利子率で計算するとばっちりと計算が合った。
「そういう契約だからな」
当然といった風に男が答えると、巽樹は首を振った。
「おたく、その契約自体が違法って知ってる?まあ知ってるよね。知っててやってるんだ
もんね。あ、そもそも、Pローンさんって貸金業の登録してたんだっけ?」
「……」
「あら〜。してないのか。それって、いわゆるヤミ金だよね?壱琉、知ってる?ヤミ金で
借りたお金は返さなくてもいいって」
「え?!」
「なんだと、こらぁあ!!」
「てめえ、ふざけんな!!」
社員の男たちが一斉に巽樹に食って掛かった。
「俺のこと殴ったり手出したりしたら、訴えるよ?んで?おたくは登録してるの、して
ないの?ほら、登録番号見せてよ」
巽樹の強気な態度にPローンの社員達は動揺しはじめた。このご時勢随分と杜撰な営業マン
だとは思うが、それが今までまかり通っていたとすると、騙された人はそれほどまでに
切羽詰っていたのかもしれない。
巽樹は首を振った。
「そういうことだよ、壱琉」
「え?か、返さなくていいの…?!」
壱琉が僅かに表情を緩めて巽樹と社員を見比べている。男は顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。
「ふ、ふざけんなよ!ちゃんと登録くらいしてるに決まってるだろうが!!」
「ふうん、そう……」
巽樹は顔に手を当てて、考えるしぐさを取りながら、社員達を一瞥する。長身の巽樹に見
下されると、それなりの迫力があり、社員達は黙って巽樹の出方を待った。
違法の商売に金を返す義務など無いが、あまり感情を逆撫でするのもよくないだろう。
踏み倒したとしても壱琉の個人情報は手元に残るのだし、今後のことを考えれば、穏便に
済ませた方がいいと巽樹は判断した。
「分かった。俺が壱琉の代わりにその借金返す」
「え?!」
「!!」
壱琉も含めてその場にいた人間が一斉に巽樹を見上げた。
「巽樹、今なんて……」
中でも一番驚いているのは壱琉で、黒目が飛び出てくるんじゃないかと思うほど目を開いて
巽樹を見ていた。
「壱琉、そんなに見詰めたら瞳孔が開いて死んじゃうよ」
「だって、巽樹、今……」
「うん。だから壱琉の借りたお金、俺が返すって言ったの。……別にいいんでしょ?誰が
返しても」
「そ、そりゃあ、返してくれるなら俺達は別に……」
急に態度を変えた巽樹に社員達はついていけず、お互いの顔をおろおろと見詰め返している。
巽樹は一層鋭い眼光で社員達を見下ろした。
「こいつの借金は俺が全部肩代わりしてやる。明日また来い」
巽樹は督促状をびりびりと破った。
「何してやがる…!」
「こんな違法な紙切れ、もういらないでしょ。何の効力もないし」
「……っ。てめえ、本気で返す気あんのか!!200万だぞ!!200万。200万きっちり耳
そろえて返せ。わかってんだろうな!!」
一人が噛み付くと、一番下っ端の男が訝しげに巽樹を睨んだ。そうして、隣にいた先輩格
の社員に告げ口をはじめた。
「こいつホントに返す気ありますかね?踏み倒したりしないっすか。明日また来いなんて
いいながら、ここ、もぬけの殻になってるかもしれないし。そんな甘いこと言ってないで
今すぐ払ってもらったほうがいいんじゃないっすか?」
社員達は巽樹の手の中でビリビリに破られた督促状を見て鼻息を荒くした。
「そうだな。督促状を破るヤツなんて信用ならん」
「今すぐ払え」
沸点の低い男達に呆れながら巽樹は溜息を吐いた。
「だから、返さないなんて一言も言ってないでしょ?明日来いって言ってるの分からない
かなあ。明日来たら、きっちり法定金利で計算しなおして返してあげるよ」
「!!」
「法定金利だよ。消費者金融名乗るなら法の下で決まった金利で計算してくれなきゃ」
「ふざけんなよ!200万って書いてあったの忘れたのか!!」
唾を撒き散らして怒鳴る社員に対して、巽樹は冷静に言い放った。
「君達だって金貸し業してんだからトイチが違法なことくらい知ってるでしょ。違法な
金融業には返済義務はないんだよ?」
「うぐぅ……」
男は唸って巽樹を睨んだ。200万請求して違法業者として踏み倒されるか、法定金利でも
債権を回収するか、小さい脳みそで一生懸命考えているようだった。その姿が滑稽で巽樹
は小さく苦笑いを浮かべた。
「わ、わかった。明日また取りに来るからな!!きっちり用意しておけよ!!」
「はいはい。わかってるよ」
巽樹はひらひらと手を振って、さっさと帰るように促した。
「いいんすか?」
「仕方ないだろ」
「でも……」
「いいんだよ、ほら、帰るぞ」
「はい」
社員達はばつの悪そうにとぼとぼと帰って行った。
Pローンの社員達が帰ってしまうと、緊張の糸が切れた様で、壱琉はソファにへたれ込んだ。
巽樹は呆れた顔をして部屋を見渡している。
相変わらず壱琉の部屋は無駄に贅沢だった。無駄に広いリビングと高級皮ソファ。誰も
使ってないと言う部屋が1つ。リビングの向こうには一人では寝るのにはもったいない寝室
があった。
巽樹は壁のニッチに埃まみれで飾ってある小さな絵画を見た。有名な画家が描いた小作品だが
壱琉が大切にしているようには見えなかった。
インテリアもどうみても壱琉の趣味でないし、通販で購入したらしい物がダンボールのまま
部屋の隅に積まれていた。
家なんて疲れて帰って寝るくらいなのに、贅沢の仕方が間違っている。こんなもので心が
癒されるようには思えないし、身の丈にあった生活をすれば壱琉だって借金まみれになる
ことなどなかったはずだ。衝動買いをすることでしか満たされないのだとしたら、かわい
そうな病気だと巽樹は思った。
「さて、と」
巽樹は無意識の内にポケットからタバコを取り出すと口に咥えていた。巽樹もそれなりに
神経をすり減らせていた。ヤクザまがいの人間に気後れせず終始優位に立ち、追い返すなど
巽樹の人生になかったことだ。とにかく一服したかった。急激に身体がニコチンを欲し
はじめ、巽樹はイライラしはじめた。火をつけようと思って灰皿を探す。そこで、壱琉が
タバコをすわないことを思い出した。
巽樹は火のついていないタバコを咥えたまま、壱琉の隣に座った。
「あー、疲れた」
巽樹はネクタイを緩めテーブルの上に行儀悪く足を掛けた。
「あ…の……。ありがと……」
壱琉がもそもそと礼を述べると、巽樹は大きく息を吐いて壱琉を振り返った。
「ちょっとは分かった?壱琉。どんだけ危ない橋を渡ってるか」
「……」
「取りえず、あの未開封のものは返品ね。まだ間に合うものもあるでしょ?」
「うん…」
「あとは、いらないものは質にでも持ってってみるか」
「いらないって……」
「あるでしょ。どこのブランドか知らないけどこのバラの花の花瓶とか。ペアグラスとか」
「あんなの売れるわけ無い」
「そう思ってるのは壱琉だけだよ。綺麗に磨けば多少付けてくれるかもしれないでしょ。
今は少しでも借金を減らすことを考えなきゃ。あっちの使ってない部屋にもまだまだ置いて
あるんでしょ?」
「……うん」
壱琉はクリクリの目を瞬かせた。まつげが僅かに涙で濡れている。それが妙に色っぽくて
巽樹は目を逸らした。こんな綺麗な顔して黙っていれば完璧そうな男なのに中身は欠陥人間
の壱琉。外見に惚れてがっかりして去っていくヤツもいる中、自分は何十年もその全てを
受け入れ、愛している。気持ちを告げようと思ったことは何度かあるけど、その関係を
崩すことを考えるとあと一歩が出せなかった。
せめてお金を提供することで壱琉を支えられたらと思っていたけれど、それが裏目になって
いたことを痛感した。
覚悟する時なのかもしれない。巽樹は火の付いてないタバコを離すと、出来るだけさらり
と言った。
「ああ、あと俺が貸した借金も全部チャラにするから」
「え!?」
壱琉は驚いて身体を起こした。
「チャラって、お前俺がどんだけ借りてたか覚えてる?」
「覚えてるよ、430万円。まあね、もう返ってこないと思ってたから、正直どっちでもいい」
「巽樹……」
壱琉が言い訳を取り繕うともじもじしていると、巽樹は真面目な顔で壱琉を覗き込んだ。
「ただし。全部チャラにする代わりに、俺が全部管理する」
「!?」
「これは命令だからね。壱琉に拒否権はないよ。借金チャラにしてあげるんだから」
「管理って何だよ」
壱琉は少々むっとして巽樹を見上げた。
「壱琉の管理を俺がするってこと」
「はあ?」
「壱琉を一人にしとくわけにはいかないから、まずこの家は引き払うこと。壱琉は俺の家
においで」
「な……!?」
急な展開に壱琉は軽くパニックになった。なんで自分が巽樹のマンションになんて行かなきゃ
いけないのか。巽樹のマンションを思い出して首を振る。2LDKの普通のマンション。お洒落
でもなければ、高級感も漂ってない普通の部屋。
「……巽樹のボロアパートになんて暮らせるか」
ぶすっとたれる壱琉に巽樹は苦笑いした。
「そういうと思って、引っ越した」
「え?」
壱琉は驚いてソファから飛び起きた。巽樹は手の中のタバコを弾いている。
「あんな狭いボロマンションじゃ、余計にストレス溜まっちゃうんでしょ?お前がそこそこ
快適な暮らしができるようなマンション買っといたから。まあ、あんまり贅沢は言うなよ」
「た、巽樹ぃ?!」
壱琉は完全に言葉を失った。
終始ペースを守りきった巽樹は強引な流れの中で天使を掌に乗せることに成功したのだった。
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