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物欲の天使さま






巽樹は社長室のソファに寝そべって天井を眺めていた。目を閉じても現実が変わるわけでは
ないし、現実逃避する暇もない。
けれど心は殆ど折れかかっていて、誰かに縋りたい気分だった。
「……どうしろって言うんだよ、ねえ?」
呟いた台詞は静かに消えた。
言わなきゃよかったが4割、これでよかったが6割。
珍しくネガティブな感情が先行している自分に苦笑いするしかなかった。壱琉が部屋を
飛び出して行ってはや2週間。
自分が追い出した手前、何処にいるのかなんて聞くわけにもいかず、かと言って手放しで
楽観してもいられず、ただただ悶々とした日々を過ごしていた。
「わかんないなあ……あの天使さまは」
あの日の壱琉を巽樹は思い出してみる。
買い物は疎かセフレのとこにも行くなと言って縛ったのは自分だ。溜まった性欲のはけ口
がないと愚痴るから、自分がセフレになってもいいと言った。
けれど、壱琉はセックスの後で「巽樹はセフレになんてならない」と言ってきたのだ。
どういう意味なのかはやっぱり分からない。わからないけど、思い当たるとしたら、ただ
一つ。自分の気持ちが壱琉に悟られてしまったからだってことだ。
長年親友だと思っていた男と身体を重ねたら、気持ちまで知られてしまい、親友としての
関係にひびが入ってしまったと言ったところか。
だが、もっと分からないことが、その次の壱琉の行動だ。壱琉はどうしてあんなにも怒った
のだろう。
気持ちを知られて気分を害しているのなら素直にこちらから引き下がるべきと思い、苦渋の
選択で解放してあげたのに、あんな不機嫌になるとは思いもしなかったのだ。
好きなところに行って、自分のペースで病気を治し、好きな人に囲まれて過ごす。喜々と
して受け入れると思っていた巽樹はすっかり、肩透かしを食らってしまったのだ。
壱琉が分からない。幼い頃から壱琉の考えていることはお見通しだった。
お金で苦労し始めたころも壱琉のことを一番分かっていると思ったのは自分だ。恋人よりも
セフレよりも壱琉のことを分かっているつもりだった。
だけど、今は誰よりも壱琉がわからない。
それを思うとひどく凹んで、巽樹は他人からも分かるほど落ち込んでしまった。
巽樹がソファでため息を吐いていると社長室がノックされて、社員が入ってきた。
「失礼します」
「お疲れさん。どうしたの?わざわざこんなところまで。緊急?」
「社長、この書類にハンコくださいって言っておいたんですけど」
「ああ、そう。じゃあ机の上に置いて……」
巽樹が言いかけると社員は呆れ半分に首を振った。
「社長〜。そうやってもう3回も社長に渡してるんですけどね」
「え?ああ、ごめん。……はい」
巽樹は印鑑を探しにソファから起き上がった。
「社長、お疲れみたいですね」
「そう?」
「こんなミスする社長初めて見ましたよ」
「そりゃあ、俺だってミスするときだってあるさ。だってにんげんだもの〜」
巽樹は印を押すと資料を社員に渡した。





その日の会議はほぼ上の空で進行した。どうせたいした収穫の無い会議だ。巽樹はそう決め
込むと、自分の気持ちを壱琉に飛ばしていた。
「……社長、そろそろ時間です。議題があと1つ残ってるんですけどどうします?」
「うん……じゃあ会議の続きは火曜日の10時に」
「社長、それだと会議がブッキングしますけどいいんですか?!さっき決めたばっかり
なんですけど」
秘書に言われて慌ててスケジュールを確認する。流石にばつが悪くなり巽樹は顔を擦った。
「え?……あ、そうか。じゃあ午後一にしよう」



頭の中のもやもやした部分を追い出そうと、椅子に座ったまま大きく伸びをした。
カツカツと靴音がして、身体を起こすと梶が呆れ顔で近づいてきた。
「何?忘れ物?会議の資料ならそこに残ってる……」
「らしくないな」
「……」
「当ててやろうか」
「何を?」
「巽樹が落ち込んでる理由」
「……」
視線を上げると、ニヤニヤした瞳の梶と目が合った。巽樹は格好付けるように腕を組んだ。
「うん。是非その理由とやらを聞かせて?」
「おや?壱琉が出てっちゃったっていうのに意外と強気なんだ」
梶はさらりと巽樹の隠していた事実を暴いた。壱琉が出て行ったことはまだ誰にも言って
ない。それを知っているということは梶が巽樹の家まで来て確認したか、梶が壱琉本人
から聞いたかどっちかだ。前者ではないことは明らかだし、そうとなれば残る選択肢は一つ
しかない。
強張った顔のままで、巽樹は梶を見上げた。
「梶、どこまで知ってんの」
「8割くらい」
流石に巽樹も驚いて目を見開いた。当然、8割の中には友達のままセックスをしてしまった
ことも入っているだろう。
「会った?」
「まあね」
壱琉は飛び出した後、どこに行ったのだろう。その手がかりを知っている男が目の前にいる。
藁にでもすがりたい気分だ。
「というわけで、巽樹の落ち込んでいる理由。当たり?」
「随分はしょってるなあ」
「がっつり説明して欲しい?いいよ。巽樹のプライドが許すなら」
「いいよ、やめとく。梶は根拠がなきゃ強気発言しないでしょ」
巽樹は大方壱琉から話を聞いているだろうと推測して自嘲した。壱琉から聞かされた事実
に、巽樹の壱琉への気持ちを梶は織り交ぜて、巽樹の今の心情を察している。
壱琉に言った言葉を思い出しながら巽樹は首を振った。
「……どこにいるの」
「追い出しておいて、聞く?」
「追い出したわけじゃないよ。勝手に出てっただけ」
「言うねえ。追い出されたってぶーたれてたよ、壱琉」
「解放してあげただけだよ」
幼馴染とセックスして気持ちがばれたと思って逃げた巽樹と、親友だと思ってたヤツと
セックスして、好きになって挙動不審になった壱琉。
傍から見て、二人の気持ちを知っている梶には滑稽すぎだ。
「……っとに、お前らは」
「何?」
「肝心な時に逃げるんだもん。攻めの男がこんなときに守りに入ってどーすんの」
「だって最低限の保身は必要じゃない?」
「分かってないなあ」
「何が」
「これも恋は盲目ってヤツなのか。その鋭い洞察力で壱琉の気持ちも見抜けよ」
「……見抜いたつもりなんだけど。壱琉、俺の気持ち知って気持ち悪がってたんでしょ?」
だから解放したんだと巽樹は呟いた。
なんて馬鹿な勘違いを二人とも重ねているんだと梶は頭を抱えたくなった。
「あー!もう無理!」
「梶?」
「お前らのWうじうじ攻撃に、俺の身体は痒くて仕方ない」
「どういうことだよ」
「壱琉には黙っててって言われてたけど、こんな生活、俺は耐えられないぞ」
「梶?!」
梶はわざとらしく溜息を吐いて巽樹を見下ろした。
「……壱琉さ、俺のとこにいるよ」
「!?」
巽樹は思わず半分腰が浮いた。驚いて梶の胸倉を掴みそうになって我に返る。再び椅子に
もたれ込むと頭を掻いた。
「……そう。無事なら、いい」
「ねえ、なんで俺のトコにいると思う?」
梶がニヤっと笑って見せると、巽樹は舌打ちした。
「さあ。お前が性処理の相手でもしてやってるとか」
「……何度言わせる。俺は、壱琉にはかけらも萌えないの!中学時代知り合いには、死んでも
手を出さん」
ふんと鼻を鳴らして梶が言う。巽樹は頭では分かっているつもりでも疑いが晴れない気分
だった。だってあんな天使を前に萌えないゲイなんているか?と超自分目線でモノを言いそう
になって苦笑いになった。
「……梶がそう言うならそういう事にしとく」
「ったく。さっさと迎えに来いよ?お前が迎えに来なきゃ丸く収まらん」
「……出てけ行った男がどの面下げて迎えにいける」
巽樹が言い訳をたらたら言いそうになると梶はそれを振り切って言った。
「言っとくけど、お前に迎えに来てもらいたいから壱琉は俺のとこにいるんだからな」
「え…?!」
「巽樹、お前ってホント壱琉のことになると頭が悪くなるよな」
「失礼なこと言うな」
「だからその馬鹿な頭に教えてやるよ。壱琉はなあ……」
続く言葉に巽樹は絶句した。





梶の部屋に戻ってきても、梶は不在だった。
「仕事好きだなあ、梶は……」
壱琉は誰もいない部屋の電気を付けてリビングのソファに倒れるように埋まった。
梶の家に転がり込んでから2週間とちょっと。行く当てがなくて梶に頼るしかなかった。
梶はイイ奴だし自分をゲイとしてでなく友人として扱ってくれる数少ない友人だ。だけど
青春物語みたいに、黙って受け入れてくれるほどお人好しでもなく、壱琉は粗方の経緯を
しゃべらされてしまった。
巽樹とセックスしたことや出て行けと言われたこと、自分が巽樹を好きだと気づいてしまった
事までしゃべってしまうと梶は大爆笑して喜んだ。
そして満足したように頷いて、ここに置いてくれると約束した。勿論巽樹には秘密で。
けれど問題は先送りされただけで一ミリも解決はしていなかった。とりあえず逃げ出した
だけで、壱琉の気持ちは伝えてもないし、そもそも伝えていいのかも分からない。もしかして
この気持ちがばれていたとしたら、どうしていいのかも分からなかった。
そうこうしているうちに2週間が経って、壱琉の心はグルグル回るばかりだった。
「……ったく、情けないなあ」
壱琉がソファに埋もれていると玄関のドアが開いて誰かが入ってくる気配がした。
梶が帰って来たのだと思って、リビングのドアが開くのと同時に振り返りもせず「おかえり」
と声を掛ける。と同時に自分の描いていた声と違う声が返ってきた。
「!?」
驚いて声の主を振り向くと、何故か巽樹の姿があった。
「巽樹ぃ!?」
「ただいま。久しぶり」
「……ここ、お前んちじゃ……」
「うん。知ってるよ」
「何しに来たんだ……」
「うん。壱琉のこと迎えに来た」
「は?」
その言葉に目をクリクリさせていると、巽樹は勝ち誇ったようなニヤニヤした顔になった。
「壱琉俺の事好きなんだって?」
「なっ…梶、あいつ喋ったな」
「セフレのとこにも行かず、新しい恋人も探さず、俺の事ずっと待ってたの。健気だね」
舌打ちして頭を掻き毟ると、巽樹を直視できなくなって俯いた。
巽樹は長いリーチで壱琉の隣までやってくると、あごを持ち上げて壱琉の瞳を覗き込んだ。
「壱琉、俺の事好きなんでしょ?」
「……聞いたんだろっ」
やり場の無い気持ちで、胃がキリキリと痛み出す。こんな形で巽樹に気持ちが知られてしまう
なんて不本意だった。
欠席裁判みたいな気分だ。勝手に話が進んで、審判が下るのを待つだけ。
巽樹はどう思ってるんだろう。ゲイで幼馴染の男が突然好きになったなんて、踏みにじって
しまいたい真実だとしたら……
不安で唇をかみ締めていると、その唇を巽樹の指が優しくなぞった。
ざわざわと体中の血がざわめく。恐る恐る巽樹の視線を追うと、巽樹の端整な顔がゆっくり
近づいてきた。キスされる寸前で巽樹の唇は壱琉の耳たぶへと流れて行って、耳元でテナー
ボイスが囁いた。
「帰るよ」
「……どこに!?」
「俺の家に決まってるでしょ」
「な…!だっ……」
言い終わらないうちに、今度は本当に唇を塞がれて、壱琉はパニックになった。
もがいて巽樹から逃げるように唇を離すと、すっかり赤く染まった頬で巽樹を睨んだ。
「何すんだよ!」
「だって、俺の事好きなんでしょ?」
巽樹は壱琉をソファから引き上げて立たせると、ニコニコと笑って頭を撫でた。
「……梶、なんて言ったんだ」
「さぁね。まあいいじゃん。そんなこと。それよりさっさと帰ろう。俺腹減ってる」
話がさっぱり見えない壱琉は強引過ぎる巽樹の行動に眉を顰めた。
キスされて、一緒に帰ろうだなんて……それじゃまるで……
「た、巽樹は……!」
「何?」
「お前は!……俺の気持ち知って余裕こいてんじゃねえよ!!」
壱琉が暴れだす前に巽樹は壱琉を抱きしめて耳元に唇を落とした。
「あ、忘れてたけど、好きだよ壱琉」
「……」
「壱琉がまだ学ランとか着てた頃からずっとね」
「!!……そんな大事なこと言い忘れんなよ、ボケ!」
「気にするなって。大したことじゃない」
そう言ってのけた巽樹の心臓の音が壱琉まで届いて、それがとても早く動いていたことに
壱琉も切なくなった。
「……迎えに来るのが遅いっつーの」
壱琉も巽樹の大きな身体を抱きしめ返した。





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