「動けデブ!」
響き渡るドスの効いた声に、そこにいた生徒は一斉に声の主を振り返った。
見ればバスケットボールが怒鳴られた相手の腹に当たって、タンっと床に転がっている。
小さな唸り声が上がって、当たった腹がぽよんと揺れた。
体育館では恒例のクラスマッチが開催されていて、バスケやバレーの試合が所狭しと繰り
広げられている。
第二コートは試合前の10分間練習が既に始まっていたが、その声の所為で練習は中断した。
「このデブ!邪魔なんだよ!」
再び上がる罵声に対戦相手のクラスの生徒は表情を硬くする。怒鳴られている相手は太め
の体に汗を浮かび上がらせて、肩で息をしながら唇を噛み締めた。
「怖ええ・・・・・・」
「あれ、バスケ部の真野慧一(まの けいいち)だろ?相手のヤツいくらデブだからって、
バスケ部に言われたら、かわいそうになるわ」
「言われてるやつ誰よ?」
「知らねえな、あんなデブ。でもイジメじゃねえの?ほら、アイツすげえ唇噛んでるぜ?」
「イジメかよー。デブは苛められる運命なんか?怖ええなー」
ひそひそと囁く声をぶった切るように、真野慧一は、ぶつけて返ってきたバスケットボール
を拾うと、再び床に叩きつけた。
「大体なんで、お前が一緒のチームなんだよ!」
「・・・そんなこと言われても」
モゴモゴと聞き取りにくい声で呟く相手に真野は余計に苛立った。
「まあまあ、真野、落ち着けって」
「そうだよ。高城(たかしろ)だって、一生懸命走ってボール取りに行ってんじゃん」
叫び声を上げている男子生徒に、同じクラスのメンバーは苦笑いでそれを受け流す。こちら
は、もうこの光景になれているのか、大半が「またいつものが始まった」といった表情だ。
「だったら、俺の邪魔するな!ゴール下に来るな!コートの隅にでも突っ立ってろ!」
真野は高城と呼ばれた生徒を睨み下ろした。彼よりも20センチ以上低く、そのくせ、真野
以上に体重がありそうな生徒は、むくむくとした二の腕で額の汗を拭うと、真野の鋭い瞳
に歯向かっていった。
「俺だってがんばってんだから、そんなこと言うなよな!」
「なんだと!デブのくせに!」
「ちょっと2人ともやめなって」
取っ組み合いになりそうになる2人にコートにいた同じクラスの生徒が止めに入る。
それをクラスメイトは苦笑いで、他のクラスの生徒は不安げに見詰めていた。
高城亜希(たかしろ あき)は自他共に認める「メタボちゃん」だ。165センチの体に
75キロのぽっちゃりという形容では収まりきらない体重は、それを機敏に動かすには
やや無理のある重さで、クラスマッチや体育の授業では必ず足手まといになる。
「初めはさー、真野君が一方的に切れて、亜希ちゃんのこと苛めるんだろうなって思った」
そう呟くのは、2人の光景を見ているクラスの女子だ。
「そうそう。真野君ってめちゃめちゃ怖い感じしてたもんね。かっこいいけど、近寄り
難い気がしてた」
「亜希ちゃん、あんなのに苛められたら学校辞めるんじゃないかって思ってたけど、実は
全然負けてないよねー」
「亜希ちゃんって意外とフットワーク軽いんじゃないの?見た目、ぽんやりしてるけど、
結構口悪いよねー」
「でもさ2人の喧嘩みてると、ちょっと微笑ましい感じしない?真野君のキャラもなんか
変わってきた気がするし」
「ただの怖い人だけじゃないって感じするよねー」
クラスの女子は今も取っ組み合いになりそうな2人を見て暢気に笑いあった。
高城亜希は女子生徒に概ね好感を持たれている。その理由は見た目のぽっちゃりに反して
暑苦しくない性格と、何故だかさわやかな印象が全体的に漂っているからだ。
「大体、少しは痩せろ!このデブ!」
コートの中では未だに真野が悪態を付いている。
「デブデブ言うな!」
「デブにデブって言って何が悪い」
「悪いわ、それに俺だって好きでデブになったんじゃないやい」
「デブになったお前が悪いんだろうが」
「うるさい!真野にデブの気持ちなんかわかんないだろ」
「分って溜まるか。そんな重い体なんて、死んでもごめんだね。高城の体になるくらいなら、
死んだほうがマシだな」
ふん、と鼻を鳴らして真野は亜希を見下ろす。
「どういう意味だよ!」
「デブで冴えなくてモテナイ体になんて絶対なりたくないってこと」
言われて亜希はむくっとした指を握り締めると、真野を思いっきり睨み上げた。
「じゃあ俺が痩せて驚くほど美少年になっても、お前惚れるなよ!」
「馬鹿か。痩せてから言え」
「やってやるよ!」
「言ってろ」
真野は切れ長の瞳を意地悪そうに吊り上げると、亜希の腹をバスケットボールでぽよんと
押した。
亜希がいつものように真野の愚痴を零していると、正面に座った幼馴染は半ば呆れた口調
で返事をした。
「亜希ちゃん、真野慧一って人に惚れてるんじゃないの?」
「お、俺が!?ありえないって!」
そう指摘されて、亜希は思わず口に入れていたザッハトルテを噴出しそうになる。
「亜希ちゃん汚いって」
「だって、ミサちゃんがいきなり変な事いいだすから!」
亜希はアイスコーヒーを口に含んでチョコレートと一緒に飲み込んだ。
「あー、やっぱり『ムーンウッド』のザッハトルテは美味しいなあ」
「まあね、パパの一番の傑作品らしいから」
そう言うとミサと呼ばれた少女はホットコーヒーに口を付ける。
亜希は学校帰りに、自宅の直ぐ隣にあるケーキ屋「ムーンウッド」で、ケーキ屋の娘で
亜希の幼馴染、月森美咲(つきもり みさき)としゃべっていた。
美咲の部屋に上がりこんで、父親の作るケーキを食べながら美咲とこうやって話しを
するのが亜希の日常だ。幼い頃から一緒に遊んでいた美咲とは今でも仲がいい。
「あーあ、こんな事なら、ミサちゃんと同じ高校にすればよかった」
「何いってんのよ、亜希ちゃん自転車で通うの嫌って言ったから電車通学出来る高校にした
んでしょ?」
「そーだけどさー!よりによって入学していきなりあんなヤツと同じクラスになって・・・・・・
このあと、半年以上も一緒にいなきゃいけないんだぜ?今日だってさ・・・・・・」
亜希は今日のクラスマッチの出来事をぶつぶつと文句を言いながら美咲に語った。
「ふうん。やっぱり亜希ちゃん、惚れてるんじゃない?」
「だからなんでそうなるんだよ」
「うーん。だって亜希ちゃん頭ん中、結構乙女だからなあ」
「乙女って!」
「だってさ、亜希ちゃんケーキ大好きだし、甘いもの好きだし、好きな子出来ると急に
態度がおかしくなるし」
過去、幾度の恋愛を見てきた美咲は亜希の性格を誰よりも熟知しているらしい。
「別にあんなヤツに惚れてないって!大体相手男だよ!」
「それは分ってるけどね。なんか亜希ちゃんのその態度見てると、そうなのかなって思った
だけよ。それで、どーするの?」
「どーするって」
「痩せて見返すんじゃないの?」
「うん!痩せる!そんでもって、真野に俺がどんだけ美少年だったかって思い知らせて、
そんでもって惚れさせるんだ!」
「何それ。亜希ちゃんは惚れてないのに、真野って子には惚れさせるって。やっぱり亜希
ちゃんも好きってことなんじゃないの・・・」
「違うの!俺はあんなヤツ好きでも何でもないって!だけど、アイツに惚れさせて、好き
にならせて、告白してきたところをメッタメタに振ってやるんだ!」
「あ・・・そう」
美咲は完全に呆れて亜希の言葉を聞き流した。
「だからさ・・・」
亜希はそこで、手にしたフォークをお皿に戻すと、丸まった背中を伸ばして美咲を見た。
「何よ」
「ダイエットしようと思うんだ」
「いいんじゃない?私も前から痩せなよって言ってるんだし」
「うん・・・・・・だから、ミサちゃんも付き合ってよ、ダイエット」
亜希はぽっちゃりとした手を合わせると美咲の前で拝んだ。
「あんたねえ・・・・・・」
今時、美咲のクラスメイトでも一緒にダイエットしようなんて誘ってくる友達はいない。
どこまで思考が女子中学生なんだ、と美咲は亜希の乙女っぷりに苦笑いした。
「まあいいけど。とりあえずそのケーキ、止めたら?」
美咲の指の先にはザッハトルテがあと一口。亜希はゴクリと唾を飲み込んで、ケーキと美咲
を見比べる。
それで、迷った挙句出た一言は
「あ、明日から!」
で、そう言うと亜希は残りの一口を口の中に放り込んだ。美咲の父の自信作のチョコレート
が口の中に広がって、亜希は幸せを噛み締める。
「亜希ちゃんってそう言うトコ、すっごい女の子だよね」
美咲の溜め息をよそに、明日からはダイエットがんばると、亜希はチョコレートと同じ位
甘い思考でまったりと夕暮れを過ごしていた。
二学期は行事が目白押しで、クラスマッチが終わるとすぐに遠足が待っていた。
遠足は、クラス全員バスに詰め込まれて、小一時間程走ったところにあるテーマパーク
に連れて行かれることになっている。
亜希はその体形から、細くてひょろっとしたクラスでも目立たない男子と強制的に隣の
席にされてしまい、大して気も合わないクラスメイトを横に、1人窓の外をぼうっと眺めていた。
別に取り立てて誰かと隣になりたいという友達がいるわけでもない。亜希は流れていく
景色に眠気を吸い寄せられてうつらうつらとし始める。
そんな亜希とは対照的に、バスの中は、異様なテンションになっていた。高校生になって
まで、滅多にしない団体行動をさせられたせいだろう。まるで小学生の遠足のような高揚感
が漂っていた。
バスの後部座席を陣取っていた男子生徒の声がバスの中に響く。
「おい、お前遠足にまで卒アル持ってくんなよ〜」
「しかも小学校のって・・・・・・誰が載ってんだ?」
「いやあ、それがさ・・・・・・」
小学校の卒業アルバムを手にした男子生徒は、未だに信じられないといった顔でそのページ
を開いた。
「この前、俺の彼女がうちに来てさー。あ、これ彼女から借りてきた卒アルなんだけど」
「なんだよ、お前の彼女自慢か?」
「そーじゃなくて、聞けよ」
「はいはい、そんで?その彼女がなんて?」
「ウチのクラスの名簿見て、高城亜希を知ってるって言い出してさ。小学校の同級生だったって」
「ふうん」
相槌を打った生徒はいきなり興味を失ったように適当な返事をした。
「俺も別に高城のことなんてそんなに興味ないし、ただのデブじゃんって話してたら、彼女
がすげえビックリしちゃって・・・・・・」
話しながら、そのページを周りの生徒に見せて1人の小学生の写真を指さした。
「これ、高城亜希だって」
確かに、指さした児童の下には「高城亜希」と書いてある。しかしその写真を見て、周り
の生徒は一斉に
「うそだろ!」
と叫んでいた。
「むちゃくちゃ、痩せてるじゃねえか!」
「別人だろこれ」
「すっげー、美少年」
次々を湧き上がってくる感嘆の台詞に更に周りの生徒までもが話しに加わって、バスの後部
座席はちょっとしたお祭りになった。
「えー!亜希ちゃん、ちょー可愛いじゃん」
「高城君って元はやっぱりいいんだー。今はちょっと太ってるけど、目とかすごい綺麗
だもん。きっと痩せればカッコイイと思ってたんだよね」
話に加わった女子の声は更に高くなった。
卒業アルバムはタスキリレーのように車内を巡って、真野の元にもやってきた。
「なあ、真野も見てみろよ」
「何だよ、うるせえな・・・」
半分眠りかかっていた真野はいきなり手渡された卒業アルバムを不機嫌そうに眺めた。
「誰が写ってんだ?」
「高城だよ、高城!」
「どこに」
「ここ!これ!」
興奮気味に指さされて、真野は固まった。
「・・・・・・こ、れ?!」
「な?な!?驚くだろ!」
真野は眠気なんて吹っ飛ぶくらい目を見開いてアルバムを見詰めている。その様子を他の
男子が茶化した。
「真野、ほれちゃったんじゃねえの」
「・・・・・・アホか」
真野は慌ててアルバムを閉じると乱暴に突っ返した。内心、鼓動が早くなっているのをクラス
メイトに悟られないように、それ以上は口をつぐんだ。
後部差席で発生したお祭りは今や車内全体に広がっていて、亜希の元にもその卒業アルバム
はやってきた。
「なあ、高城!これ、ホントにお前なの?」
後ろの席からいきなり手が伸びてきたかと思うと、その手には卒業アルバムが広げられていて
亜希はビックリして体を揺らした。
「何だよ、いきなり」
「この写真、高城の小学校時代なん?」
小学校の写真を見せ付けられて、亜希は後ろを振り返った。そして、先ほどから後部座席が
異様に盛り上がっていた原因がコレである事を知ると、バツの悪い表情で頷いた。
「そうだよ、俺だよ」
「マジで!?・・・・・・なあ、やっぱり高城だって、これ!」
後ろの席の男子が広報係のように伝達していくと、車内の注目は一気に亜希に集まった。
「なんで!?マジで!?高城、どーしてこんなに太っちゃったんだよ」
「なんでって・・・・・・普通にしてたら・・・・・・」
「普通にしてて、たかだか3,4年でこんなに太るもんか?!」
「太るんだよ、普通にしてても!」
亜希はあまり触れて欲しくないといった様子で後ろの男子に卒業アルバムを返した。
――>>下へ続く
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