なかったことにしてください  memo  work  clap
天 球 座 標 系



 板橋の部屋では、炬燵にもぐりこんだ板橋と宇宙が頭を擦り付けるように、何かに見入っていた。
「板橋?」
「なんだ、来たのか」
板橋は顔を上げることなく、真剣に何かを見詰めている。隣で宇宙までが凝視するような姿勢だった。
「なにやってんだ?」
「今度の部活旅行のプラン」
見れば、板橋と宇宙が真剣に見詰めていたのは、時刻表だった。春樹は頭をガシガシかいて、炬燵に潜り
込んだ。要も続いて隣に座る。
「宇宙、何してるの?」
「あ、兄ちゃん。面白いことだよ」
兄弟の会話を横目で見ならが、春樹は要がさっきよりも幾分吹っ切れていることに気づく。自分の気持ちは
伝わったらしい。やんわりとした嬉しさと同時に、要に迫らせたことをを思い出して、顔が熱くなった。
顔に出る前に、春樹はぶっきら棒に板橋に突っかかった。
「ったく、忙しいってそれの事かよ」
「そうだとも!こんなに忙しくて、大変なプランはないよ!」
板橋が興奮気味にしゃべる。要は時刻表を見ながら、不思議そうな顔をしていた。
「全く参ったよ。このプランを遂行するには、A班にここを諦めてもらうか、B班にこっちを諦めてもらう
しかない!」
「出たよ、板橋のよく分からん趣味」
「何それ。ただの旅行じゃないの?」
ため息を吐く春樹に要が首をかしげた。
「オタク旅行」
そう呟いた途端、板橋が時刻表を見る手を止めた。
「進藤、机上旅行を馬鹿にするんじゃない。ほら、宇宙君だってこんなに嵌ってるじゃないか」
「机上旅行・・・?」
驚く要に春樹は説明してやった。
「こいつ、机上旅行部の部長なの」
ぽかんと口を開けたままの要を見ながら春樹は続ける。
「S大七不思議の一つだぜ、絶対。だって、机上旅行なんて、電車オタクか時刻表マニアの集まりだろ?
そんなのが、部活なんだぜ?どうやって部に昇格できたんだ?しかも、なんで板橋が部長なんだよ。絶対
おかしい」
星の数程あるといわれるサークルが部活に昇格するのは並大抵の事ではない。板橋の所属している机上
旅行部だとて、弱小と呼ばれる部類だ。
 しかし、板橋は春樹の部活を馬鹿にした発言にむっとしたらしく、言い返してきた。
「おかしいもんか、机上旅行部は長年の伝統とOBからの手厚い保護を貰って今も地道に努力してるりっぱな
部活じゃないか。顧問だっているぞ?」
「顧問?どうせ、マニアな教授なんだろ」
「学部長だ」
「は?」
「学部長が、まだ大学生の頃、この部活を作ったのだ!」
「・・・それで潰れないんだな」
春樹が頭を抱えていると、板橋の隣で宇宙の声がした。
「でも、電車の時刻表って見てるとなんだかわくわくするね」
「うん、宇宙君、君はやっぱりいい。素質がある」
「何の素質だ、何の」
春樹は時刻表を覗き込んだ。時刻表にはいくつか印が付いていて、乗り継ぎのための時間が計算されて
いた。板橋の開いているページには富良野の文字が見てとれる。どうやら、板橋は北海道旅行を考えて
いるらしかった。
「何の素質って、決まってるだろう机上旅行のだよ。机上旅行はいいぞー。ロマンだ、行ったつもりで
こんなに満足できる趣味はない」
うっとりしながらしゃべる板橋の言葉を春樹は遮った。板橋に机上旅行を語らせてはならない。この後
二時間以上、永遠に机上旅行の魅力について、語られてしまう。春樹は前に一度それをやられて、
エライ目に遭ったのだ。
「そんなことはいいから、こいつの解析してくれよ!」
「そんなことだと?」
板橋が、ギロっと春樹を睨む。
「言っておくがな、俺は部長として、とてつもない選択を迫られているのだ!進藤にはこの辛さが
分からないのか」
「分かるか、そんなもん」
板橋は滑稽に思えるほど、真剣だ。それが板橋が変人であるが所以だと春樹は改めて思う。
(こいつの会話に付き合ってたら日が暮れる・・・)
春樹が途方に暮れそうになっているにもかかわらず、板橋はしゃべり続けた。
「今度の旅行プランは、北海道だ!いいか、北海道といえば・・・」
びしっと指を差されて、春樹はたじろいだ。しかし、このくだらない会話を早く終わらせる為には、
板橋の満足する答えを与えて、適当に切り上げるしかない。板橋の開いていたページを考えるなら、
こう答えるべきだろうと、春樹は考えた。
「北の国から?」
「そう、そのとおり!しかーっし!」
板橋は少しだけ嬉しそうに声のトーンを張り上げたが、春樹に向けていた指をすっとずらし、今度は
要に向けた。
「な、何?」
「北海道といえば、もう一つ!」
差された要はうーんと唸った。
「カニ?」
「残念、望月、カニはデフォルトで入ってるんだよ。北海道といえば網走監獄に決まってるだろう」
「決まってるのか?」
「そうだ、決まってるのだ。北海道に行ったなら、絶対に押さえておかなければならない重要なポイント
なんだが、北の国からめぐりと網走監獄のどちらも取ろうとすれば、日程的に3泊4日では回りきれない
のだよ、わかるか、この究極の選択が!?」
板橋が興奮気味にしゃべったせいで、口からいくつか唾が飛んでくる。春樹は眉をしかめて、飛んできた
板橋の唾をティッシュで拭いた。
 そのティッシュをゴミ箱に投げ込むと、イライラしながら早口でしゃべった。
「・・・もう1泊増やせば済むことだろ、どうせホントに行くわけでもないのに」
「分かってない、進藤、君は全然わかっちゃいないね。決められた日にち、限られた予算で回るからこそ
いいんじゃないか。そんなところを勝手に変えたら、意味が無い」
そもそも、春樹には机上旅行の意味すら分からないのだ。そんなことを言われても困ってしまう。
「ダメだ、コイツと話してると、ホントにおかしくなる」
ため息と共に疲れまで一気に出た気がした。
 そこへ、先ほどから真剣に時刻表を眺めていた宇宙が話を割って入ってきた。
「だったら、北斗星を諦めるしかないね」
その発言に、板橋が唸った。
「寝台列車を諦めるのか・・・そうか、そこか・・・」
板橋はその一言を言った後は急に黙り込んで、固まってしまった。動かなくなった板橋に春樹が怪訝そうに
声をかける。
「・・・板橋?」
要も宇宙も、板橋を覗き込んだ。
 板橋は腕を込んで目を閉じていて、どうやら考え込んでいるらしかった。春樹がもう一度声をかけようと
した瞬間、驚くほど大きな声を張り上げた。
「よし、宇宙君、君の案を採用しようじゃないか」
板橋は1人で悩み、そして1人で勝手に納得し、問題は解決したようだった。
 時刻表を閉じながら、すっきりした顔で板橋は言った。
「で?進藤の頼みってのはなんだ?」
要が困ったように笑った。春樹は持ってきたパソコンを起動させて、板橋の前に突きつけた。
「はーっ、やっとだよ。なあ板橋、このプログラム何だかわかんないか?」
春樹よりも板橋がプログラムに詳しくなければ、わざわざこの人間に聞く必要はないのだが、春樹は大学
に入るまで、パソコンを触ったこともないような学生であるのに対し、板橋は、自分でプログラムが書ける
ほどのレベルだった。
 サーバーに置かれていた謎のフォルダを示して春樹は言う。
「こいつを起動しようとしてもエラーになるから、何のプログラムかわからないんだ・・・」
春樹が実行ファイルを起動すると、画面には相変わらずエラーメッセージが表示された。
「頼みってのは、こいつを解析してほしいんだ」
板橋は画面を覗き込んで、フォルダの中に幾つもあるほかのファイルにも目を落とす。
「ちょっと、このフォルダごと、借りるけどいいか?」
「うん。構わない」
板橋はそういうと、春樹のノートパソコンからフォルダを全て自分のパソコンに移した。そして、その
ファイルの幾つかを触ってみる。
 その姿を春樹も要も、宇宙でさえも真剣に見守っていた。
「うーん、逆コンパイルでもしたら分かるかな・・・っていうか、進藤、お前の目は節穴か?」
「は?」
「これ、ソースファイルだろ」
「え?!」
春樹が驚きの声をあげると、宇宙が隣で板橋に聞く。
「ソースファイルって何?」
「うん。宇宙君、君にはさっきのお礼に教えてあげよう。プログラムってのはね、『言語』と呼ばれる
ものを使って書くんだよ。それにはいろんな種類があって、言語が違えば書き方も違う」
「日本語と英語みたいなもの?」
「そうそう、宇宙君、君はホントに筋がいい。弟子にしてあげよう」
板橋はそういうと、宇宙の頭をぐりぐりと撫ぜた。それを見て、要が苦笑いした。
「板橋、勝手に弟を弟子にしないでくれないかな」
板橋が鼻を鳴らした。
「いい弟子になるのに。さて。プログラムっていうのはね、宇宙君。言語と呼ばれる言葉で書いていく
んだけど、これは人間にとって分かりやすい言葉なんだ」
そう言って、板橋は先程、春樹にソースファイルだと示したファイルを専用のソフトで起動した。
「ほら、見てごらん。これがある言語で書かれたプログラム。一般にソースファイルなどと呼ばれている
やつだ。人間様が分かるようになってるだろ?」
覗き込んだ宇宙は、思わずげえっと声を上げた。そこには英語の単語や数字、記号などが並んでいた。
「全然わかんないよ」
春樹も覗いてみたが、実際にどんなプログラムかまでは分からなかった。
「なんだよ、このプログラム・・・」
「分からないことはないよ、宇宙君。これは勉強すれば誰にでも書けるようになるものだ」
(・・・いやみにしか聞こえないよ)
春樹はそこに板橋の何の意図もないことが分かっているので、余計に自分が虚しくなる。
「だけどね、この作業では人間にはとても分かりやすいけど、パソコンにはとても分からないプログラム
なんだ。人に優しく、マシンに厳しい」
「パソコンって、わがままなんだね」
そう言った宇宙に板橋は笑って否定した。
「パソコンがわがままな訳じゃない。人間がわがままなんだ。元々パソコンなんてものは、0と1しか
わからない。だから、このプログラムもパソコンが分かるように変換してやる必要がある」
その辺りは、春樹の記憶にも新しい。先日の「コンパイル」の講義で教授がしゃべっていたことだ。
(これくらい分かりやすくしゃべってくれればいいのに・・・)
春樹は板橋の素質に少しばかり感心していた。
「変換した後のファイルなんてのは、もうどんだけ人間様が勉強したって、変人でもなければ分からないよ。
分からないし、普通はわかる必要も無い」
「ソースファイルが分かれば、直せるから?」
「そうそう、その通り。いいね、実にいい。宇宙君、君はプログラマーになるといいよ。まあ、後、実際には
これだけじゃ足りなくて、実行できる形式にして、初めて実行ファイルが完成するんだ。いつも俺たちが
プログラムを実行するときに起動してるファイル。見てごらん、ここにexeとついてるファイル。これが
完成形。で、進藤がエラーで実行できないって言ってたのも、このexeって付いてるファイル」
そこまで、宇宙に向かって話していた板橋が、突然向きを変えて春樹を指差す。
「そんでもって、ここにひっそり置いてあったのが、ソースファイル」
勝ち誇ったように、板橋はふふんと言葉にした。春樹は焦った。慌てていて見落としていたのだ。
「ふ、普通、ソースファイルなんて一緒に置かないし!」
言い訳はかっこ悪く、春樹は、気づかなかったんだよと項垂れた。隣で要が春樹の背中をぽんと叩く。
「板橋、それでこのプログラム何なの?」
板橋は腕を組みなおして、パソコンの画面に見入った。
「・・・うーん・・・残されたコメント見てると、どうもバグ修正みたいなものかな・・・ほら、ここに、コメント
アウトして、バグ検索ルーチンとか修正ルーチンとか、書いてあるし、やってることも、なんとなく、
そういわれると、そんな感じだし」
春樹は顔を上げた。バグ修正といわれて真っ先に思いつくのは、M1の3人が取り組んでいる懸賞金プログラム
だった。もしかして、と思いながらも、それならば日高が気づいてもよさそうなのにとも思った。あの時
日高はちらっと見ただけで直ぐに首を振った。まるで自分には関係ないとでも言うように。春樹はそれが
余計に白々しく思えてきた。
 板橋は画面をスクロールしながら、再び唸った。
「うーん。でも、ちょっと気になる」
「何が?」
「例えばだよ、ここの書き方とここの書き方、同じ作業工程なのに、書き方が全然違うでしょ?」
板橋が示す所に春樹と要は覗き込んだ。一般に、プログラムは書く人の癖が出る。同じ動作でも、書き方は
千差万別だ。
 示された箇所は確かに、書き方がひどく違っていた。一方はやたらと丁寧だった。
「何が言いたいんだ?」
春樹は板橋を見る。
「・・・別々の人が書いて、くっつけたみたいだな」
赤平は日高のプログラムを盗んでいたと、そんな噂がなかっただろうか。では、このプログラムは赤平の
ものだとでも言うのだろうか?
 このファイルはいつからあったのだろう。誰が何の目的で、このファイルを春樹に送りつけたのだろうか。
疑問は増えるばかりだった。
 板橋は食い入るようにプログラムを見詰めている。
「これ、すごいな。書いた人間、めちゃめちゃ頭いい」
春樹には頭のいい人間が書いたかどうかすらも分からなかった。
「あー・・・このあたりから、おかしいんじゃないのかな。この関数なんだ?・・・こっちにもある・・・」
板橋は自分なりに手を加えて、修正していった。その手際のよさに春樹は板橋の才能を垣間見る。
宇宙と要も黙ってその作業を見守っている。
「・・・っと、これでどうだ?」
板橋はもう一度、実行ファイルを起動した。画面にはメッセージウィンドウが表示される。
「・・・っ、まだダメか・・・」
メッセージの内容を確かめずに、板橋が消そうとした時、要がそれを制するように口を出した。
「ちょ、ちょっと待って。エラーのメッセージが・・・」
言われて、手を止める。板橋と春樹がメッセージを見た。
「URL・・・みたいだ」
先程とエラーが変わっていて、英語の羅列の中に、見た事のある文字が並んでいた。
「http://から始まるってことは、どう考えても、URLだよな?」
春樹が確かめるように板橋を覗き込む。
「だろうな。アクセスしてみるか?」
「うん」
板橋がネットにアクセスする。隣で宇宙が、興奮気味に言った。
「なんだか、謎解きみたいでワクワクするね」
「みたいじゃなくて、謎解きだよ」
そういう要も声が少し上ずっている。春樹はドキドキする心臓を手で抑えた。犯人に繋がる手がかり
があるかもしれない、そう思うと少しだけ怖くもなった。
「なんだ、こりゃ」
板橋の声に他の三人も画面を見詰める。何を予想していた訳でもなかったが、現れた文字に春樹は予想外
の気持ちになった。


『居場所が欲しいのなら、天球に閉じ込められればいい

sinδ=sin h sinφ-cos h cosφcos A』


表示されたWEBサイトには、一言、そう書いてあった。それ以外に文字はない。
「どういう意味だろう」
要が首をかしげた。
「三角関数?」
「こんな公式あったか?」
板橋が首をひねると、要が隣で目を細めた。
「僕、この式、どっかで見たことある」
「要、それホントかよ?!なんか思い出せないか?」
春樹が食い入るように要を向くと、要は力なく頷く。
「なんだっけ・・・これ・・・」
宇宙が画面を見て、文字の下にある写真を指差した。
「この植物の写真は何?」
「みたことないね」
その文字の下には、名前も分からない植物の写真。春樹だけでなく、ここにいる4人全てがその意味を
図りかねていた。
 春樹はもう一度書いてある言葉を呟いてみる。
「居場所が欲しいのなら、天球に閉じ込められればいい・・・」
要が春樹の手を炬燵の中で握った。自分の手が僅かに震えていたことに気づく。春樹はその手を握り返した。
「進藤、心当たりでもあるの?」
「・・・何か引っかかるんだ」
「どれが?居場所・・・?・・・天球・・・?」
春樹はふと顔を上げる。何だろう、このデ・ジャヴは。言葉の中にどこかで体験した記憶がある。天球は
要に教えてもらったことだ。だがその時のことではない。もっと極最近のそしてここにいない人間と体験
した何かだ。
「あっ・・・!」
それは急激に戻ってきた。流れるように自分の中で繋がっていく記憶に春樹は声が震えた。
「・・・このファイルの送り主は船田先輩かもしれない」



――>>next


よろしければ、ご感想お聞かせ下さいvv

レス不要

sinδ=sin h sinφ-cos h cosφcos A


  top > work > 天体観測シリーズ > 天球座標系11
nakattakotonishitekudasai ©2006-2010 kaoruko    since2006/09/13