天 球 座 標 系
「先輩?研究室の?」
愕然としながら呟く春樹に要は不安そうな顔を向ける。
「・・・研究室の4年。さっき名簿見せただろ?あの中に印のなかった人」
「アリバイがないってこと?」
春樹は無言で頷く。
昨日の帰り道、船田は言ってなかっただろうか。赤平や日高が「居場所を欲している」と。
『そうやって張り付いた星を繋げて星座が出来て、神話が生まれて。星は人間によって存在価値が生まれる
んじゃないかって、時々そんなこと思う』
船田の言葉は、この謎な言葉に通じてはいないだろうか。だとすれば、船田は何を春樹に訴えたかった
のだろう。
春樹は昨日の帰りにあった出来事を話した。
「船田先輩は、言葉にこそしなかったけど、天球って概念を知ってたってことだと思う」
要はwebサイトの画面を見詰めた。
「でも、どういう意味なんだろう。・・・星は星座になることで、存在価値が出来る・・・その後は?じゃあ
人間はどうやって居場所・・・存在価値ができるんだろう・・・?・・・そんなことがいいたいのかな・・・?」
2人が無言で悩んでいると、板橋が呟いた。
「それか、人も星座になってしまえば居場所ができるってことかもよ」
板橋は解析が終わった時点で既に興味が半分くらいそれてしまったように、画面から目を離すと、手元の
リモコンでテレビをつけた。
「板橋、どういう意味?」
チャンネルをぐるぐる回しながら、板橋は面倒くさそうに言った。
「えー?別に。なんかさ、星座って色々あるんだろ?話が。それと同じようになったらそいつにも存在価値
とやらができるのかと思っただけだ」
「それって・・・」
「例えばって話だ。進藤の研究室で、殺人事件が起きただろ?その殺されたやつに対するメッセージかも
って思っただけ」
板橋の言いたいことはこの謎の言葉が犯人からのメッセージだとでも言っているようだった。
「真逆、見立て殺人ってでも言うのかよ」
そう言われて思いついてしまうのは、春樹も要も一緒だった。赤平が殺されたと知った日、見上げた星空の
中で、要に聞かされた神話に、確かに思ったはずだ。
「オリオン座・・・」
オリオンに赤平は似ていると。話を聞いた要でさえも納得した。オリオンの神話を知るものなら簡単に
連想できるはずだった。
「確かに、2人とも毒殺だね・・・」
要も信じられなさそうに呟いた。
「イマドキ、そんな見立てで殺人するような人間いるのかよ、三流小説でもあるまい」
「そうだけど・・・繋いでいくと、面白いほど繋がってしまうのが怖いね。赤平先輩はオリオンに見立て
られて、毒殺。・・・でもそうすると、動機が女神の怒りを買って死んだってことになるけど、これはどういう
意味になるんだろう」
「無理だろ・・・義憤でもないだろうし」
「単なる後付」
板橋は、2人の会話を聞いていないようで、ちゃっかり耳には入ってきているようだった。テレビのチャンネル
を替えながら、春樹の言葉に突っ込みを入れる。
「そうも考えられるね。・・・でも、そうすると、このファイルを送った人が犯人ってことに益々近くなって
行く気がするけど」
「じゃあ、船田先輩が犯人って言うのか?」
「さあ・・・そこまでは。でも進藤の話から言って、ファイルを置いたのは船田先輩って考えてよさそうだね」
確かに春樹のフォルダ内が綺麗に整理整頓されていることを知っていることだって、船田が送りつけてきた
というのなら、納得でもできる。
しかし、それが船田が犯人と言える証拠には何もならない。ただ、彼が何らかの事情を知っているには
違いなかった。
「もう一度、何とか話が聞けないかな・・・」
「そうだね。それに、この三角関数も気になるし・・・。なんだか、どっかで見たことあるんだけどな・・・」
またも、ここで行き詰まる。船田に聞き出すきっかけさえつかめたら、前進しそうなのに、春樹には持ち駒が
少なすぎる。
このファイルの事を突きつけても、素直にしゃべるはずがない。どこからせめて行けばいいのか、途方に
くれてしまう。春樹の口からも自然とため息が漏れた。
「まだまだ、全然わかんない事だらけだ・・・」
丁度その時、板橋が替えていたチャンネルからニュースが聞こえてきた。
「・・・S大殺人事件の続報です。・・・事件で使われたヒ素は工学部のものではないとの発表がありました。
引き続きヒ素の出所及び、犯人に繋がる情報を集めている模様です・・・」
2人ははっと顔を上げてテレビを見る。
「そういえば、日高先輩もそんなこと言ってたな」
「工学部でヒ素使ってるとこなんて、そんなに沢山ないよね。少なくとも情報系にはないだろうし・・・」
要が言うと、板橋がテレビに向かって
「ヒ素なんか、工学部で探すからいけないんだ。薬品ならあっちだろう」
と文句をつけた。
要が板橋を振り向く。そうか、と納得して叫んだ。
「理学部!」
春樹もぴんと身体が反応した。
「松本か!」
2人は顔を見合わせると、「行ってみる?」「うん」と頷きあっていた。
次の日、朝から春樹は要の運転する車で松本市まで向かっていた。つい、2年ほど前まで生活していた
街だ。S大のキャンパスは学部ごとに長野県中に点在していて、春樹達工学部は長野市内、そして、今から
向かおうとしている理学部と春樹達が1年間過ごした教養学部が松本市内にある。
同じ県内だが、雪道の中、松本まで向かうのは結構な時間が掛かる。すれ違うスキー客を横目に、春樹は
窓の外を眺めていた。
松本市街に入ると、クリスマスを目前として商店街の電飾が忙しなく飾られていて、うかれた気分が車の中
にも少しだけ伝わってくる。
要の運転は相変わらず春樹の心臓を悪くするような荒さで、春樹は自然と無口になった。
「酔った?」
「・・・お前ねえ、雪道でも容赦しない運転、どうにかしろよ」
春樹が何度言ったか分からない小言を吐くと、要は前を向いたまま、春樹の方に手を差し伸べてきた。
「怖いなら、手でも繋いでようか?」
「バカ」
春樹は赤くなってそっぽを向いた。
「冗談だって」
右側からは、要の小さな笑い声が聞こえてくる。
「運転、気をつけろよ」
「うん」
それでも、2人の間の空気は何時もより僅かに色づいていて、要は春樹の手を一度だけぎゅっと
握ると、伸ばした手を引いた。春樹の目にも要の目にも、街中に広がる電飾の一面に光る姿が脳裏に
蘇る。2年前は、ここの街の光を2人でぼうっと見ながら歩いた。
手もつなげないほど、曖昧な気持ちのままで。
「・・・ねえ、進藤」
「何」
「思い出したんだけど」
「何を?」
「あの三角関数のこと」
「何か分かったのか?!」
驚いて春樹が要を向くと、要は前を向いたまま、難しい顔をした。
「分かったっていうかさ。あの三角関数は、多分、天球座標系の変換公式の一部だと思うんだ」
「天球座標系?なんだそれ?」
春樹の知らない単語だ。それが何を示すものなのかもわからない。
「・・・うん。前にさ、天球っていう考え方の話したよね」
「ああ」
春樹は随分前に要に天球の話を聞いたことがある。地球を中心としてその周りにもう一つ大きな
円球が存在して、そこに星が張り付いているというものだ。
「その天球上の星を示す方法をそう言うんだ。例えば、オリオン座の場所をさ南の方角何度の方向、
なんて言っても、同じ位置に居る人にしか伝わらないでしょ。だから天球にも座標系を使うんだ」
座標系という言葉だけなら、春樹にも多少馴染みがある。空間の中にある点を示す場合に、縦方向や
横方向に軸を取り、それぞれの数値で表すものだ。
「天球にも座標系がるのか。まあ軸があって点で示せれば、計算するときも楽だもんな。で、変換公式って
いうのは?」
「天球の座標系っていうのは数種類あってね。目的に合わせて、使う座標系も変えるんだ。同じ星の位置
を示すものなのに、座標系が違えば全く別の数値になるんだけど、その座標系から別の座標系へ変換するときの
公式の一部にあの三角関数と同じのがあった気がするんだよね。勿論、あの定数部分が示すものが同じならって
話だけどさ」
要がいうのなら、間違いはないだろう。しかし、それが何であったか分かったとしても、謎は深まる
ばかりだ。
「・・・何が言いたいんだろうな」
「こればっかりは、なんともねえ・・・」
結局、それが何を意味するのかは春樹達には何も分からない。手がかりが少なすぎて、自分達の考えている
ことが正しいのか間違っているのかすら分からないのだ。
要はウインカーを出して右折する。大学はすぐ目の前だ。何時もと変わらない大学の風景に見える。
「暗喩だとするなら、同じものでも、見方を変えると別のものが見えてくるとか、そんなことが言いたい
のかな」
要の言葉に、春樹はまたも昨日の船田を思い出していた。
理学部に向かうと、辺りは騒々しいほど揺れていた。大学の裏に見つからないように車を停めた所為で、
正門の方の様子が全く分からなかったのだが、理学部に近づくに連れて、春樹達は学生達が浮き足立って
いることに気づく。しかもそれは、クリスマスが近いからでも、卒論の提出が間近に迫っているからでも
ないようだった。
「とりあえず、来てはみたもののって感じだね」
「ヒ素使ってる研究室探すっていってもなあ・・・大体、理学部に知り合いなんてサークルで知り合った宮田と
古川くらいしか知り合いなんていないしな。要は?」
「僕も。あと高校の同級生が何人かいるけど・・・。とりあえず、宮田探してみようか」
「張り切って飛び出して来たはいいけど、何にもつかめないかもな」
「じっとしてるより、マシでしょ」
「だな」
春樹達は、理学部のどの棟に向かえばよいかも分からないほど、理学部には縁が薄い。仕方なく実験棟と
思しき建物の方へと歩いていった。
春樹達が向かった棟は実習A棟と呼ばれる建物らしく、棟の前には何人もの学生が幾つものグループを
作ってしゃべっていた。
「なんかあったのか?」
「騒々しいね」
その光景はまるで、つい先日情報科の棟の前で見たのと同じだった。
春樹は背中が薄ら寒くなる気がした。直感はあまり冴えないと思う春樹だが、こういう嫌な予感という
のはよく当たる気がする。
学生達を掻き分けるように進み、入り口の扉を開けた瞬間、春樹は勢いよく飛び出してきた学生にぶつ
かった。
「痛っ・・・」
「悪い、急いでた・・・って、あれ、進藤?」
呼ばれることなどないと思っていた名前呼ばれて、春樹は驚いてぶつかった学生を見る。
「宮田!」
それは、まさに春樹達が探そうとしていた学生だった。要も慌てて近づいてくる。
「何、お前らこんなとこで何してんだ?・・・長野だよな?」
「うん、ちょっと・・・」
「そう。あ、悪い、俺すげえ急いでるんだけど」
「何かあった?」
そういうと、宮田は舌打ちした。話してる時間も惜しいといった感じだったが、春樹がそれを逃すつもり
がないことを悟ると、宮田は周りを見渡して小声で言った。
「・・・お前のとこでさ、殺人事件があっただろ?」
宮田の口から殺人事件という言葉が出てきて、春樹は僅かに身体が震えた。何かが繋がっている、そう
思うと、握った拳の内側で汗がじわっと浮き上がってくるようだった。
「理学部でも、亜ヒ酸の紛失がないか調査してたんだよ」
「そう」
既に理学部でも調査は行われていたらしい。宮田はそこで一度口を噤むと、鼻から息を洩らした。
「やばいんだよ、うちの研究室」
「やばいって?」
「亜ヒ酸、10グラムも無くなってるんだ・・・」
宮田の研究室では、普段から薬品の管理には、使用者が使用日時と使用量をチェックしておくように
なっているらしいが、残りのグラム数がどうも合わないらしい。
それを発見したのが宮田で、宮田は急いで教授のところに報告に行こうとしていたのだ。
「盗まれたのか?」
「わからん。盗まれたのか、誰かが使った時に書き忘れたのか・・・書き忘れだけならいいけど、盗まれた
ってなると、管理問題だよな・・・」
宮田は頭を押さえて、難しい顔をした。確かに簡単に盗まれたのだとしたら、薬品の管理体制も問われる
ことになるだろう。
春樹はバックから一枚の写真を取り出す。
「この中で、見覚えのある人いない?」
宮田に見せたのは小林研のメンバーが映った写真だ。新歓コンパの時に小林助教授が撮ってくれたもの
だった。宮田は顔をぐっと近づけて、その写真を覗く。
「ん?・・・ああ、この人なら時々研究室に遊びに来てるぜ。うちの先輩と仲いいし、オレもこの人に天体観測
サークルの話とかしたことあるから、間違いないぜ。・・・なんだ進藤のとこの研究室の人だったのか」
宮田は写真の一番隅に映った人間を指差していた。
春樹と要は顔を見合わせる。言葉は続かなかった。宮田はそんな様子の2人に首を傾げた。
「何?」
「あ、いや・・・」
「そう。っていうか、悪いホントに急いでるから」
「ああ、そうだよな。引き止めて悪かった」
春樹が道を空けると、宮田は直ぐにでも駆け出しそうな勢いになった。春樹は思い出したように一言その
背中に向かって声をかける。
「なあ、ところで、10グラムってそんなに騒ぐ量なのか?」
「馬鹿、1グラムあれば死ぬぜ」
宮田は振り返ってそれだけ言うと、隣の棟へと走っていった。途中、凍った地面に足を取られて転びそう
になっているのを春樹と要はただその場に立ち尽くしたまま見送っていた。
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