なかったことにしてください  memo  work  clap
天 体 観 測 



 春樹は要と共に心療内科を後にした。すっかり日も暮れ、昼間より僅かに下がった気温の
中で、2人はお互いの距離の保ち方に迷いながら歩いた。
 病院内であんなに近くにいたのが気恥ずかしくなる。随分と久しぶりに並んで歩く気がした。
 暫く歩くと春樹の携帯が鳴った。
「もしもし」
『あ、進藤?俺、大槻だけど。望月の方はどう?』
「さっき目覚まして、今2人で帰ってきてます。雛姫さんは?」
『そうか、よかった。雛姫ちゃんの方も・・・2,3日入院するけど、大丈夫だ』
「そうですか」
『望月にも、色々要らん心配かけて悪かったって言っておいて』
「ああ、はい」
『じゃあ、来週のサークルでな』
隼人はそれだけ言うと電話を切った。
 昼間の出来事を思い出す。雛姫が蒼白な顔で乗り込んできたこと、そして、一真の前で、
リストカットしたこと。そこまでして、一真が雛姫を避けていたことや、雛姫が自分を傷付けて
まで、一真を振り向かせたかったこと。
 そして、そこまでして振り向かせたことに、「喜び」を感じていたこと。
 春樹は首をかしげた。腑に落ちないことばかりだ。
「なあ、要?」
「何?」
「雛姫さんと一真先輩ってなんかあったのか?」
「何か、か。あったんだろうね。僕もよく知らないけど、隼人先輩はあの2人別れたって
言ってたから」
春樹は目を丸くして横に並ぶ要を見る。
「やっぱり、別れたんだ」
「やっぱり?」
「俺さ、前に隼人先輩に試験のノートのコピー借りに行った事があったんだけど」
そういって、春樹は前に隼人と一真の間で起きたことを要に語った。隼人が殴られたことや
一真が何時もの優しさをすっかりなくしていたこと、そして、隼人も雛姫も許さないと
言った事も。
「だからさ、俺あの時、隼人先輩と一真先輩と雛姫さんの3角関係が縺れたのかと思って・・・」
ところが要は首を振った。
「僕も初めはそうかと思ったんだけど、多分そうじゃないよ」
そう言って、要もまた、春樹に自分が見た隼人と雛姫の電話のことを語った。
 その話を聞いて、春樹は益々、3人の関係を怪しく思った。
「でも、その雛姫さんの口ぶりじゃ、まるで隼人先輩と今でも隠れて付き合ってるかのように
聞こえるんだけど・・・」
「そうだね。そう聞こえる。実際僕も半信半疑だよ。でも、多分違うんだ。隼人先輩は、
雛姫さんを好きじゃない。好きにはならない」
「やけに自信たっぷりだな」
春樹が驚いて言うと、要は困った顔をする。
「なんとなく、だけどさ」
要は心にある一つの思惑を春樹に告げることなく呟いた。
 春樹は混沌としたこの状態が気持ち悪くて仕方ない。何故、一真は怒っていたのか、何故
雛姫は自殺まで考えるほど思いつめていたのか。そして、何故隼人は、何もかもを隠そうと
しているのか。知りたいという欲求よりは、このぐちゃぐちゃとして身体にまとわり付く
不快感から早く脱却したいという方が正しいと思う。
 人は向き合えば分かり合える。そう信じていた自分がちんけで、惨めだった。一真も隼人も
そして、要ですら、自分には何一つ分からない。人の心の闇などは、立ち入ることはできないし
ましてや救おうなんてことは、おこがまし過ぎる。
 頼られて、相手の力になって、周りから「ありがとう」なんて声をかけられるのは、子どもの
戯れだったのだ。
 自分は無力だ。だけど、それは自分だけでなく誰もが無力だと春樹は痛感した。
「悪いヤツがいれば楽なのにな」
1人を糾弾して物事が収まるなら、春樹はすぐにでもそうしたい気分だ。
「そうだね」
 要の返事は、そうでないことへの肯定のようだ。要は諦めがいい大人のようだと、
春樹は思う。自分への純粋な思いとは別に、これが医師の言う「屈折した感情」の結果ならば
要は何かを諦めることで大人になったのだろう。自分はそこに到達できていない。いつか自分にも
そういう感性が分かるようになるのだろうか。ただ、そうなりたいのかどうか分からないが。
 隣に並ぶ春樹は、要が自分を置いて、どんどんと大人になって行くことに、この上ない淋しさを
感じた。そして自分の感じている淋しさは、心だけでなく、実際の違和感としてそこにあった。
暫くまともに隣に立たなかったせいなのか、自分が気がつかなかっただけなのか、春樹ははっとして
立ち止まった。
 急に立ち止まった春樹に驚いて、要は振り返った。
「どうしたの?」
「・・・お前、背伸びた?」
「え?どうだろう?」
要は自分の頭を押さえてた。
 春樹は改めて横に並ぶ。4月に会ったときは、確かに自分より僅かに低かったはずだ。
肩の位置が自分よりも僅かに高くなっている。要を見る視線も上がったような気がした。
「・・・この年で、まだ伸びるのかよ」
「僕、まだ成長期なのかな」
「俺は、どこまでお前に置いてかれたらいいんだろうな」
「何言ってるのさ、大して変わらないじゃない」
要は屈託なく笑った。2人の間を生ぬるい風が通り抜けていく。要の栗色の髪がその風になびいた。
「あ」
「え?」
春樹は舞い上がった要の髪を殆ど無意識に触っていた。左耳の後ろにくっきりと残る傷跡。
今までどうして気づかなかったのだろう。
 要は瞬時に春樹の手を避けた。左手で傷跡を隠す。
「もしかして、先生しゃべったの?」
そう言った要の顔は真っ赤だった。
「ご、ごめん」
要は俯いて、静かに首を振った。
「・・・ホント、僕って馬鹿だよね」
「あの、マジなのか?その、お前が荒れてたっていうの・・・」
「進藤、先生に何聞いたの?」
「お前が、中学の時に荒れてたって。今は殆ど名残なんてないけど、耳の後ろに傷が残ってるって」
参ったなあ、と要は傷跡を手でなぞった。
「荒れてた・・・か。うん。そうなんだろうな」
「その傷は?」
「原付が降って来た」
「はあ?」
「2ケツしてた原付とぶつかって、原付が降って来たんだよ。僕は避けたんだけど、ミラーの
破片が頭に刺さって」
「じゃあ事故だったのか、その傷?」
「それ自体は事故だったんだけど、事件になった。僕、狙われていたんだ」
「お、お前、それって・・・」
「ちょっと、やばいことに顔突っ込んで。うん。ホントに中学の時はやばかったんだ、僕。
いつ死んでもいいって思ってたから。自棄になってたんだ。多感な時期に火事のフラッシュバックで
やられてたからさ。・・・いつかさ、進藤に語れる日がきたら、話すよ」
要は顔を上げて、春樹を見た。癒えてない傷を抱えている顔だった。春樹はそれ以上聞くことが
できなかった。要の抱えている闇はどこまでも深い。ため息は心の中で飲み込んだ。
 襲ってきた沈黙の中を2人は歩き始めた。

 春樹は空を見上げる。
「ホントに上弦の月、なんだな」
旧暦の七夕が近い。春樹は感心したように言った。
「進藤って、物覚えがいいんだね」
「そうか?俺、神話とかあんまり興味ないけど、昔から変わらない形が神話を生み出した
って思うと、自然ってすげえなって思う。それに、お前の話って、結構心に残るんだよな」
「・・・月の舟か」
月明かりのせいで、周りの小さな星の光は消えていたが、夏の三角形はその姿をはっきりと
映し出している。
 天の川の上に上弦の月が浮かんでいた。
「天の川の水かさが増して、舟が出せないなんて、誰が考えたんだろうな」
「昔の人は自然に対して畏怖と敬愛を持ってたんだろうね。自分の力が及ばない圧倒的な支配
の中でも、人は自然を愛して止まなかった・・・ってよく言うじゃない」
見えないものへの恐怖と憧れ。春樹は隣に立つ要の方がずっとその言葉が似合っていると思った。
 要も頭上を眺める。流れてきた雲が月を覆いはじめ、要の栗色の髪に影を落とす。
その途端、要は何かに弾かれたように声を上げた。
「そうか・・・そうかもしれない」
「何、急に」
「雲だよ。雲」
「雲がどうかしたのか?」
要は興奮気味にしゃべりだす。
「七夕の伝説の多くは、天の川の水かさが増して月の舟が出せなくなるっていうのなんだけど
東アジアの国のどこかで、月が雲に隠されて出せなくなるっていうのがあるんだ。・・・あれは
どこの国だったかな」
「それが?」
「それに、確か、日本の万葉集だかにも七夕の歌が沢山載ってて、雲が2人の恋路を邪魔するという
歌があったと思う」
「雲が何なんだよ?」
「雲は2人を引き離す象徴なんだろう」
月は薄い雲に覆われて、姿を完全に隠した。要の表情は見えなかった。ただ、何かに気付き、
それが、重大であるかのように興奮した。
「文学少女なら、それくらいやるかもしれないなあ」
「要?・・・おい、いきなり何の話してるんだよ?文学少女ってなんだ?」
春樹が問い詰めるが、要は自分の世界で、話を組み立てるのに必死な様子だ。
「確かめてみる価値はあるかもしれない。僕の考えている理由と合致するなら、全部納得いくし」
要は1人納得したように頷いた。
「お前、話が見えないよ」
春樹が苛立って要に文句をつけると、要は漸く、春樹の声に反応し、困ったように、顔を掻いた。
「ねえ、進藤」
「何だよ」
漸く1人ごちていた要が春樹に声を掛けた。春樹は要の話していることが何のことだか全く分からない。
不貞腐れて返事をすると、要がごめんと、謝った。
「進藤、先輩達のこと、どうしたい?」
「え?」
意外な質問に春樹は戸惑う。
「あの人たち、どうなってほしい?」
その質問を自分にする意図が見えないが、少なくとも春樹がどうにかできる問題ではないことは
確かだ。春樹は思ったことを告げた。
「どうしたいって、俺達が、どうこうできる問題じゃないだろ」
要も当然のように頷く。
「まあね。・・・ただ、解決する時間を早めることはできるかもしれない。早く解決することに
どれだけ意味があるのか分からないし、僕はそこまでして巻き込まれる気はないし、どうでも
いいって思ってる節もある。ただ」
「ただ」
「・・・ただ、進藤が解決を望むなら、僕はそれをしてもいいかなって思う」
「俺が、それを望む・・・?」
要は何かを握っている。空を見上げて、納得したのがその「何か」なのだろう。それを使えば、
このぐちゃぐちゃとした身体にまとわり付く不快感は消え去るのだろうか。
「進藤、こういうの嫌なんだろ?手の内を明かさないで、心がずれて行くのが・・・」
春樹は心を透かされたようで吃驚した。
「なんで、俺が、そんなこと嫌だなんて分かるんだよ」
「だって、進藤、昔から、困ったことがあると誰となく助けてたじゃん」
それは、面倒なことを押し付けられやすい性格なんだよ、と春樹は思うが、でも実際のところ
そうなのかもしれない。
「嫌か・・・。うん。そうかな、多分嫌なんだと思う。いい加減俺だって小学生のガキじゃないんだし
どうにもならないことがあることくらい分かってるつもりだけど、心が死んで行く人たちを隣で
見てるのは、やっぱり嫌だ。もし、要がどうにかできるっていうのなら、・・・同じ結末なら、
自分でケリを着けたい。俺はやっぱり、お人よしのお節介なんだろうな」
春樹は自嘲した。真っ直ぐなことが好きなのは仕方ない。割り切れなくても、自分の中では
納得の行く結末を付けたい。
「わかった」
要はゆっくりと頷く。何が起こるのか、春樹にはわからない。ただ、傷つく人の隣に無力なまま
立っていられるほど、強くなかった。
 雲が流れ、覆われた月が顔をだす。
「でも、進藤。同じ結末でもないかもよ」
そう呟いた要の顔は闇夜の中で白く怪しげに発光しているようだった。

 <<16へ続く>>




よろしければ、ご感想お聞かせ下さいvv

レス不要

astronomical observation


  top > work > 天体観測シリーズ > 天体観測15
nakattakotonishitekudasai ©2006-2010 kaoruko    since2006/09/13