なかったことにしてください  memo  work  clap
天 体 観 測 



 要に言われた通りに春樹はサークル室に向かっていた。あれから1週間近く経っている。春樹は
事を掴めぬままキャンパスを歩いた。
 腑に落ちないだけでなく、要の言動に振り回されることへの不可解さ、これから起こる事への
不安で自然と足取りは重くなる。
 サークル棟に着いたのは指定された時間を5分ほど過ぎていた。
「おはようございます」
扉を開けると、ひんやりとした空気が外に流れ出る。ハーフパンツの足元に涼しい風を感じて
春樹はすばやく中に入り扉を閉めた。
「よう」
春樹に気づいて、隼人が顔を上げ春樹に向かって軽く手を上げる。
 メンバーは既にそろっているようだった。隼人は何時ものようにパイプ椅子に座り、雑誌を読んで
おり、その後ろに椅子だけずらして一真が座っている。隅にあるソファーには、相変わらず青白い
顔をした雛姫が所在無さげしていた。夏場なのに長袖のシャツを着ている。袖口から覗く手首に
捲かれた包帯が痛々しかった。
(雛姫さん、退院したんだな・・・傷、残るんだろうか・・・)
春樹は雛姫からすぐに視線を外し、隼人の正面に座った。
「んで、あのお坊ちゃんは、俺達に何しようってーの?」
隼人はやや挑発的な口調で言った。
「・・・分かりません。俺、要に呼ばれただけだから・・・」
「ふーん」
その肝心の要は姿が見えない。約束の時間に遅れてくるとは聞いてなかったので、春樹には居心地の
悪い時間になった。

 要がやってきたのは、それから30分も経ってからのことだった。
「遅くなってすみません」
要は謝りながら部屋に入ってきた。そして、その後ろにはもう一つ影があった。一真が驚いて
声を上げる。
「な、なんで、おまえが・・・」
ただ、その問いに答えたものは誰もいなかった。隼人はおもむろに顔を逸らし、雛姫は俯いたまま
顔を上げることは無かった。
「要、お前・・・」
「うん」
春樹も驚いて声をかけると、要ははにかんで隣の席に座った。
「・・・先輩も座ってください」
要は全員に着席するように促し、そしてもう一度謝った。
「集まっていただいてありがとうございます。そして、すみません。こういうのってルール
違反なのかもしれません。解決することをよしとしないこともあるし、ましてや、部外者が
口を挟むことは、感情を複雑にするだけのことかもしれません」
要は一呼吸置いて春樹を見た。
「だけど、僕は先輩達が大好きですし、これ以上ここに居る人が苦しむのは見ていたくない
んです。ただそれだけの、お節介がやることですので、どうか、許してください」
「望月、お前何を・・・?」
一真が不信感をあらわに要を見る。要は表情を作り損ねた能面のような顔をした。
(要、もしかして俺を庇ってる・・・?)
あの日確かに、要は「自分はどうでもいい」と言った。彼等を救済することに興味は無いと。
そういう意味だ。ただ春樹がこの状況を良しとしなかった、それだけのことだ。
春樹が恨めしそうに要の方を向くと目が合い、要は全てを飲み込んだように軽く頷いた。
(かっこばっかりつけてさ・・・)

「雛姫さん、体調はどうですか?」
要が席を立って雛姫に近寄る。
「・・・ええ、大丈夫」
雛姫は抑揚の無い声で呟いた。目は虚ろだった。ただ、これから起きる事への覚悟が付いている
のか、随分と落ち着いているようにも見えた。
「そうですか。・・・これから話すことは雛姫さんにとって、ちょっと辛いことになると思います。
それでも僕は雛姫さんをここに呼びました。多分そうすることが一番の近道だと思ったから」
「・・・もう、いいわ。人生の辛いことなんてここ一週間分で全て味わいつくしたようなもん
だから。それに分からないで悩んでいるより、全てを知って絶望した方がマシよ」
雛姫は一真の後姿を見ながら言った。要はそれを確認すると、全員を振り返る。
「集まってもらって、何かすごいことが始まるみたいなカンジですけど・・・本当は別に問題を
解決するわけでも、適切なアドバイスをするわけでもありません。僕がすることは、ただ一つ、
情報を等しく共有する手伝いをするだけです」
要ははっきりと言い放った。春樹はそれを受けて、不信そうに要を見る。
「要、それってどういうことだよ」
「うん。多分、この中には、全部を知っている人と一部を知っている人、それから何も
知らない人がいるんだ。それらの情報の不平等を均そうとするだけだよ、僕は」
隼人が引きつった顔で要を見上げた。
「・・・望月は、全部知っているのか?」
「全部・・・そうですね。限りなく全部を知ってる人には近いかもしれません」
「そうか・・・」
隼人はその場で項垂れた。要はそれを見て眉間に皺を寄せた。
「多分、隼人先輩は僕と同じだから・・・」
「え?」
「同じだから、気づいたんだと思います」
隼人の瞳の奥が揺れた。そして、要を見つめ返すと、深くため息を付いた。
「分かった。いいよ。やってくれ」
要は部屋の中をゆっくりと歩き回る。どこから話始めようか考えているのだろう。
「えっと、まず、話は4年前に遡ってもらいます」
「4年前?」
「そう。4年前。先輩たちはM高の3年でしたね?夏休み明けには文化祭が待っていた・・・」
春樹は八ヶ岳の行き道で聞いた話を薄ぼんやりと思い出す。文化祭で彼等がやった出し物は
プラネタリウムだったはずだ。
「一真先輩、あの時――プラネタリウムで劇をやった時のことを覚えていますか?」
「俺?・・・名前が『彦』坂ってだけで、彦星の役をやらされたことくらいは」
「勿論織姫にはそこにいる雛姫さんが、そして月の舟の船頭役には隼人先輩がやったのも?」
「役が付いているのは覚えているよ」
要はそれを聞いて頷くと、春樹の一つ隣に座る人物を見ながら話を続けた。
「それじゃあ、もう1人、そこに座っている木久先輩が、何をやったか、覚えていますか?」
「え?木久先輩も出てたのか?!」
春樹は驚いて木久を振り返る。
(それで、ここに木久先輩がいるのか・・・?)
「ああ、覚えてる。木久は・・・」
一真が言いかけたとき、それを遮るように木久が口を開いた。空気が痺れるような口調だった。
「俺は、雲の役だった」
「雲?」
春樹はそれに吃驚して声を上げた。
「雲って・・・」
心療内科の帰り道に要が1人興奮して声を上げたのも「雲」だった。要は確か、神話の中で
「雲は2人の恋路を邪魔する存在」だと言ったはずだ。七夕に至っては、月の舟を隠すという
言い伝えすらあるという・・・。
「進藤、ごめんね、この前は興奮してたからちゃんと言わなくて。僕も確信が持てなかったから
はっきりと言えなかったんだ。それで、裏を取ったら、確かに木久先輩は『雲』の役だった。
それも、僕がこの前進藤に言ったように、月の舟を覆い隠す、2人の恋路を邪魔する存在として」
それを受けて、一真が言った。
「そういえば、彼女達・・・あのシナリオを書いた子たちは水かさが増して月の舟が出せなくなる
と言うよりも、もっと人道的な何かがあったほうが面白いからって、そんな脚本にしてた
ような気がする・・・」
「でも、なんでそれが木久先輩なんだよ?」
「多分、先輩達のクラスにはいなかったんだよ、雲の名が付く人が。まあ一般的に考えれば
名前に雲が入る人は殆どいないよね。苗字だって、雲が付く人は珍しいだろう。『月』ですら
見つからず、音だけで、『大槻隼人』先輩に決まったのだから、そんな選出方法をする人なら
きっと、木久先輩になったんだろうなって」
「どういうことだ?」
「木久先輩は、木久守弘っていうんだよ」
「木久守弘・・・?」
「そう。名前を全てひらがなにしてみると分かりやすいかな」
「きくもりひろ・・・」
「どこかに、雲がいない?」
「あ!」
春樹はジグソーパズルのピースが嵌ったときのような感覚がした。苗字の最後の文字『く』と
名前の最初の文字『も』をつなげれば、確かに『くも』すなわち『雲』が現れる。
「そうさ、そんな語呂合わせみたいな方法で、俺は雲の役になった・・・」
木久の顔が歪んだ。春樹は子供だましみたいな謎解きで浮かれてしまったが、問題はそんな
ところにあるのではない。問題は木久が雲の役になったことで、何があったのか、だ。
 春樹は周りを見渡す。雛姫は首をもたげたまま、こちらを見ようとはしない。一真もそして
隼人も、苦痛の表情だった。
 この場にいる誰もが、いい思い出として4年前のことを思っているわけではないらしい。
(あの時は、あんなに楽しそうに語っていたじゃないか・・・)
春樹が周りの空気に押しつぶされそうになっていると、要が話しにくそうに言った。
「・・・進藤、あのね。劇の中で、彦星と織姫というカップルを邪魔する雲、そんな『三角関係』が
出来上がっていただけど、現実問題としても同じことが起こっていたんだ。ただ、そのベクトル
は違った方向を向いていたけれど」
「え?」
雛姫の身体が揺れた。一真は険しい顔つきになって、木久を睨みつける。要は木久を振り返って
問うた。
「・・・木久先輩は、雛姫さんと付き合ってたんですよね?」
「どうしてそんなことを?」
木久の脅しに近い問いに要は飄々と語った。
「バイトの帰りに木久先輩と一緒に帰ったときのことを覚えてますか?・・・僕はどうしても
腑に落ちなかったんです。プラネタリウムの話を楽しそうにしていたのに、文化祭のことに
なった途端、急に声のトーンが落ちて、語りたくないような雰囲気になったのはどうしてなんだ
ろうって。大好きなプラネタリウム、成功した文化祭、雛姫さんの恋の成就。嫌な思い出は、
どこにあるんだろうって思いました。木久先輩は劇のところは特に思い出したくも無いような、
嫌な顔をしてたじゃないですか?あれを見たとき、僕は、最初木久先輩が雛姫さんに片思いでも
してるのかと思ってました。でも、雛姫さんと隼人先輩のやり取りを聞いて、そして、木久先輩の
配役を聞いてやっと納得したんです。
 雛姫さんと木久先輩は、付き合ってたのに、文化祭の所為で別れることになったんだろうなって。
本来、付き合ってるはずの2人が、どうして「姫」と「邪魔モノ」にならなければならないのか?
そして、自分の目の前で易々と別の男に取られていく、そんなふざけた劇は誰だって思い出したく
ないですよ。・・・そうですよね?」
春樹は要の理論に驚き、感心した。自分では、想像も付かなかったことを簡単に口にする
その姿に、春樹は素直にかっこいいと思った。
 木久は暫く黙ったまま要を見つめていたが、やがて諦めたようにため息を漏らして頷いた。
「・・・ああ」
「おいおい、マジかよ」
春樹もつられて木久を振り返る。木久は無表情のままで呟いた。すぐに要が切り返す。
「それも、誰にも知られることもなく」
「・・・大槻以外にはな」
隼人が舌打ちをする。
「偶然、知っただけだ」
「じゃあ・・・その、隼人先輩は、知ってて・・・」
「雛姫ちゃんが一真を紹介して欲しいって言ったとき、もう別れたのかと思ってた。それくらい
2人が付き合ってるのは秘密だったし、俺も興味なかったから、分からなかったんだよ。だから、
その辺の事情なんて、木久と雛姫ちゃんしか知らねえよ」
「だけど、お前は知ってたんじゃねえか!」
一真はおもむろに隼人を見て叫んだ。2人だけの、いや3人だけの秘密とは、これだったのだろう。
春樹の脳裏に隼人が殴られた姿が映る。「嘘つき」と言ったのは、2人が付き合っていたことを
知りながら、一真に話さなかったことなのだろう。要が隼人と雛姫の電話で聞いた「雛姫の
過去の男」とは木久のことだ。しかし、春樹は合点がいかなかった。たかが、過去の男の話だけで
一真という人間がそれほどまでに激怒するようなことなのだろうか。
 すると、要はそれを見抜いたかのように、一真に語りかけた。
「・・・一真先輩。多分ですけど、一真先輩が聞いたその噂は、こんなカンジだったんじゃない
ですか?」
そういうと、要はまるで誰かが嘗てそうしゃべっていたような口調でしゃべり始めた。それは
誰かに語りかけるようだった。

『うちのサークルに一真さんっているじゃん?あの先輩さ、すっげー可愛い彼女がいるんだけど。
確か高校時代から付き合ってて、そうそう、同じ高校の同じクラス。そろってミス・ミスターM高
とかいうやつに、選ばれたんだってさ。すげーだろ?・・・だけど、やっぱりどんなカップルにも
裏ってあるんだよなー。え?何がって?実はさー、サークルに木久先輩っているじゃん。あの、
ちょっと暗くて、何考えてるのかわかんないカンジの。そうそう、あの先輩。あの先輩も一真
さんと同じクラスだったらしんだわ。一真さんの彼女、雛姫さんって言うんだけど、高校時代に
木久先輩と付き合ってたんだって。・・・驚くだろ?意外っていうか、ちょっと引く?彼氏と元彼が
一緒のサークルだぜ?気まずくないのかねえ。・・・だけどさ、もっと引くのは、その元彼が実は
未だに内緒で繋がってるっていう・・・。そう二股!雛姫さん、可愛いからもてるのは分かるけど
・・・さすがにキツイよなー、それは・・・』

「お前、どうしてそれを・・・」
「残念ながら、この噂は今サークル内でゴキブリの繁殖みたいな勢いで広まってます」
「みんな・・・知ってるのか」
一真は項垂れる。要はその姿を哀れみながら続けた。
「残念ですけど。ただね、先輩。この噂――」
この噂は――・・・
 要は言葉を発した瞬間、全員の顔色が変わった。


<<17へ続く>>




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