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天 体 観 測 



 どれくらいそうしていたのだろう。永遠という時間でもある気がするし、ほんの数十秒だった
ような気もする。
 心に降り注ぐ星の粉が全身を溶かして、隣に寝転がる要との境界をなくしていくような気分だった。
 要とこの大きな自然と全てが一体になるような、いや、自分と要がこの大自然に取り込まれて
一つになったと言った方が正しいのかもしれない、と春樹は思っていた。
 ふと要が体をこちらに向けて春樹を見る。そして、小さな声で春樹に問うた。
「ねえ、進藤は本当に彼女いないの?」
あまりにも俗世っぽい発言に春樹は溜息を漏らす。
「お前ねえ、週に何度も泊まりに来てるんだから、それくらい分かるだろ?平日はバイト、
バイトがなければサークルかお前といるんだから」
「それはそうだけど・・・」
「いたら、こんな土曜の夜に男と星なんて見てるかよ」
「まあ、普通はそうだよね」
春樹は横目で要を見ながら何の気なく要にも同じ質問を返した。
「お前こそ、どうなんだよ?」
返事はすぐには返って来なかった。
 その嫌な間が気になって春樹が顔を向けると、要は体を春樹の方から仰向けに動かして
天をじっと見つめていた。
「・・・要?」
春樹が恐る恐る声を掛けると、要の意を決したような言葉が返って来た。
「…僕、だめなんだ」
「は?」
「あのさ、進藤、笑わないでくれる?」
「うん?」
「僕、女の人がダメなんだ。受け入れられない」
一瞬びくっとして春樹は身体を強張らせた。返す言葉が見当たらない。
「それって…」
はっきりと口に出せずに語尾が途切れる。
「ホモとかゲイとかってこと・・・とも違う気がするんだけどね。僕は別に男が好きなわけじゃ
ないんだ」
「どういうことだよ?」
「・・・高校の時にね、付き合ってた彼女が2人いたんだ。1人は1年の時。もう1人は3年の時。
2人とも、可愛い子だったよ。1年の時の彼女はね、ショートカットの黒い髪が綺麗だった。
小柄だったけど、バレー部で鍛えた身体がいつもしなやかに動いていたように思う。昔の
広末にちょとだけ似てるって周りから言われてたみたいだった」
「うん」
春樹は要の高校時代の彼女の話を聞くのは2回目だった。前も飲んだときに高校時代に2人彼女が
いたということを聞いた気がする。ただそれだけしか聞かなかったが。
「1年の時の彼女はね、凄く積極的な子だった。僕は進藤も知ってる通り、根は臆病で暗くて
消極的な人間だから、彼女が僕を連れまわす度、いつもドキドキだった。キスするのだって
眩暈がするかと思ったよ」
要は自嘲気味に笑った。
「それでね、その積極的な彼女と、クリスマスの日、ホテルに入った。あの頃さ、高校で
クリスマスにホテルで過ごすっていうのが流行ってたんだ。僕も男だし、まあそれなりの
覚悟はして行った。一通り、『クリスマスのお祝い』ってヤツを済ませて、いざ彼女と
そういう関係になろうとしたときに・・・」
一度そこで言葉を区切ると、要は深いため息と共に驚く言葉を発した。
「僕、彼女の上で吐いたんだ」
「え?」
「・・・裸の彼女が、僕の首に腕を絡ませてきて、うっとりして笑った瞬間にね、僕は怒りと
恐怖で心がかき乱された。近づいてくる彼女を拒むかのように僕は吐いたんだよ。勿論
彼女に吐き掛ける前に、手で口を抑えて、ソッコー、トイレに駆け込んだんだけど」
 春樹には想像を超える展開についていけなくなる。春樹は高校時代に1人だけ付き合った
彼女はいるが、その彼女とはキスするのが精一杯だった。誰とも「そういう関係」になった
ことのない春樹は他人の話を聞くだけでもドギマギしてしまう。
 ましてや、その瞬間の気持ちなんて想像もつかない。
「・・・トイレから出てきた後は、そりゃあ、もう気まずいの何の。彼女、ベッドの上で呆然と
してたけど、僕が声掛けたら、泣き出しちゃってさ。まあそりゃあ、彼女からしてみれば
そうだよね。彼氏とクリスマスにホテルでデートしていざ体重ねてみたら、いきなり自分の上で
男が吐くなんて、泣きたくもなるだろうね。僕だって泣きたかった。そのときはどうして
ダメだったのか全く分からなかったんだ。彼女泣きながらシャワー浴びに行って、出てきたら
ひどく怒ってた」
1人で冷静になって状況を把握して怒りがこみ上げてきたのだろう。好きだった男が自分を
拒絶しているとしか思えない。そこまで魅力のない女なのか、それとも、自分に対する嫌がらせ
なのか、どちらにしても、彼女にしてみれば自分を大切にしようとする彼氏の姿には見えない
ことは確かだ。
「彼女、そのまま怒って帰っちゃったんだ。彼女とはそれっきり。あの後、フォローの電話
入れたら、もう無理だって言われて。まあ、お互いがものすごく惚れこんでいたわけでもないし
成り行きで付き合ったっていうのもあるから、それくらいのことで、って、彼女にしてみたら、
あんなことが起きたんだから、別れても当然だったんだろうね。僕も彼女が吐いたことを
みんなに言い触らされる方が怖かったくらいだし。それが1人目」
「・・・」
感想をどう述べていいのか分からない。怒って帰ってそれっきりというのはひどい気がするが
彼女にしてみれば自分に吐きかけた要はもっとひどいのかもしれない。お互い惰性で付き合って
いたという感覚が春樹には分からない。高校時代の彼女に春樹はとても惚れていたし、別れを
告げられたときは本当にショックだった。何がいけなかったのか問いただして、悪いところが
あるならば直すからやり直そうと、言ってやりたかった。実際もう少しで言うところだったのを、
春樹は寸前で辞めた。彼女が別の男と歩いていたからだった。
 要は自分と随分違った生き方をしている。春樹にはそう思わずにはいられなかった。
「それで、2人目は?」
「うん。2人目は3年の夏だった。彼女は塾で知り合った子だった。同じ学年だったけど、
別の高校行ってた。京大志望のすごく頭のいい子でね、話してると心が落ち着いた」
「ふーん」
「付き合いだして2ヶ月位したとき、ちょうど10月のセンター対策の模試があったときだったかな。
ほら、あの頃って毎週のように模試ばっかり受けてたじゃない?」
確かに3年の2学期は地獄のような生活だった。土日はほぼ全部が模試で埋まっていた。有名な塾が
主催する模試が週変わりでやってくる。センター対策模試、理系対策模試。大学別対策の模試。
 春樹は塾に通うことはしていなかったが、土日が模試で潰れるだけでぐったりした。わずか
1年前の話だ。随分昔のことのように思う。
「いい加減土日のゆっくりした時間恋しさに、僕は彼女と二日目の午後の模試、サボったんだ。
もちろん、行き先はホテルだよ。何やってるんだろうね、こうやって話すとすごい恥ずかしいな・・・。
センター模試の一つくらい落としたって、どうってことないって思ってたんだろうね。彼女
とホテルで話して。・・・ベッドに寝そべって話してるうちに彼女もまんざらじゃなくなって・・・」
嫌な予感がしたんだ、と要は言った。その瞬間までそれでも大丈夫だと思い込んでいた自分が
崩れ去っていくようだった、と。
「裸になった彼女の上で、僕は固まった。こみ上げてくる吐き気と戦っているうちに、そっち
の方は完全にダメになっちゃったみたいで、僕は彼女から離れた。・・・ごめんって謝ったら
あの子は、すごい優しい子だったから、『私が悪かったのかな?』ってすっごい無理しながら
聞いてくるんだ。ホント情けなくって。それでも、そこではっきり分かったんだよ。僕は
女の人がダメなんだって」
 その彼女とも結局、センター試験受ける前には別れたよと、要は少しだけ悲しそうに言った。
ああ、好きだったんだな、と春樹は思う。
「なんか、原因とか・・・」
「原因?原因ならはっきりしてるんだ」
「分かってるのか?なら、直せば・・・って直せるものじゃないのか?」
春樹は腕を曲げて頭の後ろで組んで枕代わりにした。そう簡単に直せるものなら、とっくに克服
しているだろう。わざわざ自分に告げるまでもなく。
「・・・1度目の彼女の時も2度目の時も、裸の彼女達が、『最期の母さん』と被ったんだ」
「は?」
春樹は聞き返す。『最期の母さん』とはどういう意味なのだろう。要は母親の最期を見たという
ことなのだろうか。詰まりあの火事で要は燃え盛る火の粉の中で母を見ていたと?
 春樹が固まっていると、要は話しを先走りすぎたことに気づいたようだった。
「・・・ごめん、いきなりそんなこと言ってもわからないよね」
「最期の母さんって、お前、何か見てたのか?」
要はあの火事で逃げてる最中に意識を失って病院に運ばれたのだと春樹は聞いている。詳しい状況
までは知らない。ただ、弟を1人抱きかかえながらアパートを飛び出して、隣の部屋の住人に保護
された瞬間に、意識を失ったのだと薬局の親父に聞かされた。
「・・・原因の意味を理解してもらうには、あの火事の話をちゃんとしないといけないね」
あの火事で、一体要は何を体験したのだろう。春樹は薄ら寒くなった。

「あの火事・・・いや事件のこと、僕は今までに1人しか語ったことがない」
要はわざわざ事件だと言い直す。背中がひんやりとした。
「1人?」
「うん。僕の心療内科の先生」
「診療内科・・・」
「僕ね、火事があって、こっちの学校に転校してから、凄く不安定だったんだ。気分が塞いだり
突然発狂したくなったり・・・でも一番ひどかったのは、フラッシュバックだった」
「フラッシュバックって、火事のこと思い出すってことか?」
「うん、特定の条件がそろうと、思い出してパニックを起こしたり倒れたりする。初めは火を
見るのだけでもダメだった。それで倒れて、先生に診てもらったのが初めだったかな」
火事の後遺症とはこういう所にまで蔓延っているのだ。春樹は胸が締め付けられる。
「6年の時にね、図工で彫刻刀を使った授業があったんだ。皆で版画を彫ったんだと思う。
そのときに、ある女の子が男の子と喧嘩になってさ、ちょっとした言い合いしてただけなんだけど
手にした彫刻刀を男の子に思わず向けちゃったんだよ。別にそれで切りつけたわけでもなければ
切りつけようとしたわけでもない。ただ、指を差す代わりに彫刻刀を使ったくらいだったのに、
僕はそれを見て倒れた」
春樹はごくりとつばを飲み込んで要の言葉を待った。
「心療内科の先生はこっちに来てからずっと通ってた先生なんだけど、なんでそんなことで
フラッシュバックを起こすのか、ずっと首をひねってた。でも、僕が倒れて担ぎ込まれたとき、
何か分かったんだろうな。さすがに医者に嘘付いてたら治るものも治らないって怒られて、
観念してしゃべった」
「うん」
「父さんにも警察にも、誰にもしゃべらなかった」
「え?」
「進藤、聞いてくれる?」
「俺が?」
「うん」
要は何かを隠している。それが原因でフラッシュバックを起こし、女を受け入れられなくなるほどの
重大ななにかを。8年間ずっと隠して生きてきたのか。
 春樹にそれを聞くことが正しいのか分からない。単純に知りたいと思う気持ちはあるが、
それを知ってしまうのはあまりにも重く圧し掛かる。軽々しく語れることでもなく、警察にさえ
話さなかった出来事が、あの火事の中で起きていたのだ。
 自分にそれを受け止められるだけの器があるだろうか。ただ1人の友人として、それを聞くことを
躊躇った。
「俺なんかに・・・俺なんかに話していいのかよ」
「進藤に、聞いてもらいたいんだ」
そこまで言われて、春樹は黙って頷くしかなかった。

「あの日、僕は進藤の家に行くつもりで9時少し前にこっそり家を抜け出してた。
僕、誰かを誘って出かけるってこと、初めてだったんだ。だからドキドキして、いてもたっても
いられなくて、いつものように弟を寝かしつけてから、家の窓から星を眺めたり、外に出たり
してた。そのうち9時少し前になって、母さん達に気づかれないで、なんとか家を抜け出した
まではよかったんだけど、進藤の家に向かう途中で、星座早見版を
持ってくるのを忘れたことに気が付いちゃったんだ。
どうしようか迷った挙句に僕は、家に取りに戻った。
だって、進藤に白鳥座を教えてあげたかったから。
あの頃、いつもそれ見ながら星見てたんだ。
そういうのって手元にあると安心するだろ?」

だけど取りに戻ったのが運の尽きだった、と要は言った。


 <<8へ続く>>




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