12月最後の日は、朝から慌しく、気がつけば昼をとっくに過ぎてもオレは昼食にありつけず
働き蜂か働き蟻よろしくセコセコと動いていた。
　オレがまだ小学生だったころから、この年末の光景はずっと同じだけど、それもこれも、
1月1日を目出度く迎えるためだ。天野家のお正月は意外とキッチリしてる。
母さんが死んでも、父さんはこの年中行事だけは真面目にこなしていた。
「こんにちはー」
インターフォン越しに見知った声が響いた。オレは父さんに教えられたように、重箱に
おせちの黒豆やら昆布巻きを詰め込んでいて「ちょっと出て！」とその辺にいる奴らに
怒鳴り気味に叫んだ。
　しかし、その声に反応するヤツは誰もいなくて、オレはイライラしながら顔を上げる。
父さんは仏壇の掃除、天はそういえば、買い物に出ていていないのだった。残るは、
リビングのソファに寝そべって、ダラダラとゲームをしているアツシだけだ。
　高校生になっても、相変わらずの甘ったれで、年末のこの忙しさを見ても、手伝うとか
そういう考えはまるっきり持ち合わせていないらしい。それを許してきた周りも悪いんだ
ろうけど、高校生になったんだから、もうちょっと周りのことにも気を配れるようになって
欲しいと本気で思う。
「アツシ！ちょっと出て！」
「ダメー、今すごい大変なの」
「朝っぱらからずっとそこで寝そべってるヤツの何が大変なんだよ」
「だって･･････うおっ･･････見つかった！やばっ！切られる！」
アツシはゲームの中の武将達をひたすら切りまくっている。朝からずっとゲーム三昧で、
自分の弟にしながら、こんなんでいいのかと呆れてしまう。高校生なら勉強しろと小言でも
言ってやりたい気分だ。
「ったく、お前なんて信長でも家康でも切られてろ」
アツシは全然オレの話なんて聞く気が無いらしく、オレは仕方なく箸を置いて玄関に向かった。
　玄関を開けると12月の冷気と共に、銀縁のメガネの涼しい顔が入ってきた。
「寒い。いつまでこんな吹きっさらしの極寒の辺境地で待たせれば気が済むの」
「人のうちの玄関を辺境地呼ばわりすんなよ。しかも1分も経ってねえだろ」
「じゃあここに立ってみなよ」
「やだよ寒いから」
「早く中入れろ」
「偉そうだな」
薄着で玄関を開けた所為で、一瞬でもそこにいるだけで身体が冷える。こんなところで、
こいつと馬鹿な会話してることないんだ。さっさと中に入ればいいのに、何故だか、こいつ
はふふんと嫌味ったらしく鼻を鳴らした。
「じゃあ、丘風に言ってあげるよ」
「何だそれ」
「早く、オレの中、入れろ･･･」
耳元でぼそっと呟かれて、出会って1分で卑猥な会話が飛び出すなんて予想していなかった
オレは耳を押さえて首を振った。
「修ちゃんの馬鹿、不潔ぅ〜」
それくらいでうろたえるほど、もうガキじゃねえよ、と余裕見せてオネエ風に言えば、こいつ
は益々悪乗りして、耳に当てていたオレの手をわざわざ退けて、オレの耳たぶに噛み付き
そうな勢いで囁いてきた。
「ふふ、お前の中、温かいもんなー、早く入りたい」
「雨宮！」
玄関で何言ってんだ、お前は。この変態、エロ魔人、腹黒ドS野郎。
　思いつく限りの悪態を雨宮にぶつけようと睨み返したとき、雨宮の背後から浮かれた声
が飛んできた。
「寒いのにオアツイネ〜」
振り返れば、天が大量の荷物を抱えて直ぐ後ろに立っている。
「あ、こんにちは。お邪魔します」
雨宮はすうっともとの端正な顔に戻って、天に頭を下げた。このタヌキジジイめ。
「おかえり。すげえ買い込んでるじゃん」
「重い。半分持って」
見れば、ビニール袋の中はアルコールばかりだ。
「先週お正月用に1ケース買ったんじゃないの？」
「あれは、飲みすぎて半分しか残ってないんだよ」
「飲んだの天だろ。オレも父さんも言うほど飲めない」
どうせこの追加分を飲むのもオレじゃない。
「まあまあ、修ちゃんだって飲むでしょ？」
天は雨宮を振り返るとビールの袋を持ち上げて見せた。
「天野家の財政を圧迫しない程度にいただきます」
雨宮は天に慇懃無礼とも思えるような態度で（多分雨宮なりの悪い冗談）頭を下げた。
「修ちゃんが潰れる所、一回見てみたいんだけどな」
気持ち悪いことに、天は雨宮の事を修ちゃんと呼ぶ。アツシも父さんも修ちゃん呼ばわり
するから、未だに雨宮って呼んでるオレはなんだか浮いてる･･････けど、今更恥ずかしくて
名前なんて呼べるかよ。
　雨宮はいつの間にかオレの事名前で呼ぶようになったけど、こういうのってタイミング
逃すともう呼べなくなるんだよな。
「酔いつぶれたら、自分でもどうなるか分かりませんよ」
「狼修ちゃんになったりして」
ふふっと天が意味ありげな笑いを見せたので、オレは天にこの手の話をされたくなくて怒鳴り
ながら雨宮に言った。
「とにかく寒いから、さっさと中入れ」
オレは薄着の身体をぶるっと震わせて雨宮を招きいれた。





　いつの頃からか、雨宮は正月をうちで過ごすようになった。雨宮家は盆も正月も無い病院
だから、今日だって雨宮の両親は病院に出てる。正月らしいことなんてしたことがないと
洩らした雨宮を可愛そうに思ってか、父さんが是非うちに来て一緒に正月を迎えようなんて
言い出して、今じゃそれが習慣化してしまった。
　当たり前のように天野家の正月の席に雨宮も座ってる。大晦日の昼頃やってきて、新年の
朝を一緒に迎えて、親戚回りする午後になると帰っていくのが、毎年のパターンだ。
　当たり前のように一緒にいるから、最近じゃ雨宮の事を客扱いしなくなってるけど、それ
はそれで、ちょっと問題な気もする。大体オレたちの関係を父さん達にどう説明したら
いいんだよ？友達が毎年正月に入り浸ってるって普通に考えたら変だろ。
　かといって、カミングアウトするのもやっぱり気が引けるし。
　そういう曖昧なまま、何年もこの調子だけど、今までずっとこのままだったなら、きっと
この先もこのままな気がするのは、甘い考えか。
　その時が来たら考えることにして、今はまだこのままでいようと思ってる。だって、
考えると頭痛い。この家族だし。前例があるから、天と父さんはなんとかなるとしても、
それ以外の親戚にしてみたら、「またか」「お前もか」「父親があれだから」って言われる
に決まってる。そういうのを気にしないでいられる年でもないし。
　オレはコタツで飯が出てくるのをぬくぬくと待っている家族を見て溜息を吐いた。
「アツシー、鍋持ってって」
「えー、寒い。出来たなら、兄ちゃんがもってくればいいじゃん」
「お前なあ･･･コタツの前で待ってるだけで飯が出てくるなんて甘い事がいつまでも通用
すると思うなよ？」
「してるじゃん」
どこまでこの甘ったれは甘ったれのままなんだ。
　呆れながらも、結局自分で鍋を運んで、夕食の支度は殆どオレと父さんでやってしまった。
「今年はキムチ鍋なんだな」
運ばれた鍋に顔を寄せて、雨宮のメガネが曇った。
「色々やりまくって、一周したんだよ」
「カレーも豆乳も、トマトもゴマもなんでもやったからなあ。父さんはカレーが一番だな」
そう言って、父さんも冷蔵庫からビールを運んでくるとコタツの定位置に座って準備が完了
した。
　缶ビールを開けて、お互いに注ぎ合うと、グラスを合わせて乾杯。何に乾杯なんだか
分かんないけど、とにかくこういうときは乾杯だ。
「お疲れ。今年も一年いい年だった」
父さんが相変わらず平和ボケした笑顔で頷くと、天もそれを愛おしそうに眺めながら
「晴さんが幸せでいてくれてよかった」
なんて惜しげもなく言う。
　天がこの家にやってきてからもう10年以上経つけど、相変わらずこの2人はこんなまま
だし、まあよく飽きないもんだって半ば感心してしまう。オレと雨宮だったら･･････こんな
イチャイチャ劇、無理だ。
とりあえず、人前でこんなデレデレできるかよ。
　オレの言いたい事を察知したのか、オレの隣に座っていた雨宮が、コタツの中でオレの
腿の辺りをすうっと撫でてオレは思わず雨宮を振り返ってしまった。
「！」
「ん？」
その視線に雨宮が平然と見つめ返す。返す言葉が見当たらなくて、雨宮の「あ」の口のまま
固まったオレに、アツシがニヤニヤしながら言ってきた。
「イチャ付きたいのは分かったからさー、さっさと食べようよ。お腹空いた」
「あ、あ〜？！」
「それもそうだな。鍋、旨そ。あ、レンゲがない。丘ちょっと持って来い」
天がオレを名指しで命令する。
「あ、丘！父さんの分もお願い」
「じゃあ俺も」
「兄ちゃん、僕の分もね」
「あ･･･ああ･･･？」
オレのひっくり返った声は、見事にスルーされて、オレは何故だかコタツを追い出され
キッチンに全員分のレンゲなんてとりに行っていた。
　勿論、オレが席を立った後に一同意味ありげな苦笑いしてたことなんて、全く知る良しも
無いんだけど。オレと雨宮の関係を気づいてないと思ってるのはオレだけなんて、この頃
のオレは思っても無かったんだ。





　すっかり父さんが出来上がって、夕食もお開きになろうとしていた。
　雨宮はそこにいることを誰も疑問に思わないほど自然に溶け込んでいて、オレ一人が、
妙にそわそわして、居心地の悪い思いをしていた。
　それなのに雨宮は、幾度となくコタツの中でオレの腿やら腿の奥（！）やらをベタベタ
触りまくって、その度オレはビールを零しそうになったり、お椀をひっくり返しそうになったり
して、父さんに「どっか悪いの？」なんて聞かれる始末。
　勿論雨宮は知らん顔で、天やアツシと談笑なんかしてて、ホント腹が立つ。･･････後で
部屋に帰ったら絶対文句言いまくってやる。
「そろそろ、片付けするか」
父さんが鍋の最後の一杯を器によそって、それを天に差し出すと、酔っ払いの真っ赤な顔
のまま、立ち上がろうとした。途端、ふらついて、手に持っていた箸が転げ落ちる。
「晴さんはいいよ、どうせ酔っ払ってコップ割るだけだから。丘にでもやらせておけば
いいって」
「天！オレはこの家のメイドじゃない！」
「この家、丘が片付けなきゃ誰が片付けるんだ」
「･･････天がやればいいだろ」
「俺、晴さん介抱するのに忙しいから」
そう言うと、天は父さんの肩を引き寄せて、俺に向かってニシシと笑った。本当に大人気
ない大人だ。そろそろ40代も見えてきてるオッサンなのに、天は相変わらず、オレ達が出
会ったときの「若い兄ちゃん」のままだ。
　仕方なく、オレはアツシを振り返る。
「アツシ、お前も手伝えよ」
「僕これから出かけるから無理ー」
「どこ行くんだよ！」
「デート！」
アツシはフフンと笑って立ち上がった。
　高校生の癖に、こんな時間からデートだと〜？･･････って全然人の事は言えないんだけど
アツシの遊びなれた雰囲気を見てると、先行きが不安になる。小言言っても、聞く耳持た
ないから、もう言うのも止めたけど。
　アツシが出て行こうとしたので、鍋は一気に解散の空気になって、オレも仕方なしに
片付けモードに入ろうとした。
　そこで、父さんが天の腕から起き上がって、アツシを呼び止める。
「ちょっと待って。解散する前に、明日の確認〜」
「何それ」
酔っ払いの頭でも、そういうところだけはちゃんと考えられるらしい。
「明日のお雑煮、餅幾つ？」
「俺3つ」
天が即答する。
「じゃあ、オレも3つでいいよ」
「修ちゃんは？」
「俺もそれでお願いします」
「アツシは？」
「えー、僕寝てたいよ」
「ダメ〜。元旦くらい家族揃って挨拶しなきゃ〜」
「家族揃って」の中に雨宮が普通にいるんだけど、父さんはやっぱり違和感を感じない
らしい。
「じゃあ、用意できたら起こしてよ。僕、ゆう君達と待ち合わせしてるから行くよ」
「あんまり遅く帰ってくるなよ」
「･･････兄ちゃん、小言が多いと恋人に嫌われるって先生が言ってたよ」
「うるさい！お前にはこれくらい、小言のうちには入らないんだよ。っていうか、先生に
何言われてんだ、アツシは」
アツシはケケケと笑いながらリビングを出て行った。





　父さんは天が早々に寝室に連れて行ってしまったので、結局片付けはオレと雨宮（当然
強制的に手伝わせた）がやることになった。
　2人でキッチンに立って食器を洗っていると、雨宮がふと手を止めた。
「何？」
「コンロの鍋、明日の雑煮の準備？」
「そうだけど」
頷くと、雨宮は目を細めた。
「天野家の雑煮の味にもすっかり慣れちゃったなあ」
「･･････雨宮家の雑煮の味と違うのかよ？」
「どの家でも雑煮の味は違うでしょ。ほら『餅と酢は家に似る』って」
「そんな諺知らねえよ」
「あるんだよ。家の好みで、独特の形や味が出来るって」
「ふうん。でも、お前、毎年入り浸りだもんなあ。親心配してないのか？」
「俺が病院継がずに大学に研究で残るって決めてから、あの人達は、俺の事、いなかった
ことにしてるみたいだから、全然大丈夫」
「･･････悪い冗談？」
「うーん、そこそこ本気？」
雨宮は何てこと無いようにオレに笑いかけてくるけど、それが本気だったら、多分雨宮の
心境は思った以上に複雑なんだろうなあ。オレには家庭の問題はあんまり話したがらない
んだけど。
「気にするな。元々、自分の家の雑煮の味なんて殆ど覚えてないんだから」
「でも、自分の家の味とは違うって思ったんだろ？お前、実はすげえ可愛そうなヤツだろ」
「可愛そう？全然だね。寧ろ、この状況は楽しすぎるくらいだけど」
雨宮はメガネをキラっと輝かせてオレを見下ろした。
　それから、わざとらしくオレにぴったりとくっついて、耳元で
「嫁入り前に、彼氏の家にお呼ばれした子の気持ち？」
なんて馬鹿なことをほざくから、オレは洗剤の泡まみれの手を振って、雨宮に泡を飛ばして
やった。
「天野家に、これ以上ずうずうしい嫁はいらないからな！」
雨宮がオレに飛ばされた泡を水で流す。
「大丈夫、あそこまで堂々と図々しくない筈だから」
そう言うと2人して二階の寝室を見上げ、オレ達は苦笑いした。



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