☆special―俺の橋をこえてゆけ―5




「今日は姪がすまなかったね」
「あ、いえ。板橋を待ってる間、一緒に話ができて楽しかったです。退屈しないで済んだし」
「あの子も、小島くんと話が出来てよかったと言ってたよ」
ニコニコ笑いながら、マスターはカウンターに座る僕と板橋にノンアルコールのカクテルを 出してくれた。
「今日帰るんだろ?大丈夫、アルコールは一滴も入ってないから」
「ありがとうございます」
板橋の元カノと別れてやってきたのは、マスターの経営するBar「Beyond The Brigde」 だった。オフ会の二次会らしく、お店の中は10人程度だったが、バーは貸切、どの客も みんな橋オタクなんだそうだ。
なんだか、ちょっと怖い。板橋みたいなのが10人もいるって事でしょ?難解な橋談義でも されたら、僕は一発で眠ってしまいそうだ。
店の中も、一見シックな空間を演出しているようで、よく見ると、あちらこちらに橋の写真 やらオブジェやらが飾ってあった。極めつけは自作の橋の写真集で、見てくださいと言わん ばかりに各テーブル毎に置いてあるのだ。
「橋好きはこれを開いてあの橋がいい、この橋のここがいいって酒を飲むんだよ」
板橋も写真集を早速開きながら教えてくれた。酒の肴も橋なんて、どんだけの人たちだよ。
「それにしても、今日の明石はよかったな」
カウンターにちょっと離れて座った客が感慨深そうに呟いた。
「今日は天気がよかったからかなり先の方まで見えましたね。主塔に登るなんてこと滅多に できないから、いい体験できましたよ」
「私はね、明石大橋作る仕事に携わってたんだよ」
「俺も、物資運んでた」
一人の客が話し始めると、一斉に被せてきて、あっという間に橋談義が始まった。
流石に板橋は遠慮したのか、それには加わらず耳を傾けて笑っている。
「あっち行きたいんじゃない?」
「これ以上あんたを放っておくと、なんか危険なことが起きそうだからな」
「別にいつも騒ぎを起こしたくて、してるわけじゃないよ」
「だから放っておくと危険なの」
「失礼な言い方だなあ」
27になる男を捕まえて、この言い方。きっと昔から変わってないんだろうなと苦笑いして いると、マスターが驚いて呟いた。
「ハッシー、何か変わったな」
「え?」
僕が聞き返すと、板橋も驚いた顔をしていた。
「俺の?どこが?」
「そういうとこが、かな」
「全然分かんない」
「人間っぽくなってきた」
マスターが何故だかしたり顔で頷いて、板橋は不可解な表情のままマスターを眺めた。そう いえば、梨香もそんなことを言っていた。
変わったといえば、変わったような気もするし、変わらないといえば変わらない。3年ずっと 一緒にいると分からないもんだな。
「マスターはいつから板橋と知り合いなんですか?」
「高校生の時だよ。俺と同じ橋好きだって梨香が連れてきたんだ」
懐かしそうに目を細めて、マスターは壁にかかった写真を見た。
「タコマ橋を高校生があんなに詳しく語れるなんて、俺はびっくりしたね。本当に橋が好き だったんだなあ。……いつだったか、橋サークルの大学生を論破したことあったっけ」
「橋サークルなんてあるんですか……」
「あれは、橋好きって言いながら橋のうんちくを自慢する自分が好きっていう俺の嫌いな 人種だったんだよ」
「でも、あんまり周りの空気を読まないで突っ込んで行ったから、俺は気が気じゃなかった んだよ」
「周りの空気を読まないのは今でもですよ!」
僕が反論しても、マスターは首を振った。
「いや、読んでるよ今のハッシーは。きっと心を許せる人ができたからだろうな」
「何その飛躍した解釈」
「人は恋をすると周りが気になるようになるんだよ、ハッシー」
「出たよ、マスターの妄想劇場」
板橋がノンアルのカクテルに口を付けて笑った。
「この人、自分の妄想で橋を語るのが好きなんだ」
「どういうこと?」
「人にも過去があるように、橋にも過去があると思うんだよ」
「橋に物語を作って遊んでるんだ。それがそこに置いてあるノート」
写真集の隣に「とあるバーのマスターの備忘録」と書かれたノートが置かれていた。中を ペラペラとめくると、webサイトのニュースのようなものが目に飛び込んできた。左側に 橋の写真が貼られ、その橋の紹介記事が書かれている。けれど、よくよく読んでみると どれもこれも、橋がまるで生きている人のように書かれていたのだ。
あ、板橋が行きたがってたミヨー橋もある。……うはは、なにこの天才変人。
「マスターって面白い人なんですね」
「ありがとう」
一見すると普通の男の人に見えるけど、板橋と気が合うっていうのも分かる気がした。
板橋のことをよく分かってる人なんだろうと思うと嬉しくなる。板橋って無駄に周りに 敵を作る男だからな。少しでも味方がいると嬉しくてほっとしてしまうんだ。
ホント、板橋って無駄に敵を作って、それを大して気にしないっていう厄介者なんだ。 どこまでも我が道を行くって感じなんだけど、マスターが変わったっていうのなら、 ちょっとは空気読めるようになったって思ってもいいのかな。
けれど、思い返してみても、空気を読んで争いごとを避けた記憶がない。……空気を読んでわざと 相手を挑発とかしてるんだったらそれはそれでもっと厄介だ。
結果は何にも変わってないんじゃないか。
僕は溜息を吐く代わりにマスターの作ってくれたカクテルに手を伸ばした。薄いピンクの 液体が喉を潤して爽やかな香りが口の中に広がった。
「おいしい」
「このカクテルは明石大橋をイメージして作ったんだ」
マスターの言葉に僕はむせた。



それから、僕たちも他の客たちと少しだけ話しに加わり、板橋も橋オタク全開で楽しんだ。
板橋が時計に目をやった。
「そろそろ、行こうか」
「もう?いいの?」
「明日会社だろ。帰らないと」
「……うん」
板橋は周りに挨拶をして早くも席を立った。僕もあとに続く。マスターがありがとうと お礼を言って、何故だか橋の写真をくれた。
僕たちは橋談義で盛り上がるバーを一足早く後にして、オデッセイへと戻った。



←back next→


top>☆special>俺の橋をこえてゆけ5





 © hassy  .2006