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はしま道中流離譚―俺とあなたに架ける橋―



「世界の料理 ブラジル」

 あ、まただ。
 この看板見るの3度目なんだけど。

 初めは、流れていく景色の中に変な看板を見つけて、目を引かれた。看板のすぐ隣には、
これまた目を引く真っ黄色のペイントが施された家。多分これが「世界の料理 ブラジル」
の本体。どれがお店の名前なんだろう。ブラジル?(っていうか何屋なのかさっぱり不明
なんだけど、OPENの文字ははっきり見えたから、何かの商売はやってるんだろう)

 今朝からずっと、板橋から顔を背けて、外ばかり見てた。だから、板橋がどんな風に
走ってたか、なんて気づくはずもなく。
 どうせ、次の目的地か神奈川に向かって走ってるんだろうって思い込んでた。
だから、2度目にその看板を見たときも、すごい、2軒目まである!なんて感動すら覚えた
くらいだ。ブラジル料理なのか、無国籍料理なのか。そのネーミングセンスに店長の顔が
見てみたいと突っ込みを入れたくなる。
(ブラジル料理こそ、世界の料理だって、オーバージェスチャーで豪語する陽気なブラジル
人の男が、頭の中で踊ってるんだけど)
 だけど、3度目に「世界の料理 ブラジル」を目にして、あれ?って思った。だって、カート
押しながらしゃべってるおばあちゃん2人組が、どの店の前にもいたんだもん。
 それで、漸く3度目で、実は同じところをグルグル回っているんじゃないかっていう疑心
が湧いていた。
 え?遅い?
 振り返って、カーナビに目をやると、車が通過した後の軌跡が、歪な円を描いていた。
「板橋君・・・?」
驚いて、カーナビから更に板橋に目を移す。
 板橋は、右ひじを窓につけて頭を右手の上に乗せながら、心ここにあらずみたいな顔で
運転していた。
 のろのろ運転なのは何時もの事だけど、黄色信号までのろのろと走っている。
「ねえ、ちょっと?」
不安になって声を掛けると、板橋も自分が無意識で運転していたことに気づいたのか、急
ブレーキを踏んだ。
 車はキィィィっとけたたましいブレーキ音を上げて、その場に停まった。後ろから車が
来ていたら、間違いなく衝突してた。
「うわああっ」
「・・・っ、ごめっ」
板橋の手が僕の身体の前に出る。シートベルトで前に吹っ飛ぶことなんてないのに、板橋
は、左手で僕を咄嗟に庇ったのだ。
 女の子の好きそうな仕草。守られてる、そんな錯覚。でも、今はそれも苦しいだけだった。
 シートベルトと板橋の左手に押さえつけられて、僕はシートから離れることなく、急ブレーキ
に耐えられた。
 バックミラーで後ろを見れば、板橋の車、オデッセイがつけたタイヤ痕がくっきりと道路
に残っていた。
 「世界の料理 ブラジル」の前でしゃべっていたおばあちゃん達がびっくりしてこっちを
見ている。腰抜かしてないか、心配だよ・・・
 それにしても、板橋がハンドル切ってなくてよかった。片側1車線の田舎道。ぽつぽつと
店はあるけど、その周りは青々育った田んぼが取り囲んでる。少しでもハンドルを切って
いたら、危うくその田んぼに車ごとダイブするとこだった。
「あ、危ない・・・よ・・・」
「悪い」
板橋は、低く呟くと、再び目の前の道を走り出す。

 今朝から、いや昨日の夜から、まともに会話なんてしていない。気まずさレベルで言っ
たら、「超気まずい」。別れ話の最中にコーヒー運んできたウエイトレスの立場くらい
気まずい。
 大体、板橋が悪いんだ。抱くだけだいて、無しだの言ったきり爆睡。
取り残された僕は30センチ離れて居心地の悪い眠りについた。疲れていて、眠たかった
のが唯一の救いだった。
 それで、朝起きて、何かが変わったかといえば、エース級の気まずさは続投。車中は、
起き抜けから重たい空気を引きずって、僕の気分をどんよりさせた。
 目が覚めたら板橋がにこやかに笑ってる、なんてこれっぽっちも期待してなかったけど
せめて、夢であってくれたらとは願っていた。
 僕は相変わらず遅い目覚めで、僕が目を覚ますと同時に板橋は移動を始めた。
そしてかれこれ数時間。ずっと、こんな調子だ。
 もはや、車がどこに向かっているかなんて、板橋ですら把握してない。オデッセイの名
が示すとおり、僕らは長い旅を彷徨っている。
「どこ、向かってるの」
「分からん」
「は?」
「名阪国道目指してるつもりだったけど」
「それ、どこ」
「奈良の方」
「今は?」
「多分、兵庫の上の方」
丁度通りすぎた青看板には「城崎温泉」の文字が見えた。
 板橋はカーナビの地図表示を広域にして、現在地を確認している。確かに、現在地を示す
赤三角の点滅は兵庫県の日本海側の方まで行ってしまっていた。
 どう考えても、奈良県は90度以上方向が違う。っていうか、神奈川に向かうのに、何で
日本海を目指してるんだ、板橋は。
 ぐるぐる同じところを回って、やっと抜け出したと思ったら、今度はてんで方向が間
違ってる。
僕達の行く末みたいだ、なんて悲観してしまった。




「あー、もうダメ。よし、終わり」
板橋はカーナビを触る手を止めて、その代わり大きく伸びをした。
「・・・・・・」
「いろいろ考えるの終わり。だから、あんたも色々考えんな」
板橋は、こっちをむくと、「な?」と力強く頷いた。
「はい?」
「大体、俺に考えるなんていう行為、似合わない。そういうことしてるから、変な方向に
行っちゃうしな。そういうのは別のヤツがやればいい」
あの、言ってる意味がわかりません。
 板橋は僕が怪訝な顔をしているのもお構いなく、さっきまでの仏頂面を吹っ飛ばして、
ニッカリ笑った。
「いいの、いいの。終わり終わり。さ、行こうぜ」
「え?え?」
「あんたも、何も考えるなって、な?」
「ええっ?!」
アクセルは軽快。スピードを上げて、車は走り出す。
 何、何なの、この超自己完結人間!!
どんな神経回路なのさ、君は!!
勝手に抱いて、無しにしろと言って、気まずくなったあげくに、考えるなだと〜?
僕も大概空気が読めないだの、自由奔放だの言われてきたけど、板橋の方が無茶苦茶だ。
おまけに僕にも考えるなって、勝手すぎもいいとこじゃないか。
 僕が板橋を睨むと、板橋も僕の視線に気づいて、こちらを一瞥した。
「何?」
板橋の声のトーンは一瞬にして明るくなった。
 板橋、君の心の中の変換機はどういう仕組みで動いてるんだよ。普通、人ってヤツはね、
君みたいに、「なし」だの「終わり」だので気持ち切り替えたり出来ないんだよ?
 浮かれる板橋の隣で僕は疲ればかりが出た。
ああ、確かに板橋は初めから「橋以外には無頓着」だったんだ。生活すること、お金の
やりくり、泊まる所だけでなく、感情にだって、拘らない。
 なんか、僕ばかり悩んで馬鹿みたいじゃないか。
チクチク、グチグチ。
それでも僕の扁桃体は板橋を良好に捉えてるらしく、「お前なんて大嫌いだ」なんて口
が裂けても出てきそうもなかった。
 これって、やっぱり恋?
辛いな。前途多難どころの問題じゃない。身体は繋がっても心は置いてけぼり。
ノンケなんて好きになるんじゃなかった。
いや、板橋なんて好きになるんじゃなかった。
自分が板橋の事好きだって、気持ち確認する前に、そんな後悔の方が先やってきた。

板橋は、順番も何もかもが無茶苦茶な男だ。




 僕が1人不貞腐れている間に、車は兵庫を抜けて、京都に入った。京都と言っても、京都
の北部で、京都の町の中の面影とかそういった風情は全くない。
 ただの田舎町だった。車が若干増えてきて、よく見ると近畿地方の様々なナンバーが見える。
なんだろう、観光地かな。
 板橋は車の多くなる方向へと向かっている。
あちらこちらの看板から、板橋が向かっている方向がどこなのか推測できた。
「天橋立!?」
「ん?ああ、そう。あんた行ったことある?」
ぶっ、板橋って、橋がつけばなんでもいいのか?
「ないよ。だって、神奈川からじゃ、こんな遠いところ普通行かないもん」
「そうか。俺3度目だけど。面白いから連れてってやるよ」
板橋は上機嫌そのもので(さっきまでのあれは一体なんだったんだ!!)混雑気味の駐車場
に車を入れると、さっさと車を降りてしまった。
「あ、待ってよ・・・」
・・・ったく、なんて勝手なのさ!
ああ、もう、なんなんだよ、板橋の馬鹿!橋オタク!鈍感男!
 自分の感情についていけず、オロオロするばかりじゃ、こっちだって溜まったもんじゃ
ない。
 板橋が考えるの終わりっていうなら、こっちだって、板橋の事なんて考えてやらないよ。


 ロープウェイ(と呼べるのかわからない感じの微妙な乗り物)に乗って展望台まで昇った。
当然料金は板橋持ちだけど、段々払ってもらうことに罪悪感を感じなくなっている。
(あ、勿論後で返すよ!そんな奢ってもらうなんて、悪いこと考えてないよ)
 天橋立というのは、どうやら日本三景のうちの一つで、逆さに見ると天に架かる橋の様
に見えることから、名前が付いたんだそう。一説にはイザナギが天に昇るための梯子が、
イザナギが寝ている間に倒れて天橋立になったとまで言われている。全て手元のパンフレット
の引用だけど。
 股のぞきという、身体を折って股の下から逆さまに景色を覗くと、そう見えるんだって。
 ちょっとやってみたいって言ったら、板橋が笑ってヤレヤレと囃し立てた。
僕の機嫌も、随分テキトーに出来てるらしい。
ロープウェイを昇ると、海の上に一筋の道が浮かび上がっていた。自然の奇跡みたいな
地形だった。そりゃ、昔の人は神秘的な何かを感じたに違いない。
「ほら、あそこのおばちゃん連中がやってるから、あんたも真似しなよ」
「う、うん」
板橋の指した方向には、観光客のおばちゃん連中が自分の股の下から下界を見下ろしている。
 よく見れば、他人のやってる姿ってものすごく滑稽だ。
 でも、まあ、せっかく来たんだし。
僕は眼下に広がる景色に背を向けて立つと、身体を折り曲げて、股の下から再び、その
景色を覗いてみた。

「あ、海が空になった・・・」
マヌケな感想だけど、本当にそう見えたんだ。天に架かる橋。
 誰がこんなこと考えたんだろう。天地を逆にするなんて。どんな発想だったんだろう。
逆さまにすることで、何か見えたんだろうか。うん、見えたんだよね、天に架かる橋が。
 僕は股のぞきの格好のまま、身体を180度回転させた。視界は海から地上、そして、僕
のマヌケな格好にカメラを向ける板橋の姿に変わった。
「あんた、何してんの」
逆さまの板橋が言う。
 こっちの橋様は逆さまにしたって、なにも変わらない。板橋は半笑いの顔で僕を含めた
「天橋立」を撮っている。板橋は、「パネルにして飾ってやりたいほどの傑作だ」って呟
いた。笑ってるんだから、どれだけ無様なのか僕にも想像が付く。
 板橋は朝の姿が嘘みたいに上機嫌だ。
楽しければいい。目を瞑れというなら、事実から目を逸らしてもいい。流される自分が
囁く一方で、それでいいのかって豆粒良心が胸の中をピョンピョン跳ねる。それがチクチク
心に刺さって、小さな良心でも痛かった。
 流されちゃダメだ、ちゃんと見極めろ。板橋の気持ちを探せ。そう囁く、僕の中の僕。
勿論板橋の気持ちなんて知りたいに決まってる。どんな気持ちで僕を抱いたのか。それが
どんな即物的な気持ちだとしても、知りたい。なかったことにしろなんて、今更、更地なん
かに戻せないんだ。
 逆さまの板橋が、近づいてくる。板橋も、逆さまにしたら何か見えたらいいのに。板橋
の心の中とか、板橋の隠してる気持ちとか・・・・・・せめて板橋に繋がる架け橋くらい、どこ
にあるのか分かればいいのに。
 だけど、逆さまにしたって、板橋は板橋。僕の認識が変わるわけもない。
 僕の前で板橋が止まる。見上げる角度にアップの板橋の股間が飛び込んできて、バランス
を思い切り崩した。
「うわあっ」
「危ね、何してんだ」
そのまま後ろに倒れて、強く背中を打った。

「痛ってえ・・・・・・」
「ばっかだなー、あんた」
板橋が手を差し伸べる。僕は手を上げて、その手を取った。
 強い力で引き上げられて、僕の視界は元に戻る。空だった海も、天に掛かった道も、目
の前にいる板橋も、全部元通り。
 なんだか一瞬の夢みたいだった。狐にでも化かされたような、そんな感覚の中で、板橋
の手の温度だけがリアルで、見上げた板橋もゆるぎなくそこに居るみたいで、僕は何だか
哀しくなってしまった。
 僕の中の板橋は、こんなにも正確に僕の前にいる。

これじゃもう、板橋から逃げられないじゃないか・・・・・・。









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