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はしま道中流離譚―俺とあなたに架ける橋―



 旅を始める前から、彼の態度はおかしかった。妙にそわそわしていたし、何時も以上に
優しかった。
 だから、うすうす感じていたんだ。この旅で僕達の関係を終わらせようとしていることに。

 小倉で新幹線を降りて、更に2時間。特急ソニックは永遠とのどかな道を走り続ける。
九州に来るのは初めてだった。
 初めての九州、初めての、彼との旅行。こんだけ遠くに来たなら、少しくらいは羽目を
外しても構わない気がしていた。
「一緒に、湯布院でも行かないか?」
そう誘ってくれたのは彼――会社の社長だった。

 社長と僕の関係は今から3年も前に遡る。
高校卒業して就職した僕は、会社の中でもホントに何にも出来ず、ミスばかりを連発する
ようなどうしようもない新人だった。
 小さな工場の営業として、任される仕事の量は半端じゃなかったのに、それでも、こんな
自分が何とか勤めてこれたのも、全て辛抱強くサポートしてくれた社長のおかげだった。
 社長は工場の2代目で、40という若さで父親の後を継いだ。奥さんと2人の子どもに恵まれ
人当たりのよさと真面目な働きぶりで、工場はそれなりに上手く回っていたと思う。
 僕と社長がこんな風になったのは、はっきり言って僕にしてみればひどく不本意なこと
だった。
 僕は自分の性癖について、もう何年も前から理解してたし、「男に抱かれる」ことで快楽
を得ていたのも事実だった。
 だから、社長との間に色の付いた空気が流れ始めたのも全て社長1人の所為じゃない。
社長に抱かれる自分を想像するのは簡単なことだった。

 だけど、社長が僕を抱いたのは、両者の合意など何もない状態だった。
残業で残っていた僕を社長室に連れ込んで、無理矢理ケツの穴にブツを突っ込んできた
のは、切羽詰っていた社長だった。
「小島君を抱きたいんだ。愛してるんだ」
と、僕を犯しながら、社長は言った。
 犯されたのはやっぱり自分の中で処理できない感情が湧きあがっていたけど、社長の自分
に対する愛情を知ってしまった後では、もう何も言えなくなっていた。
 愛されてるという感情は人を柔和にするんだと思う。

 その時から、僕は会社の「社員」と社長の「愛人」という二束のわらじを履き分けながら
上手くやってきた、つもりだった。
 結局、社長は真面目すぎたんだ。

 湯布院の高級温泉についてから、僕達は部屋付きの温泉に一緒に入ったり、どこそこなく
セックスにふけこんだりした。
 そのときまで、やっぱり僕は幸せだった。社長が何を考えていようとも、この状況で、
2人で蕩けるまでセックスして、部屋の外になんて一歩も出ることなく、ひたすら裸で張り
付いてるだけで、脳まで爛れそうなくらい幸せを感じてた。
「社長とこんな風に旅ができるなんて、僕は幸せです。旅行なんて一生無理だって、思って
たから・・・。これからも、上手く旅行できるといいですね」
その言葉に、社長は曖昧な返事をする。
「ああ、そうだね・・・」
「社長?」
社長はずっと切り出すときを待っていたんだ。
 僕がずっと見ない振りをしていただけで。セックスしてるときも1人でえらく盛り上がって
何時も以上にあえいで見せたり、淫らな格好してたのも、全部社長が、そのことを切り出さない
ようにする為だった。
「妻に・・・」
「・・・・・・」
「妻に、ばれそうなんだ。これ以上、直哉と一緒にいるのは・・・」
「だから、最後の一回に贅沢させて、手切れ金代わりですか?」
「そうじゃない、そうじゃないけど・・・」
社長の言葉は歯切れが悪く、(実際手切れ金代わりなんだろう)だけどその決意は固かった。

 そこから、僕がどんな風に取り乱したかというのは、あまり語りたくない。散々社長に
わめき散らして、僕を陥れただの、弄んだの、罵って、携帯電話だけ握り締めて部屋を飛び
出した。
 だけど、結局、社長は追いかけてはくれなかった。



 見ず知らずの男に自分がゲイであることをしゃべるのはどうかと思ったけど、どうせ行きずり
の人間だし、車を降りたらそれまでだと思えば、妙に開き直れた。
 失恋の痛手はしゃべって、吐き出してしまった方が早く癒える気がしたし。
 板橋は、話を聞き終えると、むうっと顔を歪めた。
「あんたって、ホモの人?」
「ハムの人、みたいな聞き方するのやめてくれない?」
あまりにストレートすぎて、苦笑いしてしまう。板橋に悪意などないのだろう。
「じゃあ、なんて聞けばいいんだよ。なあ、俺さ、ホモって初めて見るんだけど、色々
聞いてもいい?」
「・・・・・・いいけど、興味あるの?」
「ホモには興味ないけど、ホモの生態には興味ある」
からかっているわけでもなさそうなので、僕は板橋の質問するままに答えてやった。
「ホモってさー、普通の男の事好きになるのか?それともホモはホモ同士?」
「どっちもあるかな。ノンケにアタックする人は大変だろうけど」
「あんたは?」
「・・・・・・リスクの高いことはしないよ」
そういうと、板橋は本の少し、顔の筋肉を緩めた。狙われてるとでも思ってるのかな。
大丈夫、そんなことしないから、多分。
「じゃあさ、あんた、ケツ掘られてるのか?それとも突っ込む人?」
「板橋君、ストレートに聞きすぎだよ」
「ああ、そうなん?そういうのってホモの間じゃ、語ったらダメなことなのか?」
「ダメって事もないけど、君は知り合ったばかりの女性に、アナルセックスしますか?
なんて聞かないだろ?」
「知り合った場所によるよ」
ぽかんとするのはこっちのほうだった。なんだろう、この自由な発想は。不思議な子だな。
厭味でもなく、こんなにストレートに次々質問できる子初めて会った。
 彼のゲイへの「興味」の本質が何であるのかさっぱり分からないけど。
「じゃあさ、俺は対象にならない?」
その質問には、はっきり答えてやるべきだった。同乗者というか、神奈川まで乗せてくれる
大切な人間をこんなことで手放すわけにはいかない。
 でも、一瞬の間が妙な空気を作り出してしまう。
ゲイでもノンケでも好きになる瞬間はどうしようもないのだ。ただなるべくなら、相手も
そうであったらいいとは思うけど。
 対象にならない事はないと思う。はっきりいって自信はない。そのいい身体で抱かれて
みたら、気持ちいだろうなって会った瞬間に思った。
 でもそれって、普通の健全な男が「あの女、胸デカイ。やりてえ」って思うのと同じ様な
レベルの話で、その気持ちにそれ以上もそれ以下もない。
「・・・・・・」
僕は、沈黙を誤魔化すために、早口でしゃべった。
「気持ち悪いんでしょ、やっぱり?」
「気持ち悪いとは思わないけど、俺のこと、そういう対象で見られてるかどうかは気に
なるかな」
「大丈夫、ならないから」
そういうと、板橋は此方を向いて、はふっと息を吐いた。
「そうなんだ、残念」
板橋君、君の真意が全く分かりません・・・・・・。
 だけど、社長から逃げて苦しかったはずの思いは、今は少しだけ薄らいでるような気が
していた。



 車は山間の道を進んでいる。もはやどこをどう走っているのか見当も付かなかった。
「あのさ、九州を脱出する方向に、進んでる?」
不安になって聞いてみると板橋は曖昧な返事をした。
「大分から、福岡には入ったかな」
「・・・今度はどこに行くの」
「昇開橋」
「何それ」
「読んで字のごとくだよ。橋の一部が上下に動くんだ。今は上がりっぱなしだけどね」
板橋の説明によると、この昇開橋というのは、元々は鉄道用の橋だったらしい。船の行き来
のために、橋の一部が上下に動く。現在は観光の為、歩道橋として、期間を区切って上下
させてるのだそう。
 国の重要文化財にもなってるというのだから、歴史的にも貴重なものなんだろう。
「それって、どこにあるの?」
「だから、福岡だって。・・・・・・まあ、佐賀との県境くらいだけど」
申し訳程度につけた、その補足が随分と大問題なんじゃ・・・。
「佐賀との県境って、九州脱出方向と逆方向じゃん!」
車の中にはカーナビという文明の機器が存在するんだけど、板橋はそれを触ることを多分
許さないので(その前に、触れっていわれても多分触れないだろうけどね)頭の中で、日本
地図を思い巡らせるしかない。
 でも、どこをどう捻じ曲げても、自分達の向かっている方向は、九州脱出方向とは逆の
方向なんだよね。
 これが、のんびりってことなのか、板橋君。
 板橋の橋への執念を感じるひしひしと感じる瞬間だ。

 板橋は車を快調に飛ばす。辺りはそろそろ日暮れていて、今日は一体どこで休みを取る
つもりなんだろうと、内心そわそわしていた。
「それにしてもさ、由布院で部屋を飛び出したはずのあんたが、なんで別府でヒッチハイク
なんてしてたの」
板橋は車を運転しながら、さっきの続きをし始める。
「ポケットの小銭じゃ、別府に来るくらいしかできなかったんだよ」
「ふうん。んで、ヒッチハイクなわけ」
「うん」
「なるほどねー、ヒッチハイクで旅行してるようには見えなかったからさ」
板橋は、ヒッチハイク慣れしてないことを、見抜いているようだった。
「わかるの?」
「分かるよ。だって、普通九州のこんな隅っこから、神奈川なんて書かないもん。せめて
福岡とか広島とか、その辺なら拾ってくれそうなモンなのに」
「そういうもん?」
「うん」
・・・・・・そうなのか。だから、みんな拾ってくれなかったのか。板橋は何度もヒッチハイカー
を拾ったことあるんだろうな、この口ぶりだと。拾われた子たちは、ホントにラッキーだ。
橋めぐりなんていう、変人的趣味につき合わされても、彼といるのは、楽しい。
「じゃあ、なんで君は拾ってくれたの?」
そう言うと、板橋はハンドルをトントンと指で叩いた。自分でも考えてるのか?
「あんとき、あんた、すっごい顔してたから」
「何それ」
「なんていうの、人生模索中ですみたいな」
「あはは、何だそれはー」
「人生の大勝負ですって顔しながらどこか諦めかけてたから、思わず拾っちゃったんだよ」
確かにあの時、諦めかけてた。板橋が50台目だったんだから。
 板橋は、前を向いて、ハンドルに顎を乗せたまま、呟いた。
「その、大勝負、俺が拾ってやろうと思ってさ」
なんて意味深な言葉。・・・言ってる本人はきっと深い意味なんて考えてないんだろうけど。
「ざーんねんでしたー。もう勝負ならついてるよ」
「えー、そうなの?」
「うん。だって、拾ったのは500円だったんだから」
「なんじゃそりゃ」
二兎追う者、諦めちゃあかん。
 僕は、一度に二つも勝利したんだからさ。
ふふっと笑ったら、板橋も釣られて笑っていた。



 夕暮れになってやっと「昇開橋」にたどり着いた。夕焼けに浮かぶ昇開橋は綺麗だった。
本当に橋の一部が垂直に真上に上がっていて、その出来上がった下の空間を船だ通過する
らしかった。
 板橋は車を停めると、僕の存在など忘れたように外に飛び出していく。
っとに、橋が好きなんだなあ、あの子。僕は橋に感動してるのか板橋に感心してるのか
分からない気分になった。
 橋が赤く光り、板橋のシルエットがぼんやりと浮かぶ。板橋はあちこち走りながら、写真
を撮ったり、じっと見つめたりして「橋を楽しんで」いた。
 世の中にはこういう橋の楽しみ方があるんだ・・・。知らない世界を垣間見た瞬間だった。


 板橋は1人で存分昇開橋を堪能した後で(もうすっかり真っ暗になっていた)にこやかに
車に戻ってきた。
「おっまたせー」
「楽しそうだね」
「うん。昇開橋ってさ、ずっと話には聞いてたんだけど、なかなか行く機会がなくて。九州
来たら絶対に行ってやろうって思ってたんだよね」
笑い方も口調も子どもの様だ。
 彼を見ているのは飽きない。いろんな顔をしてると思う。ボケているのか、一直線なのか。
あ、一直線なのは橋に対する情熱だけか。
 ころころと変わる気分に、自分も引きずられている。
そのおかげで、一日、社長の事など殆ど頭に上ってこなかった。無理矢理押し込めて考え
無いようにしてるのも確かだけど。



 夜は、やはりと言うか無頓着な板橋らしいというか、近くの道の駅に車を停めて、車中泊
となった。
「あのさ・・・いつもこんな感じなの?」
「友達がいる場所だと、友達のトコ泊めてもらったりするけど、ホテルとか取るの面倒くさい
し、大体車の中で寝ちゃうよ。ほら、後ろのシート倒せば男でも余裕で寝転がれる」
そう言って、板橋は車――彼の車はオデッセイだ――の後ろシートに移動すると、シートを
フラットにし始める。
 ・・・・・・確かに、男2人が寝転がっても余裕だけど・・・・・・。
「あ、あのさ・・・」
「何?できたよ、あんたも、早く来いよ」
えーっと、僕、仮にもゲイだって言ったと思うんだけどな・・・。
 躊躇っていると、板橋はさっさとフラットにしたシートに寝転がってしまった。
「先寝てるよ」
「あの、僕、げ、ゲイだけど、いいの?」
助手席でモジモジしてると、板橋は首だけをあげて言った。
「だって、あんた俺のことセックスの対象じゃないんでしょ?」
「そりゃ、そう言ったけど」
「だったら、隣に寝てても困らないでしょ」
困らないわけじゃないけど、板橋がそれでいいのならと思い、僕は思い切って板橋の隣に
並んで寝転がった。
 ノンケで、しかもその気が無い男が隣に寝てるなんて、修学旅行以来だ。
気恥ずかしさと後ろめたさで、修学旅行なんてまともに眠れなかったけど。
板橋は上を向いたまま目を閉じている。横顔を見ると、結構綺麗な顔をしていると思った。
「やっぱり、気持ち悪くない?」
耐えられなくなって、そう言うと、板橋は、閉じていた目を開いた。

「あんたさ、昇開橋見てどう思った?」
「何、突然」
板橋は、頭の下で枕代わりにしていた手を伸ばして、大きなジェスチャーを取る。稼動して
上下に動く様子を板橋は表した。
「橋なのに、動くんだぜ」
「・・・・・・うん、凄いよね」
すると、板橋は子どものような笑いでこちらを見る。横を向いていた僕と目が合って、
僕はどきまぎしてしまった。
「そういう反応でいいんじゃないの?」
「何が?」
「男なのに、抱かれるんだぜ?」
「・・・・・・」
「バーカ、ちゃんと言えよ」
「・・・うん、凄いよね」
板橋は、よし、というと、頭を撫でて笑った。
 板橋の言いたいことはよく分からない。だけど、多分、板橋は僕がゲイであることを、
認めてくれて、それでいて隣で眠ることを受け入れてくれた。
 なんだろう、こんなにも心が温かい。
社長のところから飛び出したときの、あの心の荒み具合からは到底考えられないほど
僕は気持ちが穏やかだ。
 たった数十時間前の話だというのに。

 ありがとう、そう呟いたときには板橋からはすうすうと寝息が上がっていた。
僕は、板橋の短く刈ったその髪に、そっとキスをして眠りに付いた。







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