なかったことにしてください  memo  work  clap

はしま道中流離譚―俺とあなたに架ける橋―



 眠れなかったのは、板橋の方だったんだ――。



 何度目かのカーブで頭をシートに打ち付けて目が覚めた。
隣に寝ていたはずの板橋がいない。板橋を探そうと首を上げると、身体が大きく右に
傾いて、再び反対方向に転がってしまった。
 地震!?・・・・・・なわけないよね。
 それで、やっと、自分の寝ているところが絶えず動いているということに気づく。
 今度は大きく左に曲がる。
「うわあっ」
叫んだところで、転がる身体を止めることは出来ず、また後頭部を打ってしまった。
「あ、起きた?」
運転席から声がする。いなくなった板橋は、もうそこで活動を始めていた。
 身体を起こすと、這って助手席の後ろまで行く。そこから前に首を出すと、板橋は、
眠たそうにあくびを噛み締めていた。
 カーナビのモニターの画面に表示された時間は9時を少し回っている。随分とゆっくり
寝てしまったらしい。
 通り過ぎる青看板を見ると広島の文字が見えた。
「え?いつの間に・・・?」
寝る前は、まだ九州だったはず。
「あんた、気持ちよさそうに寝てたから、起こすの止めたんだ。関門海峡は1人で堪能させて
貰ったよ。朝日に浮かぶ関門海峡、あんたにも見せればよかったかなあ」
「・・・・・・そう」
例え起きていても、1人で堪能するじゃないか君は。
 それほど興味も持てず(関門海峡って、ただ橋が架かってるだけじゃないのか?)僕は
上の空で呟いた。
「ここ、どこ?」
「山口と広島の県境くらいだな。なあ、腹減らない?」
板橋にそう振られて、腹が鳴った。
 昨日の夜は、所持金590円の僕を慮って(僕が散々お金持ってないからと言って焼肉屋に
入ろうとする板橋を止めたっていうのが実のところだけど)安い牛丼屋で済ませたためか、
成年男子の胃袋を満杯まで満たしてはくれなかった。
 ガタイのいい板橋なんて僕以上に腹が減ってるだろう。別に付き合って、板橋まで牛丼
1杯にしなくてもいいのに。
 僕がのそのそと助手席まで動くと、板橋は横目でそれを見ながら、コンビニでいい?と
聞いた。
「うん」
あと1回くらいは自分の所持金でご飯買えるかな。でも、その後はどうしよう。どうしよう
もなにも借りる以外手はないんだけどさ。
 それにしても財布も荷物も全て置いてケータイだけ持って飛び出してくるって、自分でも
それはどうよ、と思ってしまう。
 せめて財布だけでも持ってくればよかった・・・。


 コンビニでの過ごし方って人の性格が現れると思う。
用事があるのに、何故か雑誌コーナーに立ち寄る人とか、タバコ買いに来ただけなのに、
コーヒーやガムを買ってしまう人、新作があるとそれを買ってしまう人とか。
 板橋は「余計なものを買ってしまう人間」の典型だった。
カゴの中に弁当や飲み物を次々に入れると、僕にも入れるように勧める。
「・・・・・・あのさ、これ何日分?」
「え、朝飯だけど」
「こんなに食べれるの?」
「うーん、余ったら残せばいいよ。昼飯にすればいい」
「勿体無い!!」
そこで、思わず叫んでしまった言葉に、板橋はぽかんと口を開けて驚いている。
「大体、これ全部買ったら幾らすると思ってんだよ。弁当、パン、コーヒー・・・朝飯だけで
2000円以上!時給2000円のところで働いたって、1時間も働かなきゃならないんだよ?!」
「はあ・・・」
「君はお坊ちゃまなの?お金を無駄に使っちゃいけないよ!」
自分が金欠ってこともあるけど、大学生の癖に、金に不自由してない感じの買い物の仕方
が鼻に付く。
 どうせ、その金だって親から仕送りされてきたものなんだろ?ふん、気ままな学生は、
これだから!
 1円のありがたさを知った方がいいんだ!
「・・・・・・何怒ってるんだ?量多すぎ?じゃあ、これは止めとくよ。あんたの分もあるし
これでいいだろ?」
板橋は僕が怒っている理由の3割も理解しないままレジに行ってしまった。
 僕は板橋を、金持ちのボンボンだと思ったし、板橋は多分僕を金にガメツイ男だと思った
にちがいない。
 僕達は性格も生きてきた環境も全く違う他人なんだな。そんなことをふと思った。



 車の中で朝食を取っていると、板橋のケータイが鳴った。板橋はお茶を飲みながらそれに
手を伸ばす。着信はメールだったらしく、板橋はそれに返信した。
 よくみれば、ケータイの先には充電のコードが付いている。
車なのにどうして充電なんて、と思ったらそれの先がシュガーソケットに繋がっていて、
今の世の中、そういう便利なものもあるんだと感心してしまった。(僕は普段から車に
乗らないし、機械音痴だし、そういうのって知らないんだよね)
 そう思って、自分のケータイも電源が切れ掛かっていたことを思い出す。
ケータイはダッシュケースの上に転がっていて(そんなところに置いたっけ?)見れば
やっぱり電池が切れていた。
「あのさ、それ、僕のも充電できる?」
「できるよ。電池切れた?貸してみな」
板橋は自分のケータイから充電機を外すと、僕のケータイと繋げてくれた。(それくらい
出来ると言おうと思ったけど、何が起こるか怖くてやっぱり言えなかった)
 電源を入れると、不在着信やメールが山ほど来ていた。電源が落ちていたときに、何度も
メールがとどいたことを教える着信音がピロピロと鳴った。

 板橋はご飯を食べ終えると、すぐに車を走らせ始める。
「・・・・・・昨日の夜、ずっと鳴ってたぜ」
その横顔は不機嫌そうだった。ハンドルをトントンと指で弾きながら、前のトラックを追い
抜いていく。ケータイうるさくて眠れなかったのかな。
 僕は一度寝てしまうと、ケータイが鳴っててもよほど大きくなければ起きられない。
「ごめん」
ケータイのディスプレイに目を落とすと、10分間隔で、電話やメールが来ている。
 勿論相手は社長だった。
電池切れで電話がかからなくなった後はメールが続いている。
そのどれもが、自分を心配する言葉と、もう一度話したいという要求だった。どうせ話した
ところで、何かが変わるわけでもない。
 社長が僕とよりを戻すということは、あの会社と自分の人生を捨てるということだ。それ
こそ絶対ありえない。
 黙ったまま俯いていると、板橋の声が落ちてきた。
「電話くらい、してやったら?」
「え?」
「社長とか言う人なんだろ?・・・・・・いくら喧嘩して飛び出したからって、どこに行ったのか
わからない、安否も分からないじゃ、失礼だろう?」
「・・・・・・そうだね」
声を聞くのは辛かったから、とりあえず生きてることと、家に帰ってることだけを書いて
メールした。
 社長とはもう無理だと思う。好きだったけど、それは愛してくれてたから好きだったんだ
と思う。
 こんな辛いのは、もう嫌だ。


 数分もしないうちに、ケータイが鳴った。身体がびくっと震えてその拍子にケータイが
足元に転がる。なんてあからさまな動揺なんだ。
 板橋は前を向いたままだったけど、顔は苦笑いだった。
「出れば?」
「・・・・・・うん」
ケータイを拾って、通話ボタンを押す。社長の声はバカでかくて、耳から離しても十分に
聞こえた。多分板橋のところまで。


『直哉、一体どこにいるんだ!?心配したんだぞ!』
「・・・・・・すみません、勝手に飛び出して」
ケータイの向こう側は明らかに怒りを含んでいた。1日連絡取れなければ社長だって焦る
んだな。その「心配」が何から来るものなのか、僕にはもう分からないけど。
『今、どこにいるんだ』
「多分、広島あたり・・・」
『広島?!なんで・・・って、まあいい。とにかく、もう一度話し合いたいんだ。直哉に会い
たい。お前を傷つけたこと、済まないと思ってる』
「社長・・・」
『昨日、1人になって考えた。やっぱり直哉を愛してる。帰ってきて欲しい』
そんなの・・・勝手じゃないか。
 噛んだ唇が痛い。声が刺さる耳が痛い。握り締めた手が痛い。
動揺する心が痛かった。
『・・・直哉?どうかしたのか』
「・・・・・・」
『お前の事、愛してる』
そんな、デカイ声で言わないでよ。板橋に聞こえてしまう。・・・いや、もう聞こえてるよね。
『直哉?』
固まったままの僕に電話越しに掛かる声が痛い。いっそのこと、このまま電源を切って
しまおうか。震える手を動かしたとき、板橋が大きなため息を吐いた。

「車、止めようか?」
その声は、確実に社長の元にも届いただろう。
『・・・誰かいるのか?』
急激に声のトーンが変わる。横を向けば、板橋は困った顔で笑っている。多分、しゃべれない
僕に気を使ってくれたんだろう。
「はい」
『誰?』
「・・・・・・ヒッチハイクで拾ってくれた人です」
『ヒッチハイク?』
「僕、財布も持たずに飛び出してきたので。帰る方法がなくて」
『今広島か?すぐ降りろ、俺が迎えに行く』
昨日までの自分なら、喜んで降りてたと思う。だけど、突き当たりの見えてる恋なんて、
もう見たくない。遅いよ。追いかけてくれるなら、宿を飛び出した時じゃなきゃ、僕の
傷ついた心は、修復できないほどえぐられてしまったんだから。
 でも、社長の声を聞けば、やっぱり辛いし、苦しい。愛していた人間を次の日からさっぱり
嫌いになるなんて芸当、僕にはできない。
「・・・すみません、その荷物、会社宛でも何でもいいので送ってくれませんか」
『直哉?』
「1人で帰りますから・・・」
社長が何か言ってるけど、僕は構わず電話を切った。そのまま電源も落とす。どうせ友達
からなんて掛かってくるはずない。
 2,3日音信不通で困るのは社長くらいだろう。



 無言のまま、3時間以上車は走り続けた。お互い切り出すタイミングを失ってしまったんだ。
初対面の人の修羅場なんて(しかも、相手は不倫で社長で、おまけに男で)なんて声かけて
いいのか僕だって分からない。
 流れる景色を見つめながら、社長との思い出が次々と蘇ってきて、気がつけば僕の目は
真っ赤になっていたらしい。
「あのさあ、止まる?」
「え?」
「降りるなら、止まるよ」
「ご・・・めん」
「そんな、湿っぽい顔して、隣にいられるのも、辛いんだけど」
それは、尤もな意見だ。自分の所為で車の中は空気が重い。降りたほうがいいのかも。社長
を待つのは嫌だけど、関係ない板橋を不快な気分にさせるのは失礼だ。
 仕方ない、降りて別の手段探そう。


「はいはい、うそうそ」
「へ?」
「俺は別に構わないけどさ。あんたが隣で何思ってても辛くないし。・・・でも、あんたは
どうしたいの」
「えっと・・・」
「どうしたい?」
でも、どうしたいと聞かれて、出た答えは
「わからない」
だった。自分でもどうしようもないな。宿飛び出して、ヒッチハイクで拾ってもらうまでに
心の中で、決着つけてきたのに、社長の声聞けば揺らいでしまう。
 戻ったところで、不安は抱き続けたままなのに。
他人のレンアイなんて聞いて呆れると思う。うじうじなやんで、出口の見えない迷路で
さまよって。浮いて沈んで繰り返して。滑稽だ。
板橋もそんな顔してるだろな。そう思って横を向けば、彼はひどく優しい顔で僕を見ていた。


「わかんないときは、問題から離れるのが一番」
そういうと、彼はいきなり車の向きを変える。Uターンすると、今来ていた道を力強く走って
行く。
「え?」
そして、車は高速道路に吸い込まれていった。(板橋は、いつでも橋が見られるように、
基本的に下道をのんびり走るんだそうだ)
「尾道インター!ここから、橋天国!」
「は、い?」
見上げた看板には「しまなみ海道」と読める。えっと、それってもしかして・・・
「いろいろ、離れれば分かることもあるんじゃないの?」
「離れる」
「そう。橋ってさ、一つ渡る度に、ものすごく遠くに離れた気分になる。島と島。橋が無
かったら、到底わたることの出来ない距離。あっちとこっちを結ぶ唯一の手段。そう思うと
すげえ、って思わない?」
板橋は橋談義をしてるのか、僕を励ましているのか相変わらずさっぱりわからないけど、
確かに離れてみるのは正解だった。
 社長以外のことで頭を詰め込みたい気分で、そんな時、なんの害もなさそうな橋っていう
建造物は僕にうってつけだったんだ。
 板橋のように感動することは無いけど。
「もう、何回も見たから、今回は通るの止めようと思ったけど、あんたも連れてってやるよ。
しまなみ海道通って、今治に行く。本州四国連絡橋で、こんなに沢山の島と橋で出来てるのは
これだけだ」
板橋の口調は急激に絶好調になった。
「しかも、色んな種類の橋がある。あんたも自分の好きな橋を探すといい」
「好きな橋って・・・」
「色々あるからさ、どれも自由に好きになるがいい」
鼻歌交じりで、運転を続ける板橋は、しまなみ海道の途中の島で降りたり、(散々来たこと
あるといいながらも、ここでもまた写真を撮り続けていた)奇声を上げて喜んだり、ここ
でもやっぱり、1人で「橋を楽しむ」ことをした。
 でも、そうやって適度に放って置かれるのは今の僕には心地がよかった。橋を眺めながら
漠然と時間だけが過ぎていく。本州も九州もさっぱり見えなくなると、確かに遠くに来た
という感じはわかる気がする。
 離れるという行為がこんなにも心を癒すのだと、僕は知った。



 結局、僕を慰めるためなのか、板橋がひたすら橋を楽しみたかったのか分からないほど
のんびりと、しまなみ海道を渡り、最後の橋を渡る頃には、すっかり日は暮れていた。
 夕焼けに浮かび上がる島と橋のコラボレーションは、僕も、素直に綺麗だと思った。
「綺麗、だね」
振り返った板橋の顔も夕日で赤く染まっている。男らしい顔だった。
「だろ?」
板橋は屈託無く笑うと、左手を僕の頭に乗せてくしゃくしゃ撫でる。
「え・・・」
「いい顔になってきた。あんた、そうやって笑ってる方が似合ってる」
そんな風に褒められると、照れるじゃないか。恥ずかしくなって俯いても板橋は頭を撫でる
手を止めようとはしてくれなかった。
「やだ、もう、やめてよ・・・」
その手が大きくて温かくて、心地よかったから、せっかく我慢していた涙がぼろっと膝の
上に落ちてしまう。
 泣いてることも多分ばれてるだろうけど、板橋は何も言わなかった。社長の事が、こん
なにも、重荷になると思いもしなかった。
「好きだったけど、ずっと辛かった」
「うん」
「・・・離れたかったけど、あの時、追いかけて欲しかった」
「うん」
 好きと嫌いがマーブル模様みたいに溶け合わさって、さっきからそこを行ったり来たり。
掻き混ざったら、何も思わなくなるのかな。
「もう少し、橋だけ見てろよ」
板橋の声は優しい。
 僕は板橋の手を除けたくなくて、料金所で止まるまでずっと撫でられ続けていた。










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