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はしま道中流離譚―道中、お気をつけて―



 車の中がしんとなった。
全てを吐いた事で、鉄平は幾分落ち着いているようにも感じる。
辛いよな。大人でも辛い。色恋沙汰なんていつの時代だって、他人からは滑稽に見えて
自分だけが辛い思いをするんだ。
 雅博は保科の気持ちを知っていたんだろう。もしかして、鉄平の気持ちにも気づいていた
のかもしれない。
 雅博は保科に答えを告げなかった。もしかしたら、雅博も保科に好意を持っていたのかも
しれないのに。
小学生なんて子どもだと思う。浅はかで短絡的で、どうしようもないガキだと思う。自分
自身そうだったから、多分この子達だって大して変わりはないはずだ。
 その子達が自分の中の限界まで悩んで、そうしてやってきた答えがこれじゃあ、あまりにも
可愛そうな気がする。
 鉄平は、気持ちを告げなかった雅博の気遣いに、自分にだけは言えないといった苦しみに
気づいたんだろう。
 だから、鉄平は苦しいんだ。
親友を傷つけた自分が許せないんだろう。そして、それを許してくれる唯一の人物を求めて
雅博の幻影を追ってるのかもしれないと思った。
「鉄平は優しいいい子だ」
白板橋がぐりぐり頭を撫ぜたまま言った。
「ワタル兄ちゃん・・・?」
「よし、鉄平。その雅博君とやらに会って、一言文句言ってやろう。お前が変な気回すから
俺は大変な目に遭ってんだぞって、言ってやるんだ」
「・・・・・・」
「さあ、カケル。次だ。次の目的地に行くぞ。次はどこだ!」
白板橋が前に乗り出して言う。
 白板橋ってポジティブなのか馬鹿なのかよく分らないなあ。
だけど、そのおかげでどん底に突き落とされる事なくこうしていられるのも事実なのだし
僕も白板橋の提案には賛成だった。
 板橋はそんな僕達を横目で見ると呆れたような溜息を吐いた。
「ラストは千葉かな」
「じゃあ、そこだ!そこで友達君の幽霊に逢って文句言ってやる!さあ、カケル行け!」
白板橋のデカイ声に僕も呆れて横を向くと、板橋が苦笑していた。
 そして、小さな声でぼそっと
「もう向かってるよ」
と呟いたのだった。






 夕暮れの道は妙な気分だった。曇り空の隙間から夕焼けが僅かに見える。
高速道路って本当に便利だ。群馬から高速をひたすら走れば3時間もしないうちに千葉に
入ることが出来る。
 夕暮れは近かったけれど、板橋は次の橋に今日中に着くつもりらしい。いつもより早い
スピードで車は走り抜けていく。
 これで逢えなければ、多分一生三途の川を巡る事なんてないだろう。他の場所で雅博の
幽霊に絶対逢えないとはいえないけど、これを逃してしまえば、鉄平は雅博のことを二度と
探さなくなるんじゃないのかと思った。
 板橋が「これで最後だな」なんて言うから、突然緊張感が沸いてきて僕は自分があまり
にも暢気に構えていた事に気づく。
「夜になったら、雨でも降りそうな天気だなあ」
東の空は厚い雲が覆っていて、今にも泣き出しそうな感じだ。
 一雨振るごとに寒くなっていくんだろう。風が冷たくなる。冬も近い。
僕は外を眺めながらこの旅のことを思った。





 千葉の長南町には夕暮れ間際に着いた。
ここが最後の三途の川の地だ。これで最後。
千葉の三途の川も街中を流れる普通の川だったが、上流に向かうに連れて街がなくなり
大きな寺の近くまで来るとそれなりの雰囲気が出てきてしまった。
「ラストに相応しい場所じゃないか」
白板橋は浮かれていたけれど、僕は憂鬱になりかけている。
 鉄平の願いは叶えてあげたいけど、僕は別に幽霊なんて見たくないんだ。出会わなくて
済むのなら、一生会えなくていいと思ってる。
 車から降りると、地上間際の西日が雲の切れ目からうっすらと覗いていた。
「暗いよ・・・・・・」
「絶好の条件じゃないか」
「ぼっ僕、車で待ってようかな・・・・・・」
弱音を吐く僕に、白板橋は追い討ちを掛けるような事を言った。
「はしま君、知ってるかね。幽霊の出る場所に車で行く時は必ず座席は全部誰かが座って
埋めなければいけないんだよ」
「は?」
「空席があると、そこに霊が座ると・・・・・・」
「うわあああああっ」
僕は耳をふさいで走り出す。聞きたくないってば!!!




 橋の真ん中で鉄平は1人立っていた。板橋は暗くなる限界まで写真を撮っていたし、僕は
白板橋の幽霊話から逃げ回るために、橋のこっちとあっちを何往復もしていた。
 あっという間に一時間が過ぎた。
夕暮れ雲もなくなって、辺りは真っ暗だ。黒い雲が闇を一層重くしていた。
敗色の流れは濃厚になる。こんな「好条件」にあって、雅博が現れる気配など全くない。
尤も幽霊に気配などというものがあるのか僕には分らないけど、1時間もこうして橋の上を
歩き回っているのに、それらしいものは何一つ出てこない。
 冷たい風だけが身体を冷やしていく。
「もう、無理だから・・・帰るよ」
鉄平が悔しそうに呟く。
 その言葉をひっくり返せる人間はここにはいない。
「寒い・・・」
「冷えてきたね、確かに・・・・・・」
僕達は4人橋の真ん中に集まっていた。


板橋は鉄平の隣に並ぶと、珍しく優しい真面目な声になっていた。
「鉄平」
「何?」
「・・・・・・昨日はごめんな。八つ当たりだから気にするなよ?」
「ううん、俺の方こそごめんなさい・・・・・・」
「今日も、無理そうかな」
「うん・・・・・・」
鉄平が欄干にもたれかかって頷く。板橋はその隣に並んで橋の下を眺めていた。
「また・・・・・・」
「何?」
「また、連れてってやるよ。どこかの三途の川。日本にはきっとまだあるはずだから」
「でも・・・・・・もう・・・・・・」
鉄平が首を振る。でも、板橋はそれを優しく否定した。
「そういうのはね、諦めちゃ終わりなんだよ。何十年逢えなくなって、気持ちは持ち続ける
っていうことが必要なの」
「うん。ワタル兄ちゃんにも言われた」
板橋ってやっぱり、本当は凄くいいやつなのかもしれない。
「それにね、俺達も諦め切れないんだよね」
「幽霊に逢う事に?」
「うん」
板橋は白板橋と同じように鉄平の頭をぐりぐりと撫ぜた。
「まっちゃんに逢ったら絶対言おうと思ってることがあるんだよね、俺達」
「?」
「前にも話したよね?まっちゃんの眼鏡。ホント似合ってないんだ、これが。眼鏡外すと
どこの可愛い子だって思うのに、牛乳瓶の蓋みたいなレンズにぶっとい黒縁なんて、俺達
まっちゃんか、「べんぞうさん」くらいしか知らないって。
 だからさ、あの子に会えたら絶対に、死んだらコンタクトにしなって言うんだって昔から
言ってるんだけど・・・・・・結局今まで一度も会えずじまい」
本気でそんな事言うつもりで会いたがってるのか、板橋は。・・・・・・彼なりの冗談なのか、
本気なのか、その具合が僕には未だに見切れない。
「でもなあ、まっちゃん凄い方向音痴っていうか、迷子だからなあ・・・まるで誰かみたいに」
板橋が僕の方を横目で見る。
「失礼な。僕が音痴なのは機械だけですよーだ」
そんなやり取りを鉄平は不思議そうに見ている。
「だからさ、下手にこっちに来ても、まっちゃん迷子になってあっちに帰れなくなるかも
しれないから、あの子とは一生逢えない方がいいのかもしれないって思ったり、な」
同意を求めるように後ろにいた白板橋に声をかける。
「遠足で迷子になったり、海で遭難しかけたり、まっちゃんの迷子は心臓に悪かったな」
懐かしむ二人の声が僕には痛かった。
 鉄平もあと何十年後かしたら、こんな風に思い出を語るようになるんだろうか。その頃
にはこの気持ちは浄化されるんだろうか。
 白板橋は鉄平を後ろから抱きしめて、欄干から鉄平の身体を引き離した。
「次の旅までに、鉄平は全国の三途の川を探しまくっておかないといけないな」
「うん」
板橋ももたげていた身体を起す。
「帰ろっか」
「・・・・・・うん」
「よし、実家に着いたら旨いもの食いに行こう」
「うん・・・・・・兄ちゃんありがとう」
闇の中を寄り添うように、僕達は4人、横一列になって歩き出す。
 これもまた事実なんだ。10年逢えない板橋がいるんだから、たった1ヶ月の鉄平が逢えなく
たって何も不思議じゃない。
 それどころか一生逢えなくたって、何にも不思議じゃない。
だけど、やっぱり心にわだかまりは残ったままだった。何も解決していないのに、大人に
なって諦めていくみたいな小さな痛みが気になる。
 鉄平はこの痛みとどう向き合っていくつもりなんだろう。
暗闇を振り返ったけれど、やっぱりそこには何もなく、ただ闇がぼんやりと世界を作って
いるだけだった。
「はしま君、何をしている。早く来ないとはしま君には旨いものなしだ」
「ええっ、ちょっと待ってよ・・・・・・」
さよなら、と心の中で呟いて僕も歩き出す。
 次の瞬間まで、僕は十分感傷の中で鉄平を慰めているつもりだった。



『鉄平』



誰かが鉄平を呼んでいる。僕と鉄平は同時に振り返った。
「え?!」
橋の向こう側に薄ぼんやりと影が揺れた。さっきまではただの暗闇だったはずなのに、何か
が蠢いている。何かがいる。絶対、何かがある!
 暗くて殆どそれが何の影なのか分らないけど、それが揺らめいて段々と近くなってくる
のが分った。
 立ち止まった僕と鉄平に遅れて二人の板橋も振り返る。
「はしま君、どうした?」
「あ、あれっ・・・」
「ん?何?」
僕の指差す暗闇に2人はいぶかしげに見た。
「あれ・・・何・・・?」
「何って、何にも見えないけど・・・あんたなんか見えるの?」
「えっと・・・」
僕はこの状況が把握できない。だって、目の前にある、この影は・・・・・・。
 僕がその一点ばかりを凝視している所為か、板橋達も僕とその闇をきょろきょろと見ている。
どうも、彼らには何も見えないらしい。
「才能がないんだ」
その言葉が頭をよぎる。
 影は段々と近づいてきて、橋の真ん中辺りで止まった。
そして、一瞬ぱあっと光ったと思うとそれは人の形になって僕達の前に現れた。
見たこともない少年だった。足元の方は暗くてどうなっているのか分らない。一瞬の光で
人の形に見えたが、今は上半身がなんとなく分る程度にまで闇に溶けかかっている。
 僕は呆然としてその場で立ち尽くしてしまった。一体僕は何を見ているんだろう。
一瞬の間の後、僕の隣を鉄平が駆け出した。頬に風を感じて鉄平が闇の中に入って行く
のが見える。


「雅博っ!!」
鉄平はその影に向かって叫んでいた。
「鉄平?!」
板橋が驚いてその背中に手を伸ばすけれど、何も見えてない板橋達ですらそこから動けずにいる。
「直哉、何してんの鉄平は?」
「えっ・・・・・・あっ・・・・・・」
僕は暗闇に指さすので精一杯だ。信じられないという気持ちと興奮で胸が詰まる。
「んー?なんだあ?」
白板橋の声も僕の耳から段々と消えていく。僕自身闇の中で支配されている気分になった。


「雅博、ごめん。・・・・・・ごめん。ごめん。俺の所為・・・・・・」
鉄平の声が聞こえる。闇に向かって消えそうな叫び声が身体中を震わせた。
「俺が・・・・・・あんなことで喧嘩しなければ・・・・・・」
鉄平が叫ぶたびに影が揺れる。闇はどんどん濃くなっていって、僕の目にはそれが人の顔だ
というのがもう分らないほど、薄くなっていた。
「お前さ・・・・・・保科の気持ちと俺の気持ち、知ってたんだよな・・・だから、言えなかったん
だよな・・・・・・なのに、俺・・・・・・」
闇の中からは何も聞こえない。ただ、鉄平の声が聞こえるだけだ。
 僕は板橋にしがみついていた。息苦しくなって、自分が呼吸することも忘れていたことに
気づく。硬直する僕を、板橋の腕が優しく支えてくれた。
「俺・・・・・・雅博にひどい事言って・・・・・・ごめん。許してなんて、もう遅いよね・・・・・・」
遅すぎる謝罪なんてないよ、鉄平。胸が潰れそうだ。
 どうか、どうか、鉄平の気持ちが届くようにと、僕も何故だか祈ってしまった。



『―――――』



耳なりがする。耳鳴りは頭の中で大音量の虫の音が響いているみたいに木霊していた。そのうち
眩暈がしてきて、僕は板橋の腕をきつく握った。
「直哉?大丈夫?」
「はしま君、鉄平は何やってるんだ?!」
 漸く平衡感覚が戻ってきて、前を見ると、鉄平が泣き崩れていた。
「ごめん・・・ごめん・・・・・・ありがとう」
鉄平にはさっきの音が、何かに聞こえたらしい。
 しきりに闇に向かって「ありがとう」と唱えている。


「俺さ、雅博の事、親友だって思っていい?俺達、ずっと親友だよね?!ずっと、ずっと
これからも・・・・・・!!」


―――鉄平がずっと言いたかった事はこれだったんだ。
お前なんて、親友じゃないって傷つけて、それが自分のことを思ってくれたから出てきた
台詞だったことを知って、後悔して、苦しんで、その一言が告げたくて・・・・・・。
 鉄平の声が響いた瞬間、影は再び大きく光った。その物体が光に包まれて、はっきりと
その顔が見える。
「雅博っ!!」
そして、真っ直ぐに見下ろしていたその表情が、柔らかくなったかと思うと、その少年の顔は
優しくにっこりと笑ったのだ。
 少なくとも僕と鉄平にはそう見えた。少年は笑っている。それは鉄平への許しでもあり、
鉄平の台詞への肯定でもあるように思えた。
 いや、きっと初めからそんなことは当たり前だったんだろうけど。たった一度の喧嘩で
親友が壊れてしまうなんて、鉄平を思ってあんな態度を取った雅博がそんなこと思うはず
ないんだ。
「雅博っ―――」
鉄平がもう一度叫ぶと、その光は更に強くなって、やがて影すらも飲み込んだ。目の前が
真っ白になる。
 眩しくて直視できなくなると、僕は目を閉じた。苦しい。光の洪水で息が出来ないほど
どこかに流されていくような感覚が押し寄せてくる。
 何かにしがみついてないと、自分が飛ばされてしまいそうだった。無意識のうちに僕は
板橋の腕に必死に巻きついていて、後で板橋の腕を見たらくっきりと僕の手形が残っていた。
 そうして、じっと光が流れていくのをやり過ごしていると、やがて目の裏側で光がゆっくり
と消えていった。
 鉄平の叫び声も段々と消えて、最後には聞こえなくなる。
 再び僕の周りは暗闇に包まれていた。





「・・・・・・直哉?」
板橋に名前を呼ばれて目を開けると、目の前にアップの板橋が現れた。
「うわああっ」
「生きてる?」
もう1人の板橋も僕の顔を覗き込んでいる。その顔は驚いていた。
 どれくらいそうしていたのかも分らない。一瞬のようで永遠のような、時間感覚が全く
なくなるような空間だった。
 ぼうっとした頭が働きだして僕は状況を思い出した。
「てっ鉄平君は?!」
「うん・・・。あの子もあそこで放心してる」
白板橋がすぐ目の前を指さした。鉄平は僕より先に正気に戻ったのか、白板橋たちに強制的
に連れ戻されたのか、駆け出していった場所よりもずっと近で、板橋のジャケットを被せ
られて蹲っていた。
 辺りはすっかり闇で、当然橋の上は何も見えない。幻を見ていたのか、それともあれが
鉄平の求めていたものだったのか。ただ、あの最後の笑顔ははっきりと見えたように思う。
 あれは間違いなく鉄平の親友の顔だ・・・・・・。

「ねえ、もしかしてさ」
「ん?」
「あんた達、見えちゃったの?」
「・・・・・・うん、そうかも」
頷くと途端に白板橋が悔しそうに唸った。
「何故だ!何故同じ場所にいるのに、はしま君には見えて俺達には見えないんだ!」
「不思議だよなあ。あそこにいたんでしょ?」
「多分」
見たとは思うけど、確信を持って言える気はしない。明日になれば、あれは夢だったのかも
しれないと思ってしまいそうなほど儚い記憶の断片。
 僕の描いている「お化け」とはかけ離れすぎていて、怖いという感情が全くこみ上げて
こないし、僕に霊感があるとは思えない。
 それに、僕が見たものと鉄平が見たものが同じとは限らないし、アレが幽霊だったと断言
できるわけでもないけど、神秘的な体験には違いなかった。
「ずるい。ずるいぞ、はしま君!これだけ一緒に付き合ってあげたのに、何故俺達には
見えないんだ」
白板橋が悔しそうに叫ぶ。急激に「現在」の感覚が戻ってきて僕は苦笑した。
「・・・・・・才能がないからじゃない?」
「はしま君!その才能を俺にもくれたまえ!」
「ちょ、ちょっと苦しいよっ」
白板橋はそう言いながら、僕を羽交い絞めにしてくる。それを見た板橋が無理矢理白板橋を
引き離しにかかった。
「ワタル、直哉から離れて。それ俺の」
「ケチなヤツだなあ。減るものでもあるまい」
「男に興味ないワタルになんて触らせたくないの」
なんでこんなところで僕は変人双子にモテモテになってるのか、2人に身体を引っ張られて
何がなんだかわからなくなってしまう。
 さっきまでのあの神秘的な体験すらもかき消してしまう強烈な2人に、僕の脳みそは付いて
いけなくなって、僕は馬鹿双子から逃げ出した。
「ちょっと!もういい加減にしてよ!ほら、みんな家に帰るよ!」
「はいはい」
「鉄平君も!そんなところに座ってると風邪引くよ!」
「・・・・・・うん」
千葉の闇夜に馬鹿変態双子の笑い声が高らかに響いていた。






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