なかったことにしてください  memo  work  clap
韋駄天ラバーズ



亜希は、真野の地獄のストレッチタイムから無理矢理抜け出して、体育館の床に寝そべって
いた。
「足がっ・・・・・・足が、吊る・・・・・・!」
肩で息をしながら、近くにおいてあるペットボトルを引っつかむと一気に喉に流し入れる。
沁みこんでいく液体が身体の乾きを潤した。
「お前は股関節が硬すぎるんだ。あと、その三段腹!つっかえてるぞ」
相変わらず汚い言葉で罵られても、亜希はもうそんな事ではめげない。けれど、その一方で、
新しく始めたダイエットがちっとも上手くいかないことに、すっかり打ちひしがれていた。
「くそう・・・・・・なんで、このお茶、いくら飲んでも、減らないんだ!」
亜希は試供品のダイエットティーの入ったペットボトルを前に唸った。
 真野に胡散臭いものに手を出すからだと馬鹿にされたのだが、試供品、15日間無料と言う
美味しい謳い文句に踊らされ、ついついネットで注文してしまった一品だ。
「試供品には効能が入ってないんだろ」
真野は馬鹿にして亜希を見下した。
「そんなの、なんとか商法に違反するだろー!」
「知るか。もっと沢山買って、続けないと効果はありませんっていうのがやつらの常套手段
ってことだ」
「訴えられるよ」
「そんなことする暇があれば、運動して痩せる方が自分の為だな」
「・・・・・・泣き寝入りじゃん」
「世の中そういうもんだ」
「ひどい」
亜希はダイエットティーのペットボトルを床に転がすと、仕方なくブツブツと文句を言い
ながらも、再びストレッチを始めた。
 床に座って開脚。これがまた驚くほどに開かなくて、一生懸命開こうとする亜希を真野は
「両足縛られた豚がもがいてる」
と言い放ったくらいだ。
 開脚した足の形が正三角形にも満たないほど。鋭角の二等辺三角形に開かれた足を真野
は亜希の背中側から呆れながら覗き込んだ。
「もっと股開け」
「無理!限界!」
「そんなに身体が硬いんじゃ、色々不便だろ」
「・・・・・・なんだよ、色々不便て」
亜希が首を伸ばして、真野を見上げると、真野はニタリと笑った。
「お前、俺に惚れて欲しいんだろ?」
「・・・・・・いきなり何の話!」
「俺こんな身体の硬いヤツ抱きたくないな。せめて、開脚で床に手ぐらい付いてもらわないと」
真野は亜希の背中をバスケシューズでグリグリと押した。
「痛て!ば、馬っ鹿じゃないの!?何言ってんだよ!!・・・・・・痛てぇ〜!!」
本当に豚がもがいてるみたいだ、なんて失礼なことを連発して真野は笑った。
 それから、
「その股、俺が割ってやるよ」
真野はそう言うやいなや、足を離して背中側から亜希の膝に手を掛けると、ぐいっと足を
開いた。
「―――!!!!」
声にならないほどの痛みに、亜希は足をばたばたを動かし、真野の手に自分の白い手を乗せた。
振り払らおうと真野の手を掴むのに、痛みに痺れて手に力が入らない。
 亜希のまるっとした肩越しに真野の顔が見える。真野の呼吸が耳を掠めていって、亜希
は身体の痺れが何の所為なのか分からなくなりそうだった。
 赤い顔からは汗が噴出して、目じりに涙が溜まった。
「離せ、馬鹿真野」
「協力してやってる人間に言う台詞か?」
真野は更に手に力を入れて、亜希の股関節を開こうとする。亜希の左耳もじんじんと熱い。
「な・・・・・・」
「お願いしたら、離してやるよ」
完全に自分の事遊んでる、亜希はぽてりとした赤い唇をかみ締めた。
「どうする?」
流暢な真野の台詞とは裏腹に、亜希の関節はミシミシと音を立てて、筋が何本か切れている
気がする。
 背に腹は代えられないとはこのことか、と亜希は悔しそうに真野に言った。
「真野・・・もう、無理!!お願い、離して!!」
途端、亜希の膝に掛かっていた力がふっと抜けて、亜希は真野から解放された。
 亜希はのた打ち回って股関節を擦った。
「くそぅ・・・・・・痛てぇ・・・・・・」
「90度くらい開いたんじゃない?」
そう言われて、鼻で笑う真野を寝転がったまま睨みつける。床から見上げてもいい男に見え
るなんて、一瞬でも思って更にムカついた。
「真野なんて・・・・・・大っ嫌いだぁ!」
「嫌いで結構」
「っと、ムカつく!!」
そのやり取りが、既に他人からは恋人の戯れぐらいにしか映らないのだけれど、当の本人
達は全く気づきもしないらしい。2人だけの世界が出来上がって楽しそうと影で言われて
いることすら知らないのだ。
 部活の始まる時間になって、バスケ部の面々がやってきて、田村が
「いつもやってるね、ご両人」
とからかい半分で声を掛けられても、亜希は周りの人間が自分達の関係を茶化してるとは
思ってもみなかった。
「・・・・・・田村じゃん。あ、今から部活?」
「よう、高城ちゃん。今日もがんばってるねぇ」
「色々と目標あるしね」
「そっかー。真野、こんなヤツだけど、筋トレとかストレッチとか、すっげー詳しいから
色々と教わるといいよ。あ、あとマッサージも上手いし」
田村が真野の肩をポンと叩くと、真野は嫌そうに亜希を見下ろした。
「こいつ、マッサージするほど、筋肉使ってねえよ」
たまにはマッサージくらいしろよ、と亜希は言おうと思ったのだが、真野の手が自分の身体
に触れてると想像しただけで、なんだかおかしい気分になってしまい、亜希は慌てて立ち
上がった。
「ぶ、部活、始まるんだろ・・・・・・俺、もう行くよ」
「おっつかれさ〜ん」
「うん」
「明日も来いよ」
「分かってる!!」
亜希はタオルとペットボトルを拾うと、逃げるように体育館を後にした。






□□亜希のダイエット記録□□

2月某日――ダイエット140日目
実行中のダイエット:毒だしスープダイエット+真野の地獄のストレッチ運動

朝食:ご飯、スープ、ヨーグルト
昼食:購買で買った焼きそばパン、コロッケパン、コーンパン、クリームチーズパン
夕食:野菜炒め、ご飯、スープ
体重:75.8(順調!順調!俺、やれるじゃん)
一言:まあ、全部俺のおかげだな。感謝しろよ。
・・・・・・その昼飯、もう少し考えろ!太るぞデブ!(真野)





 ストレッチの重要性を亜希は漸く理解し始めていた。
食事は、母が思い出したように、毒だしスープダイエットを始め、亜希も半ば強制的に
それをやる羽目になったのだけれど、前のときよりも効果が早いような気がするのだ。
 それにストレッチを始めてから、身体を動かすのが苦にならなくなってきた。
お風呂上りの開脚や前屈。繰り返していると、あれほど辛かった開脚も、90度くらいまで
開けるようになったし、もう少しで床に手も付きそうだ。
 真野の教えてくれるストレッチはどれも基本ばかりだけれど、その基本がどれだけ大切
で効果があるのか、亜希は内心では納得した。間食しないで動けという、真野の理念も
分かる。
 けれど、口から出てくる言葉は、やっぱり
「真野ムカつく」
なのだから、亜希も相当ひねくれているのだろう。
「亜希ちゃん、そのニヤけた顔で言ってても惚気にしか聞こえないわよ」
美咲に指摘されて、亜希は自分の顔に思わず手を当てていた。
「ニヤけてなんて、ないって!」
「どーだか。まあいいけどね。亜希ちゃんがそれで幸せなら。それに漸くお正月のリバウンド
も解消されてきた感じだし。前よりもすっきりしてきたんじゃない?」
「ホント?わかる?すげーうれしい。最近、身体動かすの、ちょっと嫌じゃなくなって
きたっていうか、まあがんばれるっていうか」
「あらら。どーいう風の吹き回し?」
「ストレッチすると、身体が楽なんだよ」
「真野君効果絶大ねー」
美咲が楽しそうにフフっと笑うと、亜希は自分の気持ちを知っている美咲にだけは、つい
本音を漏らしてしまった。
「アイツ・・・なんだかんだいって、協力してくれるし・・・・・・最近ちょっとだけ優しい時も
あるしさ・・・・・・」
照れ隠しなのか、亜希は自分の真ん丸なほっぺたを指でつねったりひっぱったりして、
もそもそと言った。
 美咲も思わずそれには苦笑いだ。「さっさとくっつけばいいのに、面倒くさい」クラス
の女子が同じ事をしてたら、美咲は迷わずそう言うと思うけれど、相手はこの亜希だ。
 しかも恋してる先にいるのは、同じ男でイケメンでドSの真野だというのだから、美咲
もさっぱりとは言い放てない。
 友達として、恋の成就は願ってあげたいけれど、亜希にはもっと普通の恋愛をして欲しい
という常識人としてのジレンマもある。
 けれど、結局は亜希本人の問題だし、こうやって亜希ががんばってダイエットまでしよう
としてる姿は真野以外では考えられなかったのだから、美咲は生暖かく見守ろうと思った。
「がんばってね、亜希ちゃん」
「うん」
美咲の応援に、亜希は張り切って頷いていた。





 冬の地獄のストレッチタイムも終わりが見え始めていた。体育館には、春めいた風が通り
抜け、日差しも暖かくなり始めた3月も後半、亜希はついに、リバウンド前の体重に戻った
のだ。
 亜希が体育館に入ると、真野が一人で部活前のウォーミングアップをしている所だった。
ハーフパンツから伸びた長い足が、コートを駆ける。真野の手に吸い付いているようなボール。
 ダンダンダン・・・・・・ドリブルからゴール下でボールを持ち上げると、ボールは滑らかに
ゴールの中へと吸い込まれていった。
 しなやかな動きに、亜希は思わず見惚れた。
ムカつくけど、カッコいい。カッコいいからムカつくのか。好きなのに、素直に認める
のが悔しい。
 屈折した気持ちで亜希が真野を見つめていると、真野がその視線に気づいて、動きを止めた。
「遅い」
「・・・・・・5分遅れただけじゃん」
「高城は俺の貴重な時間を5分も奪ったんだぞ」
「・・・・・・ちょっと、体重量ってたんだ!」
「ふうん」
真野がボールを突きながら、こちらにやってくる。亜希はその姿にVサインで答えた。
「74.0!」
「は?」
「体重!!減った!リバウンド前まで!入学したときの体重まで、減ったの!」
亜希はどうだと言わんばかりだ。けれど、真野は大した感情も出さず淡々と言った。
「何その勝ち誇ったような態度。言っとくけど、お前55キロまで痩せるんだからな」
「・・・・・・わ、分かってるって・・・・・・だけど・・・」
真野の相変わらずな態度に亜希がしょぼくれそうになると、真野は軽く息を吐いて、腰に
手を当てて、偉そうに言った。
「あー、はいはい。まあ、とりあえず頑張ったんじゃねえの?」
「もうちょっと言い方ないのかよ」
「・・・お前も、頑張ればやれるんだな」
真野が亜希のつるりとしたデコを指ではじいた。態度も口も悪いけど、どこかに優しさが
あることを、亜希は肌で感じて、少しだけいい気になる。亜希の強気が顔を出した。
「ちょっとは俺の事見直した?」
「見直したって言って欲しい?」
「・・・・・・お前、いちいちムカつく!」
「はいはい。見直したよ。正直、もう痩せないかと思ったからな」
真野が髪を掻き上げながら、亜希を目を細めて見下ろした。その視線がぶつかって、絡み
合うと、亜希は動揺し始める。こんなに自分ばかり惚れてるのかと、実感して、また悔しく
なった。
「じゃ、じゃあ!ちょっとは俺に惚れた?」
心の動揺を隠すように、亜希が問うと、真野は一瞬表情を固まらせたが、すぐにニヤっと
いやらしい笑みを湛えた。
「・・・・・・言って欲しい?」
「べ、べつに!ただ、お前のこと、絶対惚れさせてやるから!」
心とは裏腹な強気な発言は、自分の身を守るためだ。自分の気持ちまで真野に知られる
わけにはいかない。
「言ってくれるじゃん」
「ふ〜ん、はぐらかすってことは、ちょっと俺に惚れたんだろ」
真野はピクリと頬を揺らすと、亜希に近づいた。それに驚いて、亜希が後ずさりする。真野
は更に間を詰めて、亜希は壁際に追い込まれた。
「高城」
「え・・・」
壁に背中を打って、身体がびくっと震えた。突然訪れた可笑しな空気に、亜希は、告白
でもされるのかと思った。
 本当に自分の事惚れた?
淡い期待が心を過ぎる。本当にブラジルと地下で繋がっちゃったんじゃないか。サンバ
のリズムが亜希の頭の中で流れ始めそうだ。
「ま、真野」
真野の顔が近づく。キスするみたいな角度で顔を合わせていると、いきなり亜希のぷくり
とした右の頬が抓られた。
「い〜〜!?」
「ぜーんぜん」
「!?」
「ばーか。リバウンド前の体重に戻ったぐらいで、誰がこんなおデブちゃんに惚れるかよ」
真野はそう言うと、左の頬もぐりっと抓り上げた。
「〜〜〜〜〜!!」
「そういうのは、この肉が無くなってから言え」
しらけた空気に、亜希は自分の妄想が恥ずかしくなって身体の奥から熱くなる。サンバの
格好したお姉ちゃん達は早々に撤退だ。
「止めろ、馬鹿真野!」
「ホント、馬鹿だな、高城」
真野は抓っていた両頬を離すと、今度はぱちっと亜希の顔を手で挟んで、ぎゅうっと亜希
の頬を押した。不細工に歪んだ顔を真野が笑う。
「この手の中に顔が隠れるくらい痩せたら、惚れてやってもいいぜ?」
「あー!もう、うるさい!うるさい!離せ!」
誰もいない体育館に亜希の声が響く。瞬間真野が切なそうな表情をしたことに、亜希は
気づきもしなかった。
 春を待ちわびる風が、2人の横をすり抜けて、亜希のさらさらの前髪を揺らしていく。
 今日も、亜希は真野のドS攻撃の前に完敗だった。



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