なかったことにしてください  memo  work  clap
韋駄天ラバーズ



「どうした、青年」
テーブルの上に顎を乗せてさっきから何度も溜息を吐いている亜希に、美咲は芝居じみた
台詞で声を掛けた。
「・・・・・・亜希ちゃん?」
うつろな視線を返すと、美咲も眉を顰める。亜希はぼんやりと美咲の顔を見ながら言った。
「真野は、どっか行っちゃうのかな・・・・・・」
「どうしたの?」
「わかんない・・・・・・」
亜希は美咲から視線を外して、切なそうな顔を作った。
 その視線の先にあるのは表紙がぼろぼろになったノート。亜希が大切にしている真野との
繋がりの証に美咲は手を伸ばした。
「・・・・・・」
「ふうん」
ペラペラと捲りながら、美咲は亜希が落ち込んでいる理由を最後のページに見つけると、
亜希をちらっと振り返って小さく苦笑いを浮かべた。
「亜希ちゃんってホントに・・・・・・」
「何?」
「変わらないよね」
「突然なんだよ」
「覚えてる?」
美咲はノートの真野の最後の一言に目を落とした。
「・・・・・・小学生の話。亜希ちゃんの好きだった女の子が転校したときのことよ、覚えてる?
学校ではすっごく強がってたのに、家に来てずっとメソメソ泣いて、次の日熱出して学校
休んだよね」
「なんでそんな話・・・・・・」
「あの頃から、亜希ちゃんって根本的に何にも変わってないんだなあって思ったのよ」
「どうせ俺は・・・・・・」
「ほら、そう言うトコ。強がってるくせに内心は自信が無くて、直ぐ逃げちゃう。あの時
だって転校するって分かってたのに、気持ち伝えるどころか、亜希ちゃんクラス皆で集まって
お見送りするって約束破って一人帰っちゃったんだよね」
「それはさ・・・・・・」
怖かったんだ。離れちゃう現実を受け入れるのも、好きだって伝えて振られることも、
全部怖くて、それで、事実から逃げたんだ。
 美咲の言いたいことはわかってる。今回だって同じだ。真野がいなくなるかもしれないって
分かって、亜希は現実から逃げようとしている。
「亜希ちゃん」
「うん?」
「亜希ちゃん、このままでいいの?」
「いいって、何が」
「真野君に気持ち伝えなくていいの?」
美咲の視線が亜希をまっすぐに捉えた。
「だ、だって・・・・・・真野が本当に俺に惚れてるなんて」
そんなことあるはずが無いから・・・・・・。
 亜希は目を逸らして、美咲の強い視線から逃げる。本当は全然自信なんてない。強がって
真野と対等な振りをしてるけど、心の隅では怯えてた。
 真野に惚れさせるなんて言いながら、自分の気持ちを隠していたのだって、自信がない
からだ。こんなデブでダメな自分なんて、今の真野に入り込む隙だってない。
 自分と向き合うのを避けるように亜希は目を閉じた。
「亜希ちゃんの弱虫〜」
美咲がほっぺたに手を伸ばして、柔らかい頬をむぎゅっと抓った。
「痛いよぉ」
「ここに書いてある言葉だけじゃ真野君がどうなるんだか、私も亜希ちゃんもさっぱり
わかんないけど、少なくとも明日も明後日も一年後もずっと一緒にいられるわけじゃない
んでしょ?」
「・・・・・・」
「このままいけば、どうせ卒業して真野君と離れ離れになるだろうし」
「そんなのわかってるよ・・・・・・」
「いいの?」
「よくないけど、わかんないよ、俺・・・・・・」
自分の気持ちを告げる日はいつかは来ると思ってたけれど、それはもっと先で、しかも真野
が自分に本当に惚れてるっていう確証が持てたときだと思ってた。
 こんな今の自分が何を言える?ただの痩せそこないの男の告白を、真野が受け止めてくれる
はずないじゃないか。
「や、痩せたら!痩せたら言うつもりだったんだ・・・・・・」
「ホントに?」
「ホント!痩せたら、堂々と言ってやるつもりだったの!」
「亜希ちゃん痩せたら自信つくの?痩せてた昔だって逃げてたくせに」
きつい一言は亜希の心を余計に追い詰めた。
「自信を持つきっかけを痩せることに頼るのはいいと思うけど、亜希ちゃんがちゃんと
変わろうとしない限り、いつまでたっても弱虫は直らないわよ」
大口叩いて強がってる亜希を知っている美咲だから言える言葉だ。
「ねえ、亜希ちゃん」
「何・・・・・・」
「痩せてても、太ってても、亜希ちゃんは亜希ちゃんだよ?ちゃんと見てるよ、真野君は」
「ミサちゃん・・・・・・」
緊張をほぐすように、美咲は亜希の頭をノートでつついた。
「亜希ちゃんには、まったりと考え込む時間を作らせちゃダメね〜」
「どういうこと?」
「強気のお面かぶってるうちに、いつもみたいにうっかり口滑らせちゃえばいいのに」
「ミサちゃんそれひどい・・・・・・」
その通りだと思いながらも、亜希は泣きたい気分で美咲の言葉を聞いていた。





 夏休みまで残り数日。セミの声も熱風も、すべてがイライラとさせた。
真野に何て聞いたらいいんだ。もしいなくなるって言われたら、その時はどうするんだ
ろう。一晩考えて、結局出た結論は、なるようにしかならないという、後ろ向きなのか
前向きなのか、美咲にも呆れられるようなものだった。
「いきなりあんなこと書く真野が悪い。俺にも心の準備って物があるだろうが」
ブツブツと文句を言いながら廊下を歩いていると、去年の担任に声を掛けられた。
「高城かー」
「先生?」
教師はものめずらしそうな顔で亜希を見下ろした。
「お前、本当に最近痩せてきたなあ」
「だって俺めちゃがんばってるもん」
「真野がここまでやるとはなあ。あんなに喧嘩ばっかりしてたのに」
去年の担任はバスケ部の顧問も勤めていて、亜希が真野から扱かれているのも知っていた。
「先生、がんばったのは俺だって!」
「はは、そうか、そうか。でもお前達のコンビも暫く見れなくなると淋しくなるなあ」
そういうと、担任は廊下の窓から体育館の方に目を遣った。
「どういうこと?」
振り返ると驚いた顔をする。亜希の体中を嫌なものが走った。
「なんだ、聞いてないのか」
「何を?!」
「真野の留学」
留学!?聞いてない、そんな話。一言も。
「今年の春からうちの学校とアメリカのS高と姉妹校になっただろ。そこで交換留学を・・・・・・」
担任の言葉は既に耳から素通りしていた。
 合宿で少しの間いなくなるだけかもしれないとか、最悪転校するのかもとか、一晩ベッド
の中で思い描いていた真野の行き先が、亜希の範疇を超えた。
 外国って・・・・・・アメリカって・・・・・・そんな遠いところ・・・・・・俺、パスポート持ってない!
ってそういう問題じゃない!
「おい、高城!?」
嫌だ。嫌だ!
なんでそんな重要なこと、言わないんだ、あいつは!!
そう思ったら、急に我慢できなくなって、亜希は体育館に向かって走り出していた。





 体育館に駆け込むと、部活前の真野がウォーミングアップをしているところだった。
亜希に気づいて、真野がボールを突く手を止める。
「高城?」
亜希は走ってきた所為か息が上がっていた。息を整えようと呼吸を繰り返すけれど、真野
の顔を見るとそれどころじゃなくて、亜希は乱れた息のまま、真野の元へ近づいた。
「お前・・・・・・留学って・・・・・・!!」
飛び掛ってきそうな勢いの亜希を、真野が一歩下がって避ける。
「なんだ聞いたのか」
何食わぬ顔をしていう真野に亜希は睨みつけた。やっぱり留学の話は本当なのだ。
「・・・・・・そういうことはちゃんと言えよ!!」
悔しくて思わず唇を噛んだ。せめて真野の口から聞ければよかったのに。
「そのうち言おうと思ってた」
「いつから行くんだよ・・・・・・」
「明後日」
明後日といえば、夏休みの初日だ。
「そんな直ぐに!?お前の『そのうち』っていつなんだよ!!」
腹が立つ。自分は掌で踊らされるだけで、真野の気持ちなんて一つも読めない。真野は
肝心なことをいつも亜希には言ってくれないのだ。言わなくても平然として立ってられる。
 真野にとって、自分は所詮その程度の存在なのだと亜希は絶望しながらも悟った。好き
なのは自分一人。哀しい独り相撲だ。
悔しさと腹正しさで亜希の頬がプルプルと震えた。
「気がついたら明後日だったんだ。何そんなに怒ってんだ?」
「だって、真野が・・・・・・」
亜希はむっくりとした拳を握り締めた。
 この鈍感野郎。空気読め。俺が何思ってるのか少しは察しろ、馬鹿野郎。
本音を知られると困るのは分かってるのに、亜希は思わず心の中で悪態を吐いた。
「俺がいなくなっても、ダイエットサボるなよ」
けれど、真野はそんな亜希の内心など微塵も感じ取ってくれない様子で、ニヤニヤと薄笑い
を浮かべて亜希のテカテカしたおでこをピンと撥ねた。
「!!」
途端、おでこに響いた痛みが亜希の怒りのスイッチをパチンと押した。こめかみの辺りが
熱くなって目の前にチカチカと光線が走る。
 切れたと思った瞬間、亜希は真野の綺麗な顔目掛けてグーにした拳を伸ばしていた。
 突然の亜希の反乱に真野は判断が遅れて、身体を後ろに捻らせたけれど、亜希の拳の方が
一瞬早く真野の顎を掠めた。
「ぐぅっ」
真野は衝撃と亜希の行動に驚いて、掠っていった頬に手も当てることなく、亜希を凝視した。
「高城・・・・・・?!」
殴った方の亜希は拳がジンジン痺れて、そこをかばうように反対の手で押さえた。
 その押さえた手にも力が入る。
 声を絞り出しながら、亜希は真野を睨みつけた。
「真野、勝手すぎ」
亜希の瞳が真剣に真野を見つめるので、流石に真野も声を硬くした。
「まあ、言うのが遅くなったのは悪かったな」
「・・・・・・ひどいよ、真野。ダイエット協力するって言っておきながら、賭けしたり、勝手に
いなくなったり・・・・・・」
賭けの話に触れた途端、真野が眉間に皺を寄せた。
 真野にとっても触れられたくない話で、その理由を亜希は知らない。
「賭けのことはどうでもいいだろ」
「どうでもよくない!うやむやになったからずっと触れなかったけど、俺、すごい傷ついた
んだからな」
「俺が何しようと勝手だろう。こうやって今まで協力してやってんだから、文句言うな」
「お前なんて・・・・・・お前なんて・・・・・・」
大嫌いと大好きの境界線って一体どこなんだろう。亜希はもどかしさの中でもがいた。
 こんな勝手で、鈍感な男をなんで好きになったんだろう。
なんで、今、こうしている間でも、好きだと思ってしまうんだろう。
 言葉が詰まって亜希が黙ると、真野が腕を組んで亜希を見下ろした。
「まあ、その話は忘れろ。お前だってここまで痩せられたんだ」
「・・・・・・」
真野は組んだ腕を外して、亜希の柔らかい髪の毛をくしゃっと撫でた。汗で張り付いた髪
が真野の手にも吸い付いて、引っ張られながら離れていく。
 真野の手つきに亜希の耳が熱くなって痛んだ。
「・・・・・・ああ、そうだ。明後日から俺がいなくなっても、お前に渡しておいた筋トレメニュー、
ちゃんとやれよ」
亜希は髪に触れた真野の手を、引っ込む前に捕まえた。
「お前がいなくなったら・・・・・・こんなことやってられるかよ!!」
何のために痩せてると思ってるんだ。お前がいなくなったら、痩せたって、何の意味も
なくなるのに・・・・・・!
 真野の骨太の腕を力いっぱい握って、亜希は恨めしそうに真野を睨んだ。
「・・・・・・俺の事、こんなにしておいて、どっかいくのかよ!!」
「まあ、中途半端に痩せた今のお前は、確かに微妙だな。ちゃんと続けろよ?」
嫌味なのか、本気で言っているのか、真野の台詞に亜希は更に熱くなる。額に浮かび上がった
汗が顎を伝ってぼとぼとと床に落ちた。
「だったら、最後まで面倒見ろよ!!」
「最後って」
「俺が55キロまで痩せて、美少年になって、お前が俺に惚れるまでちゃんと付き合え!!」
叫んだ亜希に、真野の頬がピクリと撥ねた。
 熱くなりすぎて、脳みその一部がおかしくなり始めていることに、亜希は気づいていない
らしい。けれど、亜希は真剣そのもので、真野を見つめていた。
「俺の事、置いてくな・・・・・・」
「高城、お前さっきから何言ってんだ。たかがダイエットの相手がいなくなるだけで」
「真野がいなくなったら、痩せる意味なんてあるか!」
「!!」
真野が呼吸を飲んだ。
「こんなのって・・・・・・」
ぎゅうっと目を閉じると、亜希は掠れた声で呟いていた。
「俺、お前の事、こんなに好きなのに・・・・・・」
亜希の瞳から悔し涙がポロリと一粒、雫が体育館の床目掛けて落ちていく。
 床に溜まった汗の海にそれが弾けて、キラキラと輝いた。



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