なかったことにしてください  memo  work  clap
Re:不在届け預かってます


 Re:うち来ます?




 過去、蛍琉と別れていた時に転がり込んだ相手は、何人かいた。それは一般に「セフレ」
と呼ばれるようなたぐいのものだろう。勿論それが恋人に発展したことはなかったし、それ
どころか、二度と連絡を取ってない相手の方が多い。
 身体の関係があって、未だに身近にいる人間は唯一人だけだ。
「こいつの世話になってもいいんだろうか・・・・・・」
高藤の所へ行こうと思っていた。実際、ケータイを取り出して、液晶画面を操作しながら
高藤のメアドを選んでいた。
 けれど、そこで智優の手が止まってしまったのだ。
今、高藤の所に行ってしまうと、自分も大きな力に流されてしまう気がするのだ。高藤
が自分に好意を寄せていることは分かっている。今まではそれでも跳ね除ける自信があった。
それは、智優が絶望的な未来を描いてなかったからだ。どこかで、修正できると勝手な
自信があって、事実それはそうなった。
 蛍琉とは見えない糸で繋がっていて、それは切れることのない特別な糸なのだと根拠の
ない確信が智優の中に居座っていた。それも、今はぶつりと切れた。
 高藤の事は嫌いではない。好感の持てる男だとも思う。けれど恋愛対象として考えるのは
どうしてもしたくなかった。自分の中の最後の壁が拒否しているのだ。蛍琉以外の男とは
絶対に付き合わない。それが余計に蛍琉だけを特別にしているのだけれど。
 高藤と付き合うことは簡単なことかもしれないと思う一方で、そんなことをしたら、二度と
「ここ」に戻って来れなくなると言う底知れない恐怖が付きまとう。結局は、蛍琉に未練
があるからだ。蛍琉だけが特別で、蛍琉だけにしか許したくないことが山のようにある。
 ぐるぐると巡っていく想いに智優は首を振った。
「立ち止まっていても、寝るところは決まらないし・・・・・・」
恋愛で心が引き裂かれようとも、腹は空くし、睡魔はやってくるし、そして仕事にも行かな
ければならない。日常は自分の心情とは関係なく流れていくのだ。
 智優は止めた手を再び動かした。





from:朝倉智優
sub:今、フリー?
  高藤って今、フリー?





 こんな不躾なメールを送っても、怒らないのは高藤と智優の間に一定の絆が出来ている
からだ。愛にも恋にも色が変化してしまいそうな絆を、智優はグレーに保ったまま、目を
瞑って引き寄せた。





from:高藤
sub:ウチ来ます?
  あ、やっちゃいましたか。
うち来ます?
構いませんよ





 高藤からの返事は直ぐに来て、その文面を見て智優は溜息を吐いた。結局頼ってしまう
のは自分の弱さだ。
 智優は高藤からのメールに返事を返そうか迷いながら、スーツケースを押して夜の商店
街を抜けた。
 行ってはいけないという本能的な警告が智優を躊躇わせる。「今から行く」と書こうと
してるのに、足ばかりが進み、手は震えた。
 1泊だけ、とりあえず今日の宿を確保して、明日からは別の場所を探そう、言い訳しても
だったら、初めからビジネスホテルにでも転がり込めばいいじゃないかという、自分の良心
には首を振ってしまう。
 寂しい。一人になったら、何処までも穴の底に落ちてしまいそうなのだ。
智優がケータイを握り締めたまま夜の闇を漂っていると、いきなり肩を叩かれて、智優
は身体を揺らして驚いた。
「何?!」
「やだなあ、そんなに警戒しないでよ」
にこりと笑う顔が闇の中に浮かぶ。誰だコイツは。智優は眉間に皺を寄せ男を訝しげに
眺めた。
「前にも会ったの忘れちゃった?」
そう言って男は名刺を差し出す。
「狭山亨(さやま とおる)・・・・・・?」
智優は名前を読み上げて、前にもこんなシチュエーションが合った事を漸く思い出した。
「思い出してくれた?」
「・・・・・・まあ」
といっても、名刺の名前などすっかり忘れていたし、あの名刺も何処にいったのかもう
わからなくなっていたのだが。
「今日も浮かない顔してるね」
前に会った時も蛍琉と喧嘩した直後だったと智優は思い出す。間の悪い男だ。
「あの・・・なんですか」
「浮かない顔して歩いてたから、声掛けただけだよ」
名刺の男、狭山は、キツネ顔で唇を吊り上げてニコリと笑った。体育会系のがっちりとした
体格に、小さな顔、そして、ふわふわとしたしゃべり方がアンバランスな男だと智優は
思った。
「はあ・・・・・・」
「元気なさそうな人が歩いてるなあと思ったら、見たことある顔で、ついつい声掛けて
しまいました。ごめんね、拙かったかな」
「まあ、拙くはないですけど・・・・・・」
有難くもなかった。
「そう。よかった・・・・・・あ、ちょっとごめんね」
会話の途中で、狭山の携帯電話が鳴り出して、狭山は智優に軽く左手で謝ると、右手を
突っ込んでいたポケットから、携帯ごと取り出した。
 智優は狭山に対する警戒心を解くことなく、男を見上げる。年の頃は自分と同じか、
やや年上か。変な接点を持ってしまったけれど、どうせまた、これですれ違っていく唯の
群集の一人に過ぎないと智優は思った。
「え〜・・・・・・、やられた・・・・・・」
狭山は携帯電話を開いて、確認すると(メールだったらしい)態とらしくおでこをパチン
と叩いた。それから、智優の方を見下ろす。
 目が合ってしまったので、どうしたんですか、と聞かざるを得なかった。
「友達と呑む約束してて、ココまで来たのに、ドタキャンされちゃったよ」
「そう・・・・・・」
それくらいの事で大げさだと、智優はじゃあといって狭山から離れようとした。
「ねえ!」
狭山は慌てて智優の腕を取った。
「うわぁっ」
バランスを崩して、前のめりになる。初対面に近い人間に対して、この男はやたらとスキン
シップが多い。智優は不機嫌になりつつ狭山を見上げた。
「何すか・・・」
「ねえ」
「はい?」
「これから時間ある?」
「は?」
「ほら、俺、ドタキャン喰らっちゃったからさ、時間あるなら呑みに付き合わないかなって
思って。元気なさそうだし、付き合ってくれたお礼に愚痴くらいは聞くよ?」
「これから・・・ですか・・・・・・」
智優は躊躇った。素性も知らない男と呑みに行くなんて、智優の中では考えたこともない。
どうしようかと逡巡して手の中の携帯電話をみれば、まだ高藤に返信前の画面で止まって
いた。
 自分に好意を寄せる高藤の家に行くべきか、素性も分からない狭山と呑みにいくべきか。
智優の中では既に選択肢は二つしかなかった。
 智優は慎重に天秤にかけて、自分に実害のない方を選ぼうとする。知らない男に付き合って
憂さ晴らしした方が、高藤にほだされるよりもマシだと思ったのは、高藤への優しさでは
なく、自分の弱さだ。
 智優は、暗い顔を無理矢理捻じ曲げて、笑うと
「じゃあ、付き合いますよ」
と言っていた。
 けれど、このとき智優は完全に失念していたのだ。この男が、ゲイであることを。





 思った以上に深酒になった。こんなときに他人と呑むからだ。どうせ自分の人生の中で
この一点でしか交わらない人間だと思うと、智優は気を緩ませてしまったのだ。
 酒が進むに連れて、別れた恋人の事は勿論、仕事の愚痴まで零していた。
「智優君」
狭山は自己紹介した智優を名前で呼んだ。その気持ち悪さも酒とともに消え、目の周りが
真っ赤になることにはすっかり馴染んでしまった。
「何すか・・・・・・」
「ちょっと呑みすぎてるみたいだけど、大丈夫?」
「そう言って、呑ませてるの、狭山さんっすよ・・・・・・」
智優はグラグラする視界を手で支えて、壁に身体を預けた。
 入った居酒屋は、安いチェーン店で、人もまばらだった。どれだけそこに居座っていた
のか智優には時間の感覚がない。
 今が何時で、それどころかここが何処で、自分が何をしているのか、そういう感覚を全て
捨ててしまった。
 この世と自分と言うものの境界線が無くなるほど、智優は溶け掛かっていた。溶けて
無くなってしまいたいと無意識にそう思っていたのかもしれない。
 蛍琉を失って、自分の中のどれだけのものが死んでしまったんだろう。酒が入ってくる
と飲み込んだアルコールが、智優の壁をぐにゃぐにゃと分解して、内側で燻っていた悲しみ
がドロリと染み出してきた。
 一度噴出した感情は留めることは出来なかった。蛍琉喪失の実感がじわじわと押し寄せて
くる。帰るところがない。マンションごと捨ててしまった。
 困ったように笑う顔も、タバコの煙も、ギターの音も、好きではなかった蛍琉の部分で
すら、失ってしまうと思い出すだけでギスギスと心が痛む。
 蛍琉が他人になる。蛍琉が別の誰かと付き合う。自分の所有ではなくなる。向けられて
いた視線も感情も行為も、全て別の誰か――誰かは分かっているけれど――のものになる。
 自分以外の人間と付き合うことなんてないと思っていた。ちょっとした自信だった。
自分の信じていた幻の蛍琉。自分は蛍琉の何を見ていたんだろう・・・・・・。
「泣いてるの?」
「・・・・・・俺、泣いてる?」
「うん」
「じゃあ、そう」
もう、どうでもよかった。
「そろそろ、帰る?」
「・・・・・・いいですよ」
そう言っても智優は動こうとはしなかった。
「智優君?」
「狭山さんは、帰ってもいいですよ」
「智優君は?」
「・・・・・・帰るトコ、ないから」
智優は座敷にそのまま寝そべってしまいそうになった。閉店の時間になったら、叩き出さ
れるだろう。後は当てもなく街を彷徨って・・・・・・
 薄れそうになる意識で智優が思っていると、頭上から甘い声が響いた。
「ウチ来る?」
「・・・・・・」
「狭いけど、それでよければ智優君ひとりくらいなら、何とか入るよ」
智優はどう返事をしたのか覚えていない。
 けれど、気づいたときには狭山に腰を支えられて、歩き出していたし、薄れる記憶の中
で、狭山のアパートに雪崩れ込んでいた。
「着替えられる?・・・・・・無理?ジーパンきつくない?・・・・・・ベッド使って」
「・・・・・・」
狭山に言われるがまま、智優は靴を脱ぎ、着替え、そしてベッドに沈んだ。
まるで自分の記録を頭上から眺めているような、自分を見失いそうな感覚だった。
「大丈夫、朝になったらちゃんと起こすから」
その言葉に何を安心したのか、ぷつりと記憶が途切れた。





 二日酔いのまま、智優は出勤した。酷い呑み方をしたと思う。けれど、狭山のところは
気を張る必要がなく、身体で寂しさを紛らわせるよりも、健全でよかったのだと思うこと
にした。
「朝倉さん」
朝礼前にトイレの鏡で、顔色を気にしていたら、で高藤に呼び止められ、智優が血色の悪い
顔で振り返ると、高藤は心配そうな表情で智優を見下ろした。
「おはよう」
「・・・・・・昨日、いらっしゃるのかと思ってました」
「ごめん、いろいろあって」
「別にいいですけど、じゃあ仲直りしたんですか?」
「・・・・・・いや、もうそういうレベルじゃないから」
「じゃあ・・・!」
高藤が食い下がろうとするので、智優はそれを手で制した。
「ごめん。高藤のトコに転がり込むのは、やっぱり反則な気がするから」
「そんなこと!」
「・・・・・・高藤は大事な後輩だから」
「朝倉さん・・・・・・」
智優も高藤も同じような顔になって、2人で溜息を吐いた。
 2人の間を永遠と走っていく交わらない線が、智優にも高藤にもはっきりと見えていた。





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