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Re:不在届け預かってます


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「そんな不貞腐れた顔してどうしたの」
薄暗く、隙間風の入ってくる冷たい廊下を歩いていると、智優は不意に声を掛けられた。
 振り返ればそこには友人の成岡蛍琉が立っている。蛍琉のブレザーの隙間から覗く白い
シャツだけが異様に浮きだって見えた。
11月の冷たい空気に頬がぴりぴりと痺れる。希望者対象だと言う物理教師の補習授業は、
実際のところ、理系組は強制参加だった。
 6限の授業の後にたっぷりと1時間の補講で、これ以上家に帰ってまで受験勉強したくない
とまで思わせる。
 なのに、教師の口癖は決まって「家で最低でも5時間勉強しろ」だ。いい加減この受験
地獄から解き放たれたいと願ってしまう。
 早々に脱落した友人もいるけれど、見栄っ張りな智優は不満を胸に抱えながらも、つい
この誰が作ったのかわからない仕組みに踊らされていた。スマートに勉強が出来る男を
智優は心の中で満足しているのだ。
 けれど、今日ばかりはその完璧な見栄っ張りもバリバリと音を立てて崩れていた。
「朝倉?」
もう一度名前を呼ばれて、智優はピクリと反応する。
 そうだ、元を糾せばすべてこいつのせいだ。そう思ったら、智優は無性に腹が立って
思わず蛍琉に食って掛かっていた。
「お前の所為だからなっ・・・・・・!」
「は?」
「俺が、こんな目に遭ったのは・・・成岡の所為だっつってんの!」
蛍琉はぽかんとした表情で智優を見下ろした。
「俺、なんかした?」
「・・・・・・っ」
自分で言ってから直ぐに後悔する。バツの悪い質問だ。
「朝倉?なんかあったの?」
「・・・・・・振られたんだよ!!彼女に!!」
恨みがましく蛍琉を見上げると、蛍琉は眉をピクリと動かした。
「うわ、そりゃあ、不貞腐れるね・・・・・・だけど、なんで俺の所為なんだよ?」
「・・・・・・」
「俺、別に朝倉と彼女の間に入って邪魔したりしてないと思うけど?」
智優は順序立ててその説明をするのがあまりにも間抜けすぎて躊躇ってしまう。
 智優が口を噤んでしまうと、蛍琉は冷たい廊下の壁に背を預けた。理由を話すまでは
解放しないといったところだろう。
「勝手に俺の所為にされても、気持ち悪いんだけどなあ」
「・・・・・・ったんだよっ」
「は?」
「彼女と!エッチしたんだっつってんの!」
智優はここが暗闇でよかったと心底思った。こんな赤面した顔を、明るい場所で見られたら、
かっこ悪くて逃げ出していただろう。
「??」
蛍琉は益々意味が分からないと言った表情になる。当たり前だ。智優は分かっているけれど
上手いこと話が持っていけない。
「よかったじゃん、脱ドーテー君?」
「ちっともよくない!!」
「・・・・・・あー、ひょっとして、ソソウでもしちゃったとか?んで、彼女に冷た〜い目で見
られて、ポイされちゃったとか?」
蛍琉が茶化して笑った。
「べ、別に!エッチ自体は普通・・・に終わった・・・・・・と思う・・・・・・」
尻窄みに小さくなっていく声は明らかにそこに原因があるという何よりの証だ。
 確かに緊張はしていた。何せ初めての経験で、生で女の子の裸を見るのも触るのも智優
には刺激的だった。好きな彼女と結ばれるという喜びに興奮もしていた。
 けれど、そうしてたどたどしくも彼女の中に飛び込んでいった智優は、ある種の拍子抜け
・・・・・・肩透かしを食らってしまったのである。
「なんだよ、自分ひとり気持ちよくフィニッシュで、彼女いかせられなかった?まあ、気に
するなって。初めはそんなもんらしいし。それで振られたなら、縁がなかったってことじゃ
ないの?」
「だから、違うってーの!彼女が問題じゃなくて・・・・・・俺が・・・・・・」
「朝倉が?」
耳まで熱くなる。この告白を蛍琉にしても言いものなのか迷うが、本当の事を言うまで
逃れられないのなら、いっそ全部ぶつけてしまった方がマシな気がした。
「・・・・・・お前の所為で、思ったより、気持ちよくなかったんだよ!!」
「は、い?」
間抜けな返事の後、蛍琉は「い?」の口のまま固まっていたが、思い当たる節にぶち当たって
やっと智優の喚きを納得した。
「・・・・・・あ!!」
納得した後で、クスクスと湧き上がる笑いに智優は思いっきり蛍琉を睨みあげた。
「成岡!!」
「ごめん、ごめん・・・・・・こっちの一人エッチ、そんなによかったの?」
「〜〜〜〜〜〜!!」
図星だ。しかも、蛍琉に「こっちの」と言われてお尻をつるっと撫ぜられたら、何故だか
背筋がぞくぞくっと震えてしまった。
 猫みたいな反応に蛍琉はもう一度ぎゅっと智優のお尻を手で触った。
「馬鹿っ、止めろって!俺、ホモじゃねえ!!」
「でもさ、こっちで一人エッチするの気持ちいいんでしょ?」
言われて反論できない。なんでこんなことになってしまったのか。智優は蛍琉に出会った
二年前の事を思い出して舌打ちした。
「お前が変なこと教えてた所為で、俺は誕生日の思い出を奪われたんだからな!!・・・・・・
くそぅ、せっかく、ラブラブな思い出作って受験勉強に励もうと思ってたのに」
「朝倉の誕生日っていつ?」
「明日!!今日振られて、明日だよ、くそ!!」
智優が壁を蹴飛ばすと、蛍琉はちらちらと智優を何度も見て、口を尖らせた。
「何!!」
「・・・・・・じゃあさ、代わりに俺とやってみる?」
「は?」
「彼女の代わりに、セックスしてみる?誕生日の思い出一緒に作ってあげるよ」
「はぁ?!お前、馬鹿?マジで言ってる?」
「うん、結構。・・・・・・なんか『変なこと』教えたの、ちょっと責任感じるし」
「・・・・・・お、お前さ、男とやったことあんの?成岡ってホモ?」
「・・・・・・違うよ。それに、男とやったことは・・・・・・ない、よ」
不自然な答えだったけれど、突拍子もない提案に智優は蛍琉の心の奥を、深く探ることが
出来なかった。蛍琉の言っている意味が分からない。なんで自分と蛍琉がそんなことをする
必要があるのか、蛍琉は何で自分にそんな誘いをかけているのか。頭の中は一気にパニック
になっていた。
「どう?」
「どうって言われても・・・・・・」
蛍琉とのセックスを想像して、智優は下腹部がきゅいっと痛む気がした。何だこれは。
「一人エッチの延長のようなもんだよ、きっと。それですっきり、受験にも集中できる
なら、一石二鳥」
ありえないだろと頭ごなしに否定する自分と、好奇心の自分がグネグネと螺旋を描いて智優
の中を昇っていく。どっちを選ぶか、手探りで手を伸ばした方の答えでいいやくらいに、
智優の中は混乱していた。
「・・・・・・ホントに、一人エッチの延長?」
「たぶんね」
甘い言葉にグラグラと揺れる。結局は好奇心と欲望の塊の高校生だ。彼女とのセックスが
気持ちよくなかった本当の意味を確かめたいという気持ちもある。
 智優は、蛍琉を見上げて、悔しそうに頷いた。
「思い出にならなかったら、本気で成岡の事恨んでやるからな」
「うん」
蛍琉はにっこり笑った。その蛍琉の耳が智優と同じくらい赤くなっていたのを、智優は
全く気がついていなかった。





 後から思い出せば、蛍琉のあの台詞は嘘だった。蛍琉は智優の前にも他の男と経験済み
だったし、立派なゲイで、智優はすっかり騙されていたのだ。
 蛍琉は普段嘘は吐かないくせに、肝心なときに大きな嘘を吐いて、後で智優を怒らせる
のだ。あの後、何度か智優は蛍琉と身体を重ねた。彼女に感じた物足りなさを、蛍琉は
きっちり埋めてくれたのだ。
 誕生日の思い出は、ある意味成し遂げられ、智優はずぶずぶと蛍琉の身体に嵌って行った。
そうして、すっかり曖昧な関係になった後で、智優は蛍琉の告白を聞かされたのだ。
 散々騙されたと蛍琉を罵ったが、それも後の祭りで、身体の相性が抜群に良い事を智優
自身自覚してしまって、後はその流れで蛍琉と付き合い出していた。
 幼い欲望。寒々とした廊下、暗闇に浮かび上がる蛍琉の顔、自分の好奇心。
全てが懐かしい思い出だった。





 夏の暑さがまた一歩厳しくなった。湿度の高い暑い空気が智優の頬を掠めていく。天気
はいつもどおりすっきりとしない曇り空で、遠くから雷の音がいくつも聞こえた。
 晴れた空を見たのはいつだろう、智優は重い空を見上げて思った。
暑かったけれど、傷を隠すために長袖シャツを傷口の見えるギリギリの位置まで捲くり
上げて、智優はマンションを出た。
「・・・・・・」
マンションの前の道を曲がるところで、智優は一歩立ち止まる。もう心配することはないの
だと気づいて、警戒する癖が抜けてないことを苦笑いした。
 狭山が捕まって、被害者として思った以上に忙しい日々を送った。次から次へとやってくる
出来事に、受動的に答え、気がついたら腕の傷も回復し、一昨日には抜糸もした。
 引きつった皮が蒸れて痒くなるけれど、しっかりと結合し、問題はないようだった。これで
自分の日常も少しは取り戻せるのだろうか。心の傷もこの腕みたいに、縫って治るようなモノ
だったらいいのに。
 智優は、不安の中に微かに光っている希望を見つけようと、外に出た。
 マンションで一人の休みの午後は、一段と寂しくなる。狭山が捕まる前は、それでも
外に出る気にはならなかったけれど、今は寂しさを紛らわす為に人ごみを歩いていたかった。
 駅前に続く道をあても無く歩いた。人はまばらで、夏休みの中高生がけだるそうに塾へと
吸い込まれていくのを横目で見送った。
 自分はあの子たちのあの目よりも更に死んでいるんだろうなと自嘲して、背中を伸ばした。
後ろ向きなのは自分の性分じゃない。光が見えるのならそこに向かうしかないじゃないか。
けれど、そこに向かうことが自分の幸せであるのか、今だ迷いがある。高藤の手を離して
まで、手に入れたいと思ったこの選択が正しかったのか、誰にも迷い無く頷けるほど自信
はなかった。
 ジーパンのポケットに手を突っ込んで、携帯電話の奥に潰れた紙切れが手に当たった。
取り出してみれば、それは奈央と詠汰から渡された世那の住所だった。
 存在をもてあまして、ポケットに突っ込んだままにしてしまったらしい。
「・・・・・・どうしろっていうんだ」
智優は手の中の住所を見詰めた。町名は見覚えのあるところで、ここからなら歩いていける
距離だ。一瞬足が止まる。そこに行くのなら、この道は真っ直ぐではなく、右だ。
 行って鉢合わせになんてなったとしたら、立ち直れないほどの気まずさを背負うことに
なるのは目に見えている。
 例え顔を合わせなくても、2人の姿を見るのはもう沢山だ。
見たくない。世那の幸せそうな顔なんて絶対に見たくない。そう否定しながら、智優の
足は右側の道を選んだ。一歩踏み出してしまえば、確実に住所の方角へと進んでいた。
「蛍琉もきっとあの子も今日は仕事だ・・・・・・」
きっと鉢合わせになることはない。家を見て満足したら帰ろう。自分へ言い訳を口にして
智優は世那の家を目指した。



 同じ場所を何度か回り、電柱で番地を確かめながら歩いていると、詠汰に教えられた
住所と同じ番号に行き当たった。
 この近くか。振り返れば探していたアパートも直ぐに目に飛び込んだ。
「・・・・・・」
ここが世那と蛍琉が一緒に暮らしているアパート。きっと元々は世那のアパートで、そこに
蛍琉が転がり込んだのだろう。
 2人で暮らすには小さな一人暮らし用のアパートだった。
快適な自分のマンションと比べると随分窮屈な暮らしをしてるのだろうと思う。それでも
蛍琉は幸せなのだろうか。
 狭いアパートに10近くも若い男と2人で不便な暮らしを強いられても愛情に溢れて・・・・・・。
 チクリ、心臓がひび割れでも起しそうな痛みが走る。
世那の部屋は202号で、見上げた部屋はベランダに洗濯物もなく、カーテンもぴっちりと
引かれ、硬く中が閉ざされていた。
 今頃、蛍琉の店で2人仲良く接客中なんだ。いつか見たあの光景が蘇ってくる。愛の巣へ
帰ってくるのは夜遅くだろう。
「・・・・・・来るんじゃなかった」
 自分は一体何を期待してここに来たのか、智優自身全く分からなくなった。何が見たかった
のか。知った真実は傷つくことばかりなのに。
 傷つくと分かって、どうして足はこっちを向いていたのか。自分の行動が分からない。
言い訳に言い訳を重ねすぎて自分が破綻していく気がする。
 智優は胸のもやもやを抱えたままアパートに背を向けた。





 世那のアパートを後にして、智優は 気の向くままに歩いた。もともと行く当てなどない。
世那のアパートから早く立ち去りたい、その思いで歩き続け、駅前までたどり着くと、後は
ダラダラと店を覗いて時間を潰した。
 夏休みで、子どもの数がいつもより多い。若いはしゃぎ声を聞きながら、智優は懐かしい
気分を思い出していた。
 高校時代、まだ蛍琉との関係が「恋人」ではなかった頃、自分達もこうして駅前でくだらない
時間を過ごした。ゲーセンもコンビニも2人きりの時もあれば、男同士5,6人ではしゃいで
いたこともある。
 あれからどれだけの時が過ぎて、どれだけの感情が流れていったのだろう。
戻りたいと思ったことは一度もなかった。けれど、今はただそれが懐かしい。
智優は感傷に浸りながら、商店街を抜けていく。そうして歩いていったところで、商店街
の隅、蛍琉の店の前まで来ていた。
「・・・・・・」
そのまま素通りしよう、そう思っているのに店の前で足が止まってしまった。見たくない
のに、目が向かってしまう。
 チクリとする胸のうちにドキドキしているものがある。
ああ、そうか。自分は、蛍琉を探しているのだと、智優は漸く自覚した。
辛い現場を見ることになっても、蛍琉の顔が見たい。蛍琉の顔を見れば、また一歩蛍琉
に近づける何かがあるはずだ。
 いつか自分も狭山みたいな人間になってしまうような気がして、智優は震えた。
「蛍琉・・・・・・」
けれど、いくら探しても、店の前で待っても、蛍琉の姿も世那の姿も見つけることは
出来なかった。
 もしかしたら、2人で休みを取ってどこかに旅行にでも出ているのかもしれない。そう
いうマイナスな思考ばかり浮かんでしまう。
 近づいているのか、離れているのか、蛍琉の距離が分からない。手を伸ばして、届き
そうになっていたのは、蛍琉の幻だったような気がして、智優は落胆した。





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