なかったことにしてください  memo  work  clap
天 体 観 測 



 初めて見た満天の夜空というヤツは、円形の建物の中だった。
 一斉に詰め込まれた建物の中で、筒状の投射機から放出される光の粒を、こんなものは
ニセモノだと、進藤春樹は腹を立てながら見ていた。
 こんな星空はない。――少なくとも、東京の空には。

 プラネタリウムの上映会は社会見学だったのか、理科の授業の一環だったのか、今にしてみれば
記憶は定かではない。ただ確かに、小学生の時、わざわざ隣の市までバスに乗って見に行ったという
ことだけは鮮明に覚えている。
 忘れもしない、小5の時だ。5年の、6月の終わりか、7月の初め頃だったように思う。
あれほど饒舌にしゃべった望月要を見るのはあの時が最初で、そして、多分最後だった。だからこそ
要との会話を春樹は鮮明に覚えているし、これからも忘れることはできないだろうと思っている。
 40分の上映が終わり、辺りが明るくなると、担任の牧田はこれからの予定をマイクを使って説明
し始めたが、辺りは急激に明るくなったためか、40分も沈黙を余儀なくされた反動からなのか、雑音が
響き、担任の声など殆ど届いていなかった。
 春樹は1人、隅の席に座り、その様子を眺めていた。プラネタリウムに入る前、同じクラスの
八木や三ツ矢たちと並んでいたのだが、誘導係りに、自分の前で列をぷっつり切られてしまい、
春樹は次の列の席に回されてしまったのだ。
 おかげで、一番端っこの席でしゃべる友達もなく、こうしてぼけっと周りを見渡すしかなったのだ。
「・・・こんなに、星があるわけないよな」
春樹は殆ど独り言のつもりで言葉を発した。誰かに賛同してもらいたかったわけではない。しかし、
思いに反してその言葉には返事が返って来た。
「長野に行けば、これくらいの星が見れるよ」
春樹は驚いて声のする方――春樹の左側を見た。同じクラスの望月要がはっきりと自分の方を見て
「長野でも、白馬とかあっちのスキーが出来るくらいの山奥じゃないとダメだけどね」
と言っている。
 春樹はその時、初めてに近いくらいで望月要がしゃべるところを見た。思っていたよりもしっかりと
した口調で春樹に話しかけている。春樹は要がしゃべるところも、人に向かって話しかけるところも
あまり見たことがなかった。それどころか、望月要という人間が同じクラスにいたことすら忘れている
ことの方が多い。
 それは春樹だけでなく、クラスの人間にとっても同じことだった。
当時、要のことをクラスの人間に聞けば十中八九は「暗い」「おとなしい」「よくわからない」と
返って来ただろう。いじめや無視があったわけではない。ただ、要が自分から輪に入ってくることが
ないから、周りの人間も手を差し伸べる隙がなかったのだ。そうやっているうちに要とクラスの距離は
開いてゆき、一人でいる要を誰も気に留めることはなくなってしまっていた。
 その要が自分に話しかけている、春樹は身体が堅くなるのを感じていた。
「東京でもね、いくつか星は見えるんだよ」
要は春樹の方をみて話しているが、しゃべりかけているのか、独り言なのか分からないほど、春樹の
動向を無視していた。
「最初に、夏の三角形ってやってたでしょ?こと座のベガ、わし座のアルタイル、はくちょう座のデネブ。
あれなら、うちからでも見えるよ」
要は夏の星座をさらさらと言い上げる。春樹は授業で聞いたはずの要から発せられた星座たちが
何のことだかさっぱりわからなかった。唯一つ、夏の三角形という単語だけは辛うじて理解できた。
夏の夜空を彩る星座の中でより明るい3つの星が三角形を作っている、確かそんなはずだ。
 ただし、実際に見たことはない。見ようとしたことがなかったというのが事実だ。
「・・・ホントに家からでもみえるのかよ?」
春樹は半信半疑で問いかける。
「見えるよ、勿論。今日の夜にでも見てみなよ」
「・・・ああ」
ちょうど春樹が返事をしたところで、プラネタリウム内のざわめきが大きくなった。担任からの
説明が終わったらしかった。
前列の対角線上の先の方で三ツ矢と八木が春樹を呼んでいる。
「おーい、進藤、早く次、行こーぜ」
「次の部屋、3階だってよー」
周りの児童たちも次々に席を立って移動を始めている。春樹も要を一度だけ振り返って、じゃあなと
言ったまま、その場を立ち去った。
 そして、要が「あ、でも今日は、曇っているから星、見えないかも」という一言は春樹に届くことは
なかった。

 春樹は怒っていた。
登校中の他の児童を次々に追い越し、ターゲットを見つけると、歩いている前を経ち塞ぐ様に
回り込み、春樹は要を見下ろす。
何に対して怒っていたのか、自分でも分からない。ただ東京でも夏の三角形が見えるといった
要を信じ、昨日の夜、見上げた夜空が真っ暗だったとき、一瞬悲しくなって、そして怒りが
こみ上げてきたのだ。
 さほど期待もせず、寝る前に夜空を見上げたのは、気まぐれに近かったはずなのに、何も見えない
夜の闇に春樹は明らかに落胆していた。そして沸々と湧き上がる怒りを、抱えながら一晩過し、
怒りの矛先を、要一点に絞込み、出会った瞬間その一言に収斂させた。
 自分より頭一つ分も小さい人間に向かって駄々をこねるように春樹はわめいた。
「お前、嘘教えたな!!」
開口一番、怒りに震えた春樹とは対照的に、要はきょとんとしてその様子を見上げた。
「・・・進藤?」
要にはプラネタリウムで見たあの興奮した姿はどこにも見られず、いつもどおりの暗くおとなしい
イメージで、春樹の名を呼んだ。そのあまりに昨日とかけ離れた姿に、春樹はひるんだ。
昨日の出来事が本当のことだったのか、要があんなに興奮してしゃべっていたのは自分の夢か
思い過ごしなのか、段々分からなくなる。
「あ、いや・・・お前、だって。・・・あれ、見えるっていうから・・・」
殆ど日本語になっていない言葉で説明をつけると、要はややあって頷いた。
「進藤、本当に見てくれたんだね」
そうして、春樹はますます慌てることになった。要は満面の笑みで春樹に笑いかけたのだ。
「・・・だって、お前、見ろっていうから」
「昨日はね、曇りだったんだよ。雲が掛かってたの、分からなかった?」
「曇り・・・?」
春樹は今更ながらに顔が赤くなるのが分かる。雲というのは、夜にだって存在することを
ぽっかり欠落していたのだ。
 確かに昨日は朝から一日曇っていて、太陽ですら見えたり隠れたりを繰り返していた。
いくら眠る前のぼうっとした頭でも、雲を見落とすなんて、恥ずかしいにも程がある、春樹は
怒りから羞恥へと感情が変わっていくのをどう抑えていいのか分からなかった。
「・・・ごめん」
結局、出てきた言葉は掠れた謝罪の言葉だった。
「あのさ、星って、毎日絶対見れるわけじゃないんだ。毎日、毎日空見上げて、今日は綺麗に
見えた、とか、今日は一つも見えなかったとか、そういうのの繰り返しなの。だから、進藤も
諦めずに毎日見てみるといいよ」
 春樹はああ、といって一つ頷く。要は広い。春樹の持っている要のイメージは広く、暗い闇が
ただ広がっているだけだと思っていた。それが暗闇からプラネタリウムでみたあの満天の星空に
変わっていくのを春樹は頷きながら感じていた。


 プラネタリウムの事件をきっかけに、春樹は要と仲良くなった。そうは言っても、春樹は
元々クラスの中でも目立った存在で、周りに集まる子どもも多く、対照に1人でいることが
多い要とは、2人きりで話す機会が早々訪れるわけでもなかった。
 更に、春樹が要としゃべる姿を、クラス中、興味と批難の目が飛び交っていた。八木や三ツ矢は
その批難の先端に立って、春樹に要としゃべることをやめるように説得した。
「進藤、望月と何しゃべってんだよ?あいつ、暗いし、おもしろくねーじゃん」
「そうか?あいつ、意外としゃべってみると、おもしろいぜ?いろんなこと知ってるし」
「だけど、望月って俺らが何かいっても、うんとかうーんとか返事くらいしかしねーし」
「ふーん、じゃあ、お前らとは気が合わないのかもな」
春樹はさらっと言ってのけた。春樹にとって、八木や三ツ矢は同じクラスメイトとして楽しい
存在だったが、それ以上でもそれ以下でもなかった。
 その頃、春樹は小学5年生にしてみれば体格もよく、実際の性格よりも「強い」というイメージ
が先行していた。そのため、クラスのいざこざには真っ先に先頭に立たされたし、頼ってくる
人間も多かった。
「別に、お前等が望月と仲良くするわけじゃないから、あいつと気が合わなくても
いいんじゃねーの?それに、俺が望月と仲良くなったって、俺とお前等が仲悪くなるわけじゃ
ねーんだし、困ることないだろ?」
 春樹は要が批難される度そう言ったが、八木たちの批難がなくなる事はなかった。
そうした噂は、当然要にも届いていたが、春樹はそういった批難を全く気にしていなかった。
 春樹は要と時々一緒に帰る。下校時間しか一緒にいられないという方が正しい。八木や三ツ矢の
執拗な批難から要を庇っているというのもあったが、単純に、休み時間に外でドッジボールや
サッカーをしている方が楽しかったというのもある。
 下校は正門で八木や三ツ矢とは逆方向に別れるので、基本的に自由の身だった。誰にも邪魔
されることなく、要としゃべることが出来た。
「望月ってさ、兄弟いる?」
「うん、弟が2人」
「いくつ?」
「2人とも3歳」
「え?双子なのか?」
「うん。「そら」と「せいや」。宇宙って書いてそらっていうの。せいやは星の夜」
「それ、お前がつけた?」
春樹は少し笑って聞く。要は照れくさそうにこくんと頷いた。
「母さんがね、好きな名前つけていいよって言ったから」
「・・・いい名前だな」
「うん。とっても気にってる。弟たち、かわいいし。半分しか血繋がってないけど」
「え?」
「僕の父さん、離婚したんだ。小2の時」
要は弟達をかわいいといったトーンとさほど変わらない声で言った。そこに痛みや悲しみが
感じられないのは、慣れだと、要自身思っている。
 春樹は切り返す言葉に詰まった。春樹の周りでも親が離婚したという友人を何人か知っている。
だから、離婚自体珍しいわけではないが、自分の親が離婚したことをこんな風に告げられると
何を言ってよいのか分からないのだ。
「・・・」
「弟たちはね、時々家に来る男の人の子ども、なんだって。その人と再婚するのかなって思うけど
よくわかんない。でもさ、僕は母さんと弟2人と仲いいんだ、とっても」
「そうか」
「うん。進藤のとこは?」
「うち?・・・3年に妹がいる。あと幼稚園に弟。今年長だから、来年は小学校一緒」
「へえ、だから、進藤って面倒見がいいんだね」
「面倒くさいこと押し付けてるだけだろ」
春樹はそう言ったが、要は春樹のその責任感の強さがとても好きだった。だからこうやって自分とも
話してくれるのだろう。自分と春樹はどう見ても釣りあわない。なのに自分を気に掛けながら
いてくれるのは、きっと自分が弟や妹と同じように、面倒を見なければならない相手だと思っている
にちがいないと、要は思った。自分が対等でなくても全然構わなかった。ただ、春樹と話す時間が
ある、それだけで十分だったのだ。

 日を追うにつれ、要への批難は春樹への批難へと変わりつつあった。
「あのさ、進藤。僕としゃべらない方がいいんじゃないの?」
 要がそういったのは、1学期最後の日の下校途中だった。明日からの夏休みを控え、学校中が
浮き足立っている。
 春樹は下校中に見つけた要に後ろから話しかけたら、要は振り返ってそういったのだ。
ほんの少し、泣きそうな顔をして。
「・・・お前、そんなこと気にしてるのかよ?」
「だって、進藤、みんなの人気者なのに、僕なんかとしゃべってると、皆が怒ってるじゃない」
「俺が、望月としゃべるのに誰の許可がいるんだよ。俺は望月としゃべりたいだけ。いいじゃん
それで。文句あるヤツには言わせとけ」
春樹は口を尖らせた。
「・・・でも」
「でもじゃねーよ、望月、お前さー・・・」
そこでふとしゃべるのをやめると、春樹は思い立ったように言った。
「望月ってさ、呼びにくいよな」
「え?」
「前も思ったんだけど。だってさ、「ち」と「づ」が続いてて、「き」だろ?」
「何、それ・・・」
「早く呼んだら、絶対、噛みそうだもん。要、でいいだろ?」
「え?」
「あれ?お前、名前、要、だろ?」
「・・・うん」
「じゃ、今から、お前のこと要でいいだろ?」
突然の出来事に要は動揺を隠せない。自分は今春樹を拒絶しようとしていたのではなかったのか?
しかし、春樹はそれを跳ね返す強さで要の名を呼ぶ。
 要は頬が紅潮していく。それが嬉しいという感情だと気づく頃には要はすっかり俯いていた。
「・・・要?」
「じゃあ、じゃあさ、僕も、進藤のこと、春樹って呼ぶ」
要は顔を上げると、慌てて春樹に言った。しかし春樹の返した返答はあっさりしたものだった。
「ダメ」
「え?」
「ダメ、俺のことは名前で呼ぶな」
「なんで?」
「何でも、だよ。俺のことは誰も名前で呼んでないだろ?いいんだよ、俺のことは進藤で」
春樹は少しイライラしながら横を向いた。要はその発言に内心、傷ついたが、それ以上は何も
言わなかった。言えなかったのだ。
 それ以上、望んではいけない気がした。友達として横に並ぶ、初めてのその感覚に要は
戸惑いながらも、心の中に閉じ込めていたあらゆる感情が解けていく気がしている。
 要は思い切って、前から思っていたことを口にした。
「あのさ、進藤、今日の夜、こっそり家出られる?」
「え?」
「学校の裏山、はくちょう座がよく見えるんだ。この前、はくちょう座、デネブ以外見えないって
言ってたからさ。明日から夏休みだし、こっそり抜け出して見に行かない?」
 それには提案した要よりも、興奮した様子で春樹は飛びついてきた。
「マジで?行く行く!!今日は、晴れてるよな!・・・見えるかなー」
「・・・見えるよ、きっと。だってこんなにいい天気だもん」
「そっか、そうだよな。見えるよな。・・・そんで、何時にする?」
「9時くらいなら、東の空に見えてるはずだよ」
「9時か、分かった。9時な」
「うん。じゃあ、9時に進藤の家の前に迎え行く」
「ああ」
春樹と要の家は大通りを挟んで400メートルくらい離れていた。実際、要と話すまで、春樹は要の
家を知らなかったが、要は時々春樹が1人で帰っている姿を目撃していた。
 春樹の家が学校側に近いので、要は迎えに行くと言ったのだが、実際のところ、春樹に自分の家を
見られたくなかったのだ。要の家は6畳2間の古アパートで、大きな家に住む春樹に自分の家を見られ
落胆されるのが怖かったのだ。
「じゃあ、ね」
要は片手を挙げ、春樹に合図を送った。春樹も笑って手を振った。
 それが、どこか消え入りそうな笑顔だったので、春樹は要が自分の前からいなくなってしまう
気がして急に怖くなる。この笑顔が二度と見れなくなるような胸騒ぎが、春樹の足を止めた。
 春樹は要が大通りを渡り、商店街の角を曲がって姿が見えなくなるまで、その場で要を見送っていた。




 <<プロローグ2へ続く>>




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