なかったことにしてください  memo  work  clap
天 体 観 測 



ひんやりとした空気の中で、隼人が一人雑誌を読んでいた。隼人は顔を上げると、いつもの
軽い口調で要に話しかけてくる。
「よお!望月、久しぶり。テストどうだった?」
「追試だけは免れそうです」
「あはは、十分、十分」
要もパイプ椅子に座ると、他のメンバーが揃うまですることもなく、机の上に置いてあった
雑誌を手に取った。
「・・・今日集まりますかね?」
「さあねえ。今日はテスト終わってはじけちゃったヤツと追試で泣いてるヤツしかいないからな」
先週のテストの結果は早いところではもう既に発表になっている。掲示板に追試者が張り出され
それを見て学生は一喜一憂している。
 要も一番やばかった基礎物理の追試者名簿に自分の学籍番号が載っていなかったのを見て
最大の山場は越えたと安心した。
 隼人はそれだけ言うと、これ以上会話を続けたくないのか、手元の雑誌に目を落とす。要も
取り立てて話すことも無く、同じように手に取った雑誌のページをぱらぱらと捲った。

 時間は無駄に過ぎていった。30分たってもサークル室には誰も集まらず、隼人も要も黙々と
雑誌を読み続けていた。
 会話をするにはあまりにも間が空きすぎて、要は今更この沈黙の中で話題を振ることに
躊躇ってしまい、そして、迷った挙句、雑誌を読み続けるという現状維持を続けることを選んだ。
 沈黙は暫く続いた。エアコンのコウコウという風を送る音だけが単調に聞こえている。
 ふと要が顔を上げたとき、机の上に無造作に置かれていた携帯が鳴り響いた。隼人は手に取ると、
着信相手を確認する。
 すぐに困った顔になり、ため息が聞こえた。
「・・・参ったな」
隼人は要の方を見ると、鳴り続ける携帯を握り締める。そして、逡巡してやっと電話を取った。
「もしもーし」
それでも、声のトーンは至って普通だった。要はわざわざ聞き耳を立てるつもりは無かったが、
無音の空間で発せられる音が唯一つ隼人の声であるために、否が応でもでも会話が耳に入ってくる。
『・・・大槻君?今大学?』
「うん。そうだけど?雛姫ちゃんは?」
興奮しているのか、かなり大きな声でしゃべっているらしく、相手の声が電話越しに要のところ
まで聞こえてくる。
 電話相手は織部雛姫、一真の彼女だった。
『・・・家よ。家にいる』
「仕事、休み?」
『・・・休みじゃなくて、休みにしたの』
途端、隼人の顔が曇った。殴られた頬は2週間経ってすっかり元に戻っていたが、急激にその部分が
ひりひりしてくるようだった。
 一真に殴られた時、本当は一つだけ心当たりがあった。隼人には一真が何で怒っているのか、
はっきり、分かっていたのだ。
 ただ、それは口が裂けても言えないことだったし、今後も言うつもりは無かった。ただ、ここに
来て、事情が少し変わりつつある。
 雛姫の口調は怒りと悲しみで溢れていた。その理由も隼人には分かっている。一真からも雛姫
からも直接は聞いていないが、一真の怒りと雛姫の悲しみから導かれる答えはただ一つに決まって
いた。昔から一度言ったら引かないところのある一真の行動からすれば、安易な答えだ。
(別れたんだろうな・・・しかも、一方的に)
激情の中で一真は雛姫を許さないと言った。だったら、本当に許さなかったのだろう。
 隼人はできるだけ、声のトーンを変えないようにしゃべった。
「何、体調でも悪いの?」
『・・・最悪』
「じゃあ、寝て早く治した方がいいよ」
『ねえ、そんな建前はいいの。聞いたんでしょ、一真に』
「何を?」
雛姫が自分に何故連絡をしてきたのか、隼人には分かっている。分かっているからこそ巻き込まれ
たくないし、部外者であり続けようとした。
『いいわよ、別に。惚けなくたって』
「惚けてなんかないよ」
しらを切った隼人を無視して雛姫は自分の言いたいことをしゃべり始める。
『一真に連絡が取れないの』
「・・・」
『一昨日から、携帯に電話しても留守電になるばかりだし、家に行ってもずっといないの。
ねえ、大槻君、一真の居場所、知らない?』
頭の中で何かが壊れていく音がする。人が狂い始めるのに必要なズレなんてほんの少しあれば
いい。それだけで人は歪み出す。
「いや、俺も知らない。そう言えば一昨日電話したけど、連絡取れなかったな・・・」
『ホントに?・・・一真、一体どうしちゃったっていうの?』
「雛姫ちゃん・・・」
雛姫の痛みが一真に殴られた頬を通して伝わってくるような気がした。雛姫の語気が一段と
強くなった。
『訳分からないわ。いきなりあんなこと言い出すし。なんで?あんな昔のこと一真はいきなり
言い出したの?』
それは隼人にしても不可解なことだった。何故今頃になって、過去の話をほじくり返すような
事をしてきたのか。そして、一真が自分や雛姫が隠していたことをどうやって知り得たのか、
隼人にしても一真に聞きたいことは山ほどあった。
 隼人は観念して、しらを切るのを辞めた。
「・・・雛姫ちゃん、一真になんて答えたの?」
『そんなの全部嘘だって。デタラメなこと誰かに吹き込まれたんでしょって。だってホントに
一真の言ってること、本当と違うんだもん。一真、未だに私達が二人きりで会ってると思ってるし
それをすごく怒ってた。そんなこと、絶対あり得ないのに。全部、昔の事よ。終わった事でしょ?』
「・・・昔のこと」
『そうよ、昔のことじゃない。一真には関係ないわ』
関係ないと言い切った雛姫に対して隼人は少しだけ怒りを覚える。「雛姫の過去の男」を関係
ないと言われて隼人だって割り切れない。
「でも、黙ってたんだろう?」
『そんなこと、わざわざ一真に話す話じゃないでしょ?』
「確かにね。昔の終わった恋の話なんだし。でもさ、話さなかったってことは、昔の話では
終わらなかったんだと思うよ。雛姫ちゃんの過去の男が一真の知らないどこかの男だって話
ならまだしも、こんな身近にいるんだから。・・・それこそ一真にしてみれば今の話なんじゃない
のかな?」
電話口からすぐには反論が返ってこなかった。隼人は手元にあったピントを要の方に当てた。
すぐに要と目が合って、要は気まずそうに顔を下げた。
 要は通話が丸聞こえになっていることに、座り悪い気持ちでいっぱいになっていた。聞かないで
いようとするほど、雛姫の声までが耳に届いてくる。
 要が推測するに、どうやら、雛姫と一真は何らかの理由で別れたのだ。そして、それが「雛姫の
過去の男」によるトラブルだと言うことも会話の中から聞こえてきた。
(・・・過去の男。それが隼人先輩ってことなのか・・・)
確かに、雛姫が過去付き合っていた男が隼人ならば、一真が怒るのは当たり前だ。それが理由で
別れるというのは些か要には信じがたいけれど、親友と思っていた人間に裏切られたと思えば
別れて当然なのかもしれない。
 要は、春樹の傷ついた顔を思い出す。
(僕の告白も修復できないほどの「裏切り」行為だったんだろうか・・・)
それにしても、と要はある矛盾点を考えている。
 八ヶ岳に星を見に行った車の中で、雛姫は一真に一目惚れしたのだと言った。そして、その
「恋のキューピット役」を隼人が務めたのだと。雛姫が隼人と付き合っていたのなら、隼人が
そんな事をするだろうか。それとも、そこに隼人と雛姫の「秘密」があって、一真を二人して
騙していたとでもいうのだろうか。
 要は隼人にほんの少しだけ、そういう危うい空気が漂っていることを肌で感じている。人当たり
の良さそうな顔をして、心の中は絶対にさらけ出さないという内向的な性格は自分にも共通する
部分だからだった。
 電話口でぼそぼそと雛姫が語り出した。
『・・・一真、そんなの、付き合いだした時点で知ってると思ってた。・・・大槻君から聞いてると思ったの』
雛姫の悪い癖が出たと隼人は思った。何でも人の所為にする。臆病だといいながら、人を頼り、失敗
すれば、人を詰る。雛姫の性格は高校の頃と何一つ変わっていなかった。
 自然と隼人の語気も強くなっていった。
「なんでわざわざ俺が一真にそんなこと言わなくちゃいけないんだ?俺は関係ないだろ?それに、俺は
雛姫ちゃんがずっと隠してるように見えたから、俺も一真には言わなかったんだけど?」
『私、別に黙っててなんてお願いしてないわ』
「じゃあ、何?俺から言ってればよかったのか?言って俺たちの仲が気まずくなって、友だちでも
無くなって、それでも言った方がよかった?」
雛姫の涙ぐむ声が聞こえる。
『なんで、そんなひどいこと言うの?』
「・・・それは、雛姫ちゃんがそういう事言ったからだよ」
電話の向こうからすすり泣く声がする。さすがにそれには隼人も困惑してしまう。
「ご、ごめん・・・」
雛姫は嗚咽の隙間から何とか言葉を発した。
『・・・何で・・・今更』
「ホントだよな・・・何で今更だよな」
『誰が・・・そんなこと・・・』
「雛姫ちゃんと一真の事を知ってる人なら、誰にでもあり得るよ。ひがんでる相手がどこか
にいるのかもしれない・・・。ほら、雛姫ちゃん可愛いし、高校の頃から目立ってたし」
『そ・・・そんなのっ・・・ひどい・・・』
そういうと、雛姫は声を上げて泣き始める。隼人は正直、雛姫が一真と別れてここまで
取り乱すなどとは思っていなかった。一目を気にする雛姫は振られても「次の男」と
割り切っているのではないかと、隼人は思っていたのだ。
 しかも、最近の2人の様子は明らかに順調ではない様子だった。
(このコ、ホントの本気で一真のこと好きだったのか・・・)
 隼人は電話口で女に泣かれるほど面倒なモノはないと思った。ましてや自分の付き合って
いる彼女ではなく、「親友」の「元彼女」なのだから。
 ただ、隼人は雛姫に優しい言葉を掛ける気になれなかった。
『誰の・・・仕打ちか、知らないけど・・・絶対、嫌よ』
「雛姫ちゃん?」
『絶対、絶対、嫌よ!!』
雛姫は暫く泣き続けたが、はたと泣くのを辞め、ドスの効いた声で隼人に言い放った。
「落ち着いて、雛姫ちゃん」
『・・・あたし、絶対そんなの嫌。そんなの、絶対認めない。絶対別れてなんてやらない』
「・・・」
『何で、ねえ、なんでよ!!』
「何でってなあ・・・。一真が決めたことだからな。あいつ一度言ったことは曲げないしな」
『嫌よ、嫌。そんなの絶対嫌。嫌だし、認めないし、あたしの話だって何にも聞いてないのに
そんなこと勝手に決められたって、納得できないっ』
「まあ、落ち着けって」
『あたし、十分落ち着いてるわっ。だから話がしたいの。一真に会わせてよ。・・・大槻君、本当は
一真の居場所知ってるんでしょ?ねえ、会わせて。会って話が出来ればそれで分かり合える
んだから!!』
「待てよ、一真の居場所なんて俺だって聞きたいくらいだ」
実際の所、隼人は一真とあれ以来連絡を取っていなかった。気まずすぎて連絡する気にならなかったし
用事があるようなら、向こうからひょこりやってくる気がしていたのだ。
 だから、雛姫の言うように、電話が留守電になって、家にもいないとなれば、隼人にだって
手がかりは皆無なのだ。
『・・・最後にはそうやって、一真の味方になるんでしょ!』
「おいおい。なんだよ、それ」
『・・・いいわよ、分かってるわ』
「雛姫ちゃん、暴走するのは構わないけど、勝手な解釈で俺を巻き込むのは辞めてくれない?」
『あたしだって、バカじゃないわ!大槻君の考えてることくらい、分かるんだから!!』
「・・・」
(俺の考えてることって・・・)
『だって、あのときから、本当はずっと反対だったんでしょ?あたしと一真が付き合うこと』
「そんなこと・・・」
『どうせ、あたしのこと、尻軽女とでも、思ってるんでしょ!』
ホントのことじゃないか、と隼人は心の中で呟く。
 隼人はこれ以上、雛姫の耳をつんざく様な声を聞きたくなくて、電話を切ることだけを考えた。
「そんな風には思ってないけど、一真の居場所は、知らない。今日、サークルの予定だけど、来る
気配もないし。俺には、わからないよ」
 出来る限り柔らかい口調で言ったつもりだったが、雛姫の怒りは収まらなかった。
『・・・そうやって、全てを私の所為にするの?私だけが悪いの?』
(この子は・・・)
隼人はため息をついて、
「少し、頭冷やしな」
一言そう言うと、そのまま携帯のボタンを押した。
 通話を切り、隼人はもう一度大きなため息をつく。机の上のたばこを手にとって、咥えた。
「まったく、そろいにそろって、お騒がせ夫婦だよな…」
それが、隼人の独り言ではなく、明らかに自分に向けて発せられた言葉であることに、要は
躊躇った。
「…すみません。聞くつもりはなかったんですけど」
「この状況で、聞くなって言うほうが無理だろ?」
隼人は笑って首を横に振った。
「はい…」
「一真と雛姫ちゃん、別れたんだよ。雛姫ちゃんは一方的に振られて、混乱してる。…参るね」
隼人は口から煙を吐きながら、疲れた顔を見せた。
「隼人先輩は、自分の幸せよりも、相手の幸せを尊重するタイプなんですか?」
「なんだ、それは」
要は目を瞬かせた。
「大人なんですね」
要の突っ込みに、隼人は独り言のように言葉を吐いた。
「…ずるいだけだよ」
要は、春樹のあの顔がこびりついて離れなくなっている。傷ついて、傷つけて、ずっとすれ違った
ままの思い。
 隼人は灰皿でタバコを押しつぶした。
「今日は、誰も来る気配ないし、解散するか?」
時計をみれば、あれからもう1時間以上が経過していた。
「…そうですね」
エアコンを消すと、隼人は立ち上がって、机に広げられた持ち物をポケットに閉まって、部屋の
鍵を手に取った。
 要も隼人に続いて立ち上がると、春樹に会えなかったことへの不安と安堵が交錯する気持ちを
抱えたまま、部屋を後にしたのだった。


 <<13へ続く>>




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