7.楽園切符1
「はい、花里でございます」
電話口の莉子の声は昨日と同じくらいくぐもっていた。
「おはようございます。塚杜です」
「……おはようございます」
「昨日は突然すみませんでした。あの、駿也さんから連絡は?」
「ありません……警察にも行きましたけど、事務処理的な感じで……もう、私にはどうし
ていいのか……」
憔悴しきった声が返ってくる。例え冷え切った仲だったとしても、莉子にとって駿也はまだ
失っては困る家族なのだろう。2年前、駿也の行動を莉子に伝えていたら現状は変わってい
ただろうか?郁生は莉子から責められている気持ちが抜けきらず、すみませんと謝っていた。
「俺、ちょっと『あすたか園』に行ってみようと思ってます」
「!?」
その言葉を出すと、電話口で莉子が絶句した。
「すみません、監督から聞いたもので」
「……そうですか。どうぞよろしくお願いします」
「莉子さん、難しいかもしれませんが、休んでください、ね?駿也さん、きっと戻って来
ますから」
「……ええ。ありがとうございます」
電話を切ると、郁生は愛車に乗り込んだ。教えられた住所をナビに登録して、郁生は車を
走らせる。ナビの表示ではここから1時間程のところらしい。
「千葉県k市……アクアラインで一直線。まあなんとかなるか」
郁生の車は海ほたるへ向かう道へ吸い込まれていった。
あすたか園は創立40年を越える児童養護施設だった。ネットで得られた情報はあすたか園
の簡単な歴史と、子供たちにどんな教育をしているかだけで、駿也が施設出身だということ
はネットにはびこる掲示板からも確認できなかった。
不安を感じながらも、郁生はアクアラインを走り抜け、袖ヶ浦のインターで降りると、あす
たか園に連絡を入れた。
「はい、あすたか園でございます」
「こんにちは。はじめまして、私、H電機陸上部部員の塚杜郁生と申します」
「……はい、お世話になっております」
「あの……私の先輩であります、H電機陸上部の花里駿也さんのことでお伺いしたくて電話
させてもらいました。……えっと、駿也さんは一時期そちらにいらっしゃったとかで……」
「……申し訳ございませんが、どのようなご用件でしょうか」
電話口の声が明らかに警戒の色を見せてきたので、郁生は焦って説明を付け加えた。
「す、すみません、えっと、実は、昨日から駿也さんの行方が分からなくなっておりまして
心当たりがあればと思い……」
そこまで話すと、先方は驚いて声をあげた。
「駿也君が行方不明!?」
「……はい。会社は無断欠勤、自宅にも戻らず、ケータイも繋がらないといった感じで、
どこを探していいのか。警察にも捜索願を出したんですが、迅速に動いてくれる様子もない
ようで、奥さんも憔悴しきってます」
「それ……本当なの?!」
「あの、実は今、そちらに向かっておりまして、よろしければ少しお話聞かせてもらえま
せんか?探す手がかりになるかもしれませんので……」
先方は半信半疑ながらも郁生はアポを取り付けた。
着慣れないスーツから、出し慣れてない名刺を出し、郁生はぎこちない挨拶をした。
「先ほどお電話した塚杜です」
「ああ、こんにちは。……こちらにどうぞ」
通されたのは宿舎の一角で、一応応接室のようなところだった。
「施設長の長谷川です」
対応したのは長谷川と名乗る50すぎの女性で、あすたか園の施設長だった。声からして、
先ほど電話に出たのもこの女性だろう。
郁生は未知の領域に踏み込んだ気分で、落ち着くことも出来ず、勧められたソファに何度も
座りなおした。
「駿也君の話、本当なの?」
長谷川は自ら茶を勧め、椅子に座るといきなり本題に切りかかった。
「……先ほど電話でお話した通り、昨日から無断欠勤で、自宅にも帰ってないとのことで
して。ケータイも繋がらないし……。あの、ここは陸上部の監督に教えていただいて」
「ああ、駿也君の陸上部の監督って佐伯君ね」
「ご存知なんですか!?」
「彼、学生の頃、ここの施設に学生ボランティアで入ってたのよ。その頃から駿也君を
可愛がってくれて、高校や大学の陸上部推薦も佐伯君が駆け回ってくれたおかげなんです。
陸上部の監督さんになられてからは数回しかお会いしてませんけど、そういった意味では
よく「ご存知」なのよ」
長谷川は少し茶目っ気を含んだ笑を見せた。
それで監督は駿也の過去を知っていたのかと郁生はストンと気持ちの収まる場所を見つけた
気がした。監督は自分よりも駿也を可愛がっているのは肌で感じていたし、それはただ自分
よりも駿也がいい選手だからだと、自分を捻じ曲げて納得しようとしていた節がある。
けれど、駿也と監督がそれほど長い付き合いなら、自分よりも駿也に愛情があるのは仕方
ないことだろう。
「すみません、知らなかったもので……」
「ええ、ええ。いいの、いいの。それよりも、駿也君ね。彼と最後に会ったのは2年程前
になっちゃうの。園の同窓会みたいなものを開いたんだけど、その時に会ったのが最後。
とても立派な青年になられて、嬉しく思ったわ。まさかいなくなるなんて……」
「俺……私にも、一昨日までの駿也さんは、失踪するような人には全く見えませんでした。
奥さんも弟さんも手がかりがないそうですし……」
「泰輝君のところにも行ってないのね?」
施設長に顔を覗かれて、郁生は一瞬躊躇った。下手に嘘をついても仕方がない。郁生は差し
障りのないようにかい摘んで話した。
「実は、弟さんのところには行ったようなんです。弟さんが仕事から帰ってくると手紙が
入ってたそうで。その手紙が、失踪を仄めかすような内容で、みんな焦ってしまい……」
「まあ!」
長谷川は大袈裟に口を抑えて驚いた。そして、記憶をたどるようにあたりを見渡し、ふっと
立ち上がると、本棚の中から一冊のアルバムを取り出してきた。
「これね、2年前の同窓会」
「見てもいいですか」
「どうぞ」
アルバムはスナップ写真が綺麗に収められており、郁生が覗き込むとラフな顔で談笑してい
る駿也の顔がいくつも飛び込んできた。
「……ぜんぜん変わってません」
駿也の近くには顔のよく似た弟も写っていて、こちらは今よりも幼く見えた。
「そう。駿也君は捻れることなく育ってくれたのよ。本当にいい子だった……」
長谷川も目を細めて写真を眺める。それからゆっくりと顔を上げると、表情を堅くして
郁生を見つめた。
「ひょっとしたらあの子なら、連絡とってるかもしれないわ」
「どなたですか!?」
長谷川は写真の中で駿也の隣に立つ人物を指した。
「……っ!?」
郁生は写真を前に硬直してしまった。
その写真に写っている人はみんな、会話を止められて写真を撮るために振り返ったような
姿勢だったが、その人物だけは視線が真っ直ぐで、まるでファインダー越しにカメラマン
を突き刺すような強い光を感じた。そして、その視線は写真を超えて郁生の心まで響くよう
な気がした。
けれど、その表情は睨んでるわけでもなく、かと言って笑っているわけでもなく、郁生には
それが「吸い込まれている」のだと気づくことはできなかった。
「なんだか、雰囲気のある方ですね」
「そうね。若見瑛君って言って、今はT大の准教授をしているのよ」
「大学の先生ですか!?」
「見えないわよね。私も笑っちゃったわ。でも、仕事のこと考えるととてもあってると
思う。えっと名刺をもらってた気がするからちょっと待ってて」
長谷川は席を立つと、名刺を探しに部屋を出た。郁生は同窓会のアルバムをめくった。
2年前の駿也の表情はどれも明るく、自分の知っている姿とほとんど変わらないのに、どこか
別人の気がした。彼が施設で暮らしていた何年間を、駿也自身はどう思ってるのだろうか。
積極的に話さなかったということは、やはり封印したい過去なのだろうか。想像もつかない
園の暮らしに、郁生は目を逸らしたくなった。
そして、郁生の視線はいつしか「わかみよう」と教えられた青年を追い始めた。
瑛が写っている写真はそれほど多くなく、アルバムを見返しても、突き刺さるような視線
を投げかけているのはあの一枚だけだった。
「知り合いでもいらっしゃった?」
「!?」
長谷川が戻ってきたことにも気づかず、郁生は「彼」が写っている写真ばかり眺めていた。
慌てて顔を起こすと、アルバムを机に戻す。
「いえ、駿也さん楽しそうだなと思って」
「そうね。ここはいい思い出ばかりじゃないけど、駿也君はここを訪れる度、笑顔でみんな
を励ましてたわね。……突然どこかに行ってしまう子ではないと思うわ」
長谷川は声のトーンを下げた。
突然どこかに行ってしまうようなことはない。それは郁生も信じていた。それが、いなく
なったということは余程のことが起きているからなのではないだろうか。
体の中から震えが起きる。最悪の状況が頭を掠めた。
「瑛君の名刺あったわ。今電話してみたんだけど、留守電になって繋がらなかったの。一応
伝言は入れておいたけど」
そう言って長谷川は名刺を寄越した。郁生はそれを受け取る。「わかみよう」という音が
「若見瑛」という漢字に変換され、少しだけ距離が近づいた気がした。
瑛はT大の園芸学部の准教授で、付属の植物園の管理も担っているらしかった。
「この名刺お借りしてもいいですか。俺、会いに行ってみようと思うんですけど」
「ええ。そうね。是非そうしてあげて。駿也君のことはとても心配だけど、私もここの
仕事で手一杯だし、それほど動いてあげられないだろうし。……何かわかったらこちら
にも連絡くださるかしら?」
「はい。それは勿論」
若見瑛の名刺は駿也を取り戻すための切符になるだろうか。その道はどこに続いていている
のか、先の見えない薄ら寒さが身体を震わせた。
郁生は名刺を受け取ると、早々にあすたか園を辞した。
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